その〈脳科学〉にご用心 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
脳科学、特にfMRI画像って何故か無条件で信用されて、研究室レベルの知見がメディアをはじめとした一般社会に都合のいいように解釈されて、挙句の果てにはヒトの人生を左右する法廷にまで持ち込まれる。本書はそういった時代の潮流に一石を投じる。実名・団体名を挙げてがっつりと批判する。脳研究をする身としては、多くの人に読んでもらいたい本。
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fMRIとMRI、PETのスキャン方法の違いやスキャンした画像が示す事柄の違いなど、脳スキャンについての基本的なことが詳しく書かれており、勉強になった。 それらを踏まえて、安易に「脳画像がこうなっているから、この脳はこう考えている/感じている」と論ずることの危うさ、杜撰さが理解で...
fMRIとMRI、PETのスキャン方法の違いやスキャンした画像が示す事柄の違いなど、脳スキャンについての基本的なことが詳しく書かれており、勉強になった。 それらを踏まえて、安易に「脳画像がこうなっているから、この脳はこう考えている/感じている」と論ずることの危うさ、杜撰さが理解できた。今後の生活で脳画像を見たときは、テレビや記事のセンセーショナルな主張に対して注意深くいることができそうだ。 また、アメリカでの脳ビジネスの勃興と氾濫を垣間見た気がした。 元の文章のせいか翻訳のせいか、全体を通して非常に読みづらい。一文がだらだらと長く、入れ子の修飾部が多すぎる。その上に最後の方では哲学の話まで波及するので、取り扱うものの難解さと相まって半分も理解できたか分からない。 ただ切り口は非常に興味深く、現代が脳の時代であることを感じさせられた。
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エイドリアン・レイン「暴力の解剖学」読後に、読みました。非常に興味深い読書が出来ました。人は脳であるか。何となく、そうなんじゃないのかな、という気分に、脳についての本を読んでいると、陥りそうになります。が、果たしてこのまま脳は、脳の働きは解き明かされてゆくのか。何がどんな風に説明...
エイドリアン・レイン「暴力の解剖学」読後に、読みました。非常に興味深い読書が出来ました。人は脳であるか。何となく、そうなんじゃないのかな、という気分に、脳についての本を読んでいると、陥りそうになります。が、果たしてこのまま脳は、脳の働きは解き明かされてゆくのか。何がどんな風に説明出来るようになっていくのか、突然価値観がひっくり返るような事が起こるのか、と、はやる心に、まてまて、あのね、と、諭してくれるような本でした。これからもっと、人間の行動や心理について解って行くだろう。人間の行動要因は本当に複合的な要素から出力されているはず、是非、各分野の学者さんたちは、仲良くお願いね。
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脳科学の研究は行動の選択を支える脳のメカニズムについて多くを教えてくれたが、実社会にこの情報を応用するとなると、使える範囲は限られている。なぜなら、人間の行動は脳のレベル以外にも多くのレベルの影響を受けているからだ。 たとえば、ニューロマーケティングについては、店内の音楽のテンポ...
脳科学の研究は行動の選択を支える脳のメカニズムについて多くを教えてくれたが、実社会にこの情報を応用するとなると、使える範囲は限られている。なぜなら、人間の行動は脳のレベル以外にも多くのレベルの影響を受けているからだ。 たとえば、ニューロマーケティングについては、店内の音楽のテンポ、有名人による製品推奨、広告が注意をひく力、精神的な疲弊度、CMのTV番組の性質による知覚度の違いなど、さまざまな影響の不協和音が一度に私たちに作用している。互いに打ち消しあうものもあれば、目新しいかたちで組み合わさるものもあるし、私たちの中から現れるものもあれば、外の環境に由来するものや、さらには、広告主が生み出すものもある。暗黙の無意識のプロセスと、明白な意識的能力がいっしょになって、私たちを導くのである。 脳科学や脳画像法の発展は、科学史における画期的な出来事であり、その将来は有望である。ただ、脳科学だけでは人間を完全に理解することはできず、さまざまなレベルから、心の領域に光を当てる必要があり、また、科学のみでは人間にまつわるさまざまな問題は解き明かしえない。
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いっとき、「脳トレ」がずいぶんもてはやされ、書店ではその類の本がたくさん陳列されていたものだ。 今ではそのブームも下火になったようだが、脳科学という分野が人体の最後にして最大の謎のように思え、人々を惹きつけることに変わりはない。 さて、たまに目にすることがある脳画像。 何かをし...
いっとき、「脳トレ」がずいぶんもてはやされ、書店ではその類の本がたくさん陳列されていたものだ。 今ではそのブームも下火になったようだが、脳科学という分野が人体の最後にして最大の謎のように思え、人々を惹きつけることに変わりはない。 さて、たまに目にすることがある脳画像。 何かをしている時にどの分野が活発化しているかというのを示すものだ。 それを見て我々は何となくわかった気になってはいないだろうか。 そのわかった気に警鐘を鳴らすのが本書である。 私たちがどの政党を支持するか、何を買いたいと思っているか。 それは自分で考えた末の行動のはずだ。 ではその行動を解析して、脳にある刺激を与えれば、購入ボタンを「ポチッとな」、押してみたり、投票用紙に名前を書いたりするようにできるのではないか......? いやいや、それよりも悪さをする人を脳で判断して事前に悪の芽を摘んでおく方がいいんじゃない? こんな考えに私は恐怖を覚える。 どうして私の心を勝手に操作s、判断されなければならないのだ、と。 平均は作れるかもしれない。 けれども、大したことのない差異を大きく捉えられ、あなたは異常だ、あるいは、あそこが同じように活発化しているからあなたと私は同じ考えね、そんな捉え方が本当に心を理解していると、人間を理解していると言えるのだろうか? よく考えてみればこんな判断の仕方はあまりに横暴だとわかるのに、我々は脳画像という「はっきりした証拠」を見せられると最新科学の「葵の御紋」にひれ伏してしまうのだ。 人の心を知るには我々の研究、理解はまだまだ始まりに立ったにすぎない。 例えば、脚注を読んで、日本語は縦でも横でも読み書きできて便利だなあなんて本文とは全く関係ないことを私が考えていたとしても、もしかしたら私とあなたは同じところが活発化しているかもしれないのだから。
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脳科学の様々な社会への過剰な適用に関して、警笛を鳴らす本です。少しブームが去りつつある気もしますが、日本でも一時かなりテレビなどで取り上げられた脳科学ですが、アメリカなどでは、司法やマーケティングなどにも入り込んでおり、そのあたりに関して、行き過ぎでは、と著者は言います。基本的に、著者の、まだそこまで断定的に言えるほど、脳については分かっていないよ、という意見に賛成です。第6章は著者の主張が強く、独演会のようになっていて、科学的根拠に乏しい気がしました。自由意思があることを示す根拠でなく、自由意思があるとみんな直感的に思うから、自由意思はあるんだよ、といった感じで、他の章のように、自由意思に関しては、まだ断定的に言える段階ではないね、という感じでいいのではないかと思う。今後のこの分野はさらに解析が複雑化して、専門家と市民との距離が遠くなる可能性が高くて、より無理な単純化が進みそうですので、こういう本を読んで、自制を促すのがよいのかもしれません。
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