民主主義ってなんだ? の商品レビュー
SEALDsってなんだ? 少しでも興味のある人は是非読んでみると良いと思う。2015年の活動初期から、ネットでスピーチを見たり、書き起こしを読んだりして、微力ながら応援していたつもりだったけど、応援されていたのは私自身だった。 勇気を持ち、自ら考え、謙虚に学ぶこと。 それがどんな...
SEALDsってなんだ? 少しでも興味のある人は是非読んでみると良いと思う。2015年の活動初期から、ネットでスピーチを見たり、書き起こしを読んだりして、微力ながら応援していたつもりだったけど、応援されていたのは私自身だった。 勇気を持ち、自ら考え、謙虚に学ぶこと。 それがどんなに大切なことか、よく分かる。
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この本で語っている人たちは、誠実に、自分で考えていると感じた。感情的になるのではなく、正直に自分に向き合い、考えなければならない。考えたこと、思ったことを話せない社会はいやだ。
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[「僕らの」言い分]小説家としても活躍する高橋源一郎と、反安保法案のデモで一躍注目を集めた「SEALDs(注:自由と民主主義のための学生緊急行動)」に所属する学生たちによる対談を記録した作品。「SEALDs」の結成とその歩み、そしてメンバーが考える民主主義について熱い議論を交わし...
[「僕らの」言い分]小説家としても活躍する高橋源一郎と、反安保法案のデモで一躍注目を集めた「SEALDs(注:自由と民主主義のための学生緊急行動)」に所属する学生たちによる対談を記録した作品。「SEALDs」の結成とその歩み、そしてメンバーが考える民主主義について熱い議論を交わしています。 ニュースでその名称だけはよく目にしていたのですが、実際にその思うところを目にすることで、この運動がどういったものかの一端を確認することができました。いくつかのレビューでは、メッセージに「中身がない」とか「空虚」という批判が散見されるのですが、これほどまでにぼんやりとして、かつ様々なところで矛盾の綻びを抱える運動が継続するには、そもそものはじめからそういった要素が必要不可欠であろうことは心に留めておいても良いかと思います(もちろん「ぼんやりとしたメッセージ」ではなく、「ぼんやりとしたメッセージの上に成り立つ運動」が悪いということで批判されている方もいるとは思いますが......)。 一つ気になったのは、下記の引用に見られるような「SEALDs」のメンバーが抱えている真っすぐな自己肯定性。「愚かな話をしてはならない」と他人の考えを遮る「自分らを肯定」することが許される根拠や、その姿勢が独善的にならないことをどのように保証するかという点について、もう少しどのように考えているかを聞いてみたいなと感じました。それにしても、普段読まないタイプの本っていろいろと新鮮な見方が得られて面白いものですね(なんだか水野晴郎さんの言葉みたいになっちゃいましたが......)。 〜(牛田)今は肯定の運動をやってると思ってて。安倍さんを肯定しようとは思わないけど、自分らを肯定してるんですよね。自分らを肯定すると、必然的に安倍さんを否定してしまう。……(奥田)話し合いも大事だけど、ギリシアで言うところの「愚かな話をしてはならない」っていう事も大事だよなって。〜 運動や思想の軌道をたどれば当然予期される「SEALDs」が陥ってしまうであろう盲点を無視もしくは極端に軽視して、こういった若者を(おそらくは一種の郷愁を胸に抱えて)次世代の旗手としてやいのやいのと持ち上げてしまった「リベラルな大人たち」の「罪」は重いのではないか☆5つ
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SEALDsについては多く語られすぎて、そのためにSEALDsについて語るのはとても難しくなっている。Amazonの評価が、10月のある日の記録で52の評価中星5つが20で星1つが20、と両極端に偏っているのはやはり少し悲しい。 本書は、高橋源一郎とSELADsのメンバーとの対談をまとめたものだ。高橋源一郎さんの本だからこの本を手に取ったと言える。対談をしている時点では、まだ安保法制は国会を通っておらず国会前の抗議デモを継続しているという比較的ホットな時期での対話になっている。主宰者の一人で、マスコミにもよく登場している奥田さんが明治学院大での高橋さんの「言語表現法」という授業の受講生であったということもあって、本書の対談は実現した。しかしその縁以前に、『ぼくらの民主主義なんだぜ』という本を上梓し、反原発などにもある種のシンパシーを寄せていて、また特に自身が学生時代にデモに参加をして逮捕された経歴を持つ高橋さんは、SEALDsに心情的にも共感する要素はもともと濃くあったのではないだろうか。 SEALDsは、Students Emergency Action for Liberal Democracy - s、の略。学生の運動で、緊急性を持ち、そしてリベラルな活動だということを示しているんだろう。もともとは2014年の秘密保護法への反対のために集ったSASPL (Students Against Secret Protection Law)のメンバーが元になっている。彼らのサイトを見ると、立憲主義、生活保障、安全保障の分野で、明確なヴィジョンを表明するとしている。 「日本の自由民主主義の伝統を守るため」や「リベラル勢力の結集を求めます」といった一種危うさも含む主張が掲げられている。SEALDsは毎週金曜夜の安保法反対デモを主宰するなど、2015年秋の今、マスコミにも多く取り上げられた。テレ朝の「TVタックル」で、異性との出会いを求めて集まっている人もいるのではないのか、みたいな取り上げ方をして取材をしていたのは論外として(これはいただけなかった)、それなりの扱いでマスコミにも取り上げられていたと思う。「朝まで生テレビ」にも呼ばれたし。一方、ネットでは、どちらかというと否定的に触れられることも多いように思う。個人的には、その意見に賛成しているわけではないが、行動を起こすことは悪いことではないと思っている。最初の対談では、奥田さん、牛田さん、芝田さんが自らの生い立ちや日常を率直に語っているが、マスコミの報道からだけでは得られない、個々の人の立体感のようなものが感じられてよかった。 本書のタイトルは、彼らのシュプレヒコールにも使われた言葉だ。これに対しては、「これだ」と叫ぶコールになっている。Occupy Wall Streetでの”Tell me what democracy looks like - This is what democracy look like!”という交換にインスパイアされたらしい。しかし、それは自らにも戻ってくる深い言葉になっている。そのことに気が付いているのだろうか。高橋源一郎は 『ぼくらの民主主義なんだぜ』で台湾のデモにも触れて、そのプロセスと成果、特にその終わり方、を非常に高く評価していた。かの作品中では、自分たちが何種類もの「民主主義」に参加していることに思い至ったと語る。「ぼくらの」民主主義があるように、「彼らの」民主主義もある。「民主主義」に関してはそのことについて常に意識的であることが求められるのだと思う。そして、高橋さんが言っているように「コミュニケートするっていうのは、相手と違う意見だからするんだ。同じ意見の人とはコミュニケートする必要はあまりないわけだからさ」 いずれにせよ、本書の中でもそう書かれている通り、言葉には定義が必要だ。 そして、少なくとももし何かを語るのであれば、彼らのサイトは覗いてみてからとすべきであろう。 http://www.sealds.com/ 法律が通過した10月18日の金曜日に渋谷街宣を行うという。彼らはこれからも運動として継続するのだろうか。 ---- 『ぼくらの民主主義なんだぜ』のレビュー http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4022736143
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等身大の学生が、政府のやり方、政府がおかしいと声をあげた。SEALDs結成のきっかけ、初期メンバーの生い立ちなどを高橋源一郎氏が話しを進め、対話記述のため、読みやすく、各人のそのままの言葉、飾らない人柄が垣間見れてとても親近感が湧いた。民主主義って何か?とこれまで真面目に考えたこ...
等身大の学生が、政府のやり方、政府がおかしいと声をあげた。SEALDs結成のきっかけ、初期メンバーの生い立ちなどを高橋源一郎氏が話しを進め、対話記述のため、読みやすく、各人のそのままの言葉、飾らない人柄が垣間見れてとても親近感が湧いた。民主主義って何か?とこれまで真面目に考えたこともなかったが、このことをきっかけに改めて考える機会となった。現在声をあげている人達のように、自らも決して諦めることなく、それは簡単なことではないが、民主主義の声をあげていきたいと強く思った。
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集団的自衛権の行使容認、安保関連法案の強行採決…安倍政権の暴走に対して若者が立ち上がった。この国の未来を諦めないために。自由と民主主義を実現するための新たなマニフェスト。
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ファッション化やカジュアル化する政治活動・民主主義再考活動についてのは、頭では納得しながら心では受付がたいと感じてしまうのはなぜだろう。まだ自分の中の整理がつかない。
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(高橋)安保法制を止めようとしていたら、他が止まっちゃった(笑)。実はすごく効果があると思う。すでにね。だって、全部つながってるんだから。僕は、こういう政治運動は何かひとつのテーマをやることでいいと思うんだ。(中略)他のテーマをやりたい人は他のところでやればいい。自分で考えて、自分で始める。ひとつのことを。実はそれがいちばん大きな力になるんだと思うんだよね。(pp.66-7) (高橋)重要なのは、何かが決まるまでの過程に全員が参加し続けられるかってことなんだよね。その過程で意見を言ったり聞いたりして、みんなが何を考えているかを知ることができる。みんなが知るってことが大事なんだ。なぜ、それが大事なのか。それは、古代ギリシアやルソーが考えている民主主義は単なる政治システムではなく、哲学や思想を含んでる、共同体の生き方に関係があるからなんじゃないかな。(p.147) (奥田)僕の高校の後輩なんですけど、民主主義は他者と生きる共生の能力だとジョン・デューイが言ってる、って話をよくしてる。学校教育とはすごく関わってますよっていう話で。社会では自分と全然違う人たちと生きていかないといけない。そういうときに言葉だったりとか、技術的なことだったりとか、能力を高めていく。つまり、他者と生きていく能力を高めていく。それが教育だ、と。(p.166) (高橋)人間の母親は「こうやってミルクを飲むんですよ」とは方法を説明しない。いきなりミルクを飲ませるわけ。具体的に生きることそのものが教育なんだよね。人間と人間との関係から教育は始まっている。最初は母親、そして父親が入り、別の過程が入り、社会が入り、どんどん広がっていって、社会から教育を受けていく。その中で僕たちも変化して違ったものになっていく。この教育システム全体が、ひとつの民主主義のシステムなんだと考えてみる。(p.168) (高橋)認知症の人間も障がい者も実際に弱い。でもそこで「平等」「同じ」というフィクションをつくったとき、そこにできる共同体は実はすごく強い。リアリズムでやってるつもりの共同体のほうが実は弱い。「弱い人間はあっちに行って」というふうにやると、強い人間だけが真ん中に残るいびつな社会になる。弱い人間も入れて、全部平等で同じっていうふうにしていく世界のほうが、運用は難しいけれども、結果としてははるかに強いものになる。(中略)民主主義は、決して議会制民主主義だけにとどまらず、あらゆる場所にあるし、また同時に立憲主義で縛らないといけない場合も出てくる。民主主義が完全なかたちのものではないからこそ難しい。難しいから、教育になるってことだと思う。(p.180) つまり歴史を堆積物として見る。どこかで歴史ががらっと変わったとするんじゃなくて、堆積物としての歴史があって、その上に僕らが立っている。そういうふうにして理解していく。だから組み合わせで成り立っているということなのかなって。そういう歴史の見方辞退が重要。(p.190)
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読了。民主主義とは簡単に定義できる概念ではないことがハッキリした。むしろ、どう民主主義を定義するかに個人の価値観が現れてくるという点において、民主主義を語ることは政治参加を促すものだと思う。 SEALDsのメンバーと高橋源一郎氏が引き合いに出したルソーの言葉には、民主主義の本質に向き合わせてくれるヒントが含まれていた。大事なのはみんなの意見をまとめて意思決定することではなく、他者が多様なオピニオンを持っている現状を認め、それを共有すること。一度決まった結果には従うけど、そこを起点にして「これってでも、おかしいよね」と声を上げることに意義があると、対談メンバーは述べた。民主主義=多数決ではないことは、明白である。 しかし、ルソーの思想にしろ対談メンバーの主張にしろ、いずれの議論の根底にあるのは、民衆の自発意思である。つまり、自ずから政治に参加する動機がなければ、メンバーたちの議論は成り立たないはずである。根底にある考えとして、どうしたら政治的無関心と呼ばれる層を政治参加に取り込めるか、なぜ、政治に関心の目を向けなければならないのかといった問いが登壇者の議論から欠けていた。 日常において、政治をどれだけ生活レベルで連続性をもたせる形で語り続けることができるかが、今後の課題になるだろう。
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