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数学する身体 の商品レビュー

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48件のお客様レビュー

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2016/02/20

詩的な文体で数学史を追い、チューリングと岡潔に終着する。チューリングは心の問題を説くために数学を用いた。岡は数学の向こうに情緒を捉えた。奇しくも、人工知能開発の機運が盛り上がっている現代を先取りした2人のように感じた。

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2016/02/06

中学校に上がって「算数」が「数学」に変わり、今振り返ればなぜなのかと思わずにはいられないほどに苦手科目となって立ちはだかった。その苦手意識は高校進学後もつきまとい、結果として「数学が苦手だから」という理由で文系クラスに進級。大学も文系学科に進学し、歴史で卒論を書き、就職先がIT屋...

中学校に上がって「算数」が「数学」に変わり、今振り返ればなぜなのかと思わずにはいられないほどに苦手科目となって立ちはだかった。その苦手意識は高校進学後もつきまとい、結果として「数学が苦手だから」という理由で文系クラスに進級。大学も文系学科に進学し、歴史で卒論を書き、就職先がIT屋。仕事として数学が生み出した技術を扱う日々が始まった。かれこれもうすぐ8年。 この本を読んで、改めて物事には「歴史」があり、その積み重ねを人間が紡いできた結果の世界に生きているのだと痛感するばかり。 本書には小難しい数式はいっさい出てこない。数学研究を行う著者がもともと文系だったということもあり(これにはかなり驚いた)、紡がれる言葉の数々は流麗で美しい。数学という学問を思想的に分析・解説されていくことで自分の人生にも実感として数字が馴染んでくるようだ。数字は身近なもの、身体の延長である道具なのだ。

Posted byブクログ

2016/01/28

これはもう(生活の一部ではなく)生活そのものが数学という方々の崇高な物語になっていると感じました。 うらやましくもあり、また心洗われる思いもしました。 芭蕉ー岡潔ー著者が「一つの身体」となって現代に現れたような錯覚を覚えるほどに本作に引き込まれました。

Posted byブクログ

2016/01/22

 タイトルは難しそうだが、水が大地にしみ込むようにするりと読める。数学に対するものの見方が少し変わる。  そしてあとがきでこの著者が影響を受けた人を見ると納得である。

Posted byブクログ

2016/01/17

なぜ公理は公理であるのか。1とは何か。 無限についてカントールはこういった思索を繰り返したのだろうか。作者は、人類全体の思考の枠組みを一段階広げるような発見に至る準備運動をしているのかもしれない。それが結実するのかはわからないが、何かどでかいことを成し得るポテンシャルを感じる。 ...

なぜ公理は公理であるのか。1とは何か。 無限についてカントールはこういった思索を繰り返したのだろうか。作者は、人類全体の思考の枠組みを一段階広げるような発見に至る準備運動をしているのかもしれない。それが結実するのかはわからないが、何かどでかいことを成し得るポテンシャルを感じる。 純粋才能が良き出会いを重ね(特に古武術の甲野善紀氏との出会いは大きいと感じる)、アンテナの感度の良さ、感受性、知性、数学的素質が融合してここまでの考察に至る。わかりやすい上に深いので、そのまま講話として宗教な人にパクられそうである。

Posted byブクログ

2022/06/01

行為はしばしば内面化されて思考となる。思考が外在化して行為となることがある。 数字はもともと人間が持っていなかった道具であるが、容易に内面化される。暗算なんて、まさに道具を身体化した、ということだ。紙と鉛筆を使っていたことは行為なのに、暗算だったら思考だ。 行為と思考の境界は...

行為はしばしば内面化されて思考となる。思考が外在化して行為となることがある。 数字はもともと人間が持っていなかった道具であるが、容易に内面化される。暗算なんて、まさに道具を身体化した、ということだ。紙と鉛筆を使っていたことは行為なのに、暗算だったら思考だ。 行為と思考の境界は、こう言われてみるとたしかに微妙なのだ。 僕は思考ばかり突出して行為が苦手、と自認しているが、しかし行為と思考がこのような関係なのだったら、そんな線引は馬鹿みたいだったのかもしれない。 自他の意識さえもほんとうは横断している心があって、それが仮想的に小さな私、として限定されていくのでは、となれば、自他も行為も思考も、環境としてはつながっているのだ。 芭蕉は感覚ではなく、情緒の世界を歩いていた。数学者は数学的自然を行く旅人だ。岡潔は、「数学において自然数の一とは何であるか、ということを数学は全く知らない」「初めから全然不問にしている」と述べている。それを追いかけるのもまた数学だ。 でも僕は数学を解さないから、数学の本、というより、やはり思考の本に見えてしまう。と言うよりは、数学がすなわち身体であり思考である、ということか。紹介が難しいぜよ、この本。

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2015/11/05

2015.11.2-2015.11.3 武術家の甲野善紀氏が勧めてゐるので購入。独立の研究者といふ著書の行き方にも関心があつた。 数学が発生段階から身体と不可分であり、考へるといふことは、普通に思はれてゐる以上に身体的な過程なのだ、といふ論点は興味深い。それがギリシャ時代の数学を...

2015.11.2-2015.11.3 武術家の甲野善紀氏が勧めてゐるので購入。独立の研究者といふ著書の行き方にも関心があつた。 数学が発生段階から身体と不可分であり、考へるといふことは、普通に思はれてゐる以上に身体的な過程なのだ、といふ論点は興味深い。それがギリシャ時代の数学を例に説かれてゐるあたりは秀逸だ。 他方で、人工知能が人類の脅威になるのではないかと心配される程に発展し、「情報」が一人の人間の処理能力とは無関係に増殖する時代に、数学を身体化するといふ岡潔の理想がどのやうな指針となるのかは不明確だと思はれる。 とは言へ、他の人達の力を借り、過去の遺産の助けを得ながらも、他人には伺ひ知れないものを抱へて生きる他ないのが人間である以上、頼りになるのはこの身体であり、その持つ潜在力が充分に使はれてゐないのは確かなので、頭でつかちになり勝ちな今の日本で、読まれる価値がある本だらう。

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2015/11/08

ムの字 ‏@_submoomin 森田真生さんという人はまあそろそろ詐欺師と言っていいと思いますよ。 H. Hosaka ‏@H_H 10月24日 森田真生氏に関する問題を一言でまとめると、こうなるのでは。狭義の数学者でない人が、狭義の数学者であると誤解されうる肩書を用いて、...

ムの字 ‏@_submoomin 森田真生さんという人はまあそろそろ詐欺師と言っていいと思いますよ。 H. Hosaka ‏@H_H 10月24日 森田真生氏に関する問題を一言でまとめると、こうなるのでは。狭義の数学者でない人が、狭義の数学者であると誤解されうる肩書を用いて、数学に関する活動を行っている。 けーた ‏@ke_ta3 10月24日 森田真生氏が圏論の初歩を講義してたり、数学基礎論サマースクールとかに来て勉強してたのを見た限りでは真面目に数学独学してる人だと思われたが、書いてることは勉強してるはずの現代数学とは全く関係なく、ひたすら「岡潔はすごい」「身体性が大事」を繰り返すだけになっちゃってる感じはするね。 Twitterより。

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