日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた の商品レビュー
恥ずかしながら知らなかった事実。映画『ラーゲリより愛をこめて』にもあったが、収容所内で娯楽が認められていたのはせめてもの救い。正義とはなにか、改めて考えるきっかけになる。
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旧ソ連時代に旧ソ連の4大オペラハウスの一つとして現ウズベキスタンのタシケントに建設されたオペラハウスは、旧満州から送られた日本人捕虜の手によって作られた。 20年後、タシケントを襲った地震で建物が軒並み崩壊する中、オペラハウスは無傷で残った。 このことは日本人の仕事ぶりを示す...
旧ソ連時代に旧ソ連の4大オペラハウスの一つとして現ウズベキスタンのタシケントに建設されたオペラハウスは、旧満州から送られた日本人捕虜の手によって作られた。 20年後、タシケントを襲った地震で建物が軒並み崩壊する中、オペラハウスは無傷で残った。 このことは日本人の仕事ぶりを示すものとして現地の人々にはよく知られているが、日本で知る人は少ない。 作業に従事した旧日本兵とソ連軍幹部や現地人たちの交流は心を打つ。 オペラハウスに設置された銘板の「日本人捕虜」の記載は、ソ連崩壊後、「ウズベキスタンは日本と戦争したこともなければ、日本人を捕虜にしたこともない」として、新政権により「強制送致された日本国民」と変更された、という。
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2018年12月12日読了。 227ページ。 永田行夫、この人も旧日本軍人で評価されてもいい人。 弱冠24歳で、終戦ソ連軍の捕虜となり、満州からウズベキスタンのタシケントまで連れていかれ、500名弱の捕虜とともに歴史に残るオペラハウスの建設を指揮した人である。 このオペラ...
2018年12月12日読了。 227ページ。 永田行夫、この人も旧日本軍人で評価されてもいい人。 弱冠24歳で、終戦ソ連軍の捕虜となり、満州からウズベキスタンのタシケントまで連れていかれ、500名弱の捕虜とともに歴史に残るオペラハウスの建設を指揮した人である。 このオペラハウスはソ連の4大劇場にもなっており、1966年にタシケントを襲った、大地震でも周りの建物が崩れる中、ビクともせずに建っていた立派な建物である。 本当に良書、そしてこの話ももっと広められてもいい話。 訪れることは叶わないと思うが、このオペラハウスを見てみたい。 途中の殉職者のくだりで泣きそうになる。
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戦後、シベリア抑留者たちの中で、ウズベキスタンへと連行され、そこでオペラハウスの建造に関わった人たちの記録。 このオペラハウスはソ連4大劇場のひとつと称賛され、1966年タシケントを襲った 大地震にも耐えたそうです。 ウズベク人との交流などのほんわかする部分や、全員の無事帰国を...
戦後、シベリア抑留者たちの中で、ウズベキスタンへと連行され、そこでオペラハウスの建造に関わった人たちの記録。 このオペラハウスはソ連4大劇場のひとつと称賛され、1966年タシケントを襲った 大地震にも耐えたそうです。 ウズベク人との交流などのほんわかする部分や、全員の無事帰国を目標とした永田大尉は部下全員の氏名と住所を記録し、帰国後にラーゲリ会を発足、晩年まで集まり続けたという驚嘆するようなことがらも書かれています。 収容所、と一口に言ってもそれは一つきりではないし、各収容所ごとに特色というのか、雰囲気が違っていること。 それは管理する側のソビエト兵たちにもよるかもしれませんが、日本兵たちの代表者たちの人柄、考え方が大きく影響するのだと言うこともよく分かりました。
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2016.02.21 もっと早く読めば良かったな、と言っても変わらないけど。読んでおいて良かったし、意外と読みやすくおもしろかった。
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これは読んで良かった。現地に行ってみたくなった。文章が少し読みづらく感じた所があったけど、内容は本当に「目から鱗」。つい先日、本学主催の杉浦千畝さんに関する展示のお手伝いをしたけれど、この歴史も知る事で人生を豊かにできると感じました。子ども等にも読ませたいので、図書館で読んだけど...
これは読んで良かった。現地に行ってみたくなった。文章が少し読みづらく感じた所があったけど、内容は本当に「目から鱗」。つい先日、本学主催の杉浦千畝さんに関する展示のお手伝いをしたけれど、この歴史も知る事で人生を豊かにできると感じました。子ども等にも読ませたいので、図書館で読んだけど自宅用に一冊買おうと思います。
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シベリア抑留といえば、極寒の地での奴隷的強制労働しか浮かばない。後に、あのエリツィンが非人間的な行為だったと謝罪するほどだもの。いくら旧ソ連では南方のウズベキスタンとはいえ、ろくな食事も得られず、厳しいノルマで建設工事に従事する虜囚。帰国の目途もなく、およそ心身を健全に保つことな...
シベリア抑留といえば、極寒の地での奴隷的強制労働しか浮かばない。後に、あのエリツィンが非人間的な行為だったと謝罪するほどだもの。いくら旧ソ連では南方のウズベキスタンとはいえ、ろくな食事も得られず、厳しいノルマで建設工事に従事する虜囚。帰国の目途もなく、およそ心身を健全に保つことなどできない状況で、優れたリーダーに導かれ、懸命に労働する。結果、素晴らしいオペラハウスを築き、成果はもちろん、その仕事ぶりにウズベク人、さらにソビエト人からも尊敬されるのだから、同じ日本人として誇らしい。
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