断片的なものの社会学 の商品レビュー
いろんな人の生活を切り取ってまとめた一冊.冗長あふれる光景から,何とも言えない一場面を描いたりと様々な生活の形を断片的に見せてくれる.感受性が高い人にとっては受け取れるものが多いのだろうが,私はそこに至ることができずだらだらと読んでしまい,面白さを享受することができなかった.もう...
いろんな人の生活を切り取ってまとめた一冊.冗長あふれる光景から,何とも言えない一場面を描いたりと様々な生活の形を断片的に見せてくれる.感受性が高い人にとっては受け取れるものが多いのだろうが,私はそこに至ることができずだらだらと読んでしまい,面白さを享受することができなかった.もう少し人生経験を積んでから再読してみたいと思う.
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ずっと、わからないし、ままならない。 言葉によって核心をつけないようなことたち。 この本は、解像度をあげて、一緒に世界をみようと横に立ってくれる。 星野智幸さんの帯文「この本は何も教えてはくれない。ただ深く豊かに惑うだけだ。そして、黙ってそばにいてくれる。」が、本当に的を得てい...
ずっと、わからないし、ままならない。 言葉によって核心をつけないようなことたち。 この本は、解像度をあげて、一緒に世界をみようと横に立ってくれる。 星野智幸さんの帯文「この本は何も教えてはくれない。ただ深く豊かに惑うだけだ。そして、黙ってそばにいてくれる。」が、本当に的を得ている。 多くの人のインタビューやサーベイを通した著者でさえ「わからない」。自分なんてもっとわからない。でも、目を背けないで、せめて祈ることだけでも。 あの異性装者が顕したユートピアはどこかにあるだろうか。 また戻ってきたくなる1冊。
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とても良かった。 特に、「結婚式」に普段から漠然とした違和感を感じていたことが言語化されていた。 祝われている人たちは悪くない。 水を差したいわけでもない。 でもその祝福の形式は、ある人たちを透明にしてしまう暴力性を孕んでいる。 考え続けたいことだと思った。 そしてその祝福の外...
とても良かった。 特に、「結婚式」に普段から漠然とした違和感を感じていたことが言語化されていた。 祝われている人たちは悪くない。 水を差したいわけでもない。 でもその祝福の形式は、ある人たちを透明にしてしまう暴力性を孕んでいる。 考え続けたいことだと思った。 そしてその祝福の外側で、ちゃんと生きている人生のかけらも詰まっている。たくさんの言葉に救われた。 全てに共感ではないけど、とても読めて良かった本です。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
私も、ふとした出来事から色んなことに思いを巡らせて、果ては社会との関係に思いを至らせがちなのだが、まさにそんな内容の、とりとめもないが、何か一貫したものが感じられる社会学者によるエッセイ。 面白かった。
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すごく良かった。 ひとは一人では生きられないが、一人一人脳みその中はひとりぼっちだ。おまけに他人との距離感がないと息が詰まる。そのくせ他人との距離感が近づいて、自分と他人の輪郭が判然としないことに喜びを感じることすらある。 境界線内側と外側。 それははっきりしているようで曖昧...
すごく良かった。 ひとは一人では生きられないが、一人一人脳みその中はひとりぼっちだ。おまけに他人との距離感がないと息が詰まる。そのくせ他人との距離感が近づいて、自分と他人の輪郭が判然としないことに喜びを感じることすらある。 境界線内側と外側。 それははっきりしているようで曖昧なのかもしれない。白でも黒でもなく曖昧な色彩。 僕たちはそういうものを抱えて生きてゆく。 そういうことを再確認した読書体験。
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著者のあとがきにとても共感。そもそも私たちは孤独なのだから、もう少し面と向かって話をしてもよいのでは、という思いから生まれた本とのこと。無意味だからと何もしないのではなく、無意味と知りながら行動を起こすことで社会は創られる、と思う。
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日常の気にしていなかったというか、気にしちゃダメみたいなところを自然に言語化されていてなんだかスラスラと心に入ってくるというか救われる時間だった。
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はじめてのエッセイ(これがエッセイと表現していいかわからないが)。 自分には合わないと思ったが、読んでいて、どこかしか素朴な時間を得られた気がした。
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物や出来事について、過度に意味付けをしたり結び付けたりせずに、ただそのものとして見る。 自分もどちらかというとそうだから、共感できた。
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ヤーレンズ出井さんがストーリーに上げていて、表紙とタイトルで絶対自分が好きなやつだと思い図書館にて。 読み終わった後、無性に今一緒に住んでいるパートナーに感謝したくなった。大変月並みだけれど、一緒にいてくれてありがとうと思った。自分が本書を読んだこともこんなことを思っているなん...
ヤーレンズ出井さんがストーリーに上げていて、表紙とタイトルで絶対自分が好きなやつだと思い図書館にて。 読み終わった後、無性に今一緒に住んでいるパートナーに感謝したくなった。大変月並みだけれど、一緒にいてくれてありがとうと思った。自分が本書を読んだこともこんなことを思っているなんてことも梅雨知らずぐーすか昼寝していたけれど、昼寝している人が隣にいて、その人の体温が温かくて、その人の匂いがして、この究極の偶然の重なりはとても素晴らしいことで、その瞬間に自分はいて、なんだか本当に奇跡のようだなと思った。 小さい頃から「車が並んで走っている光景」が好きだった。個別の車には興味はない。1台ではなく、何台もいる光景が好き。自分も自分ちの車に乗って、走っている。周りにも色んな大きさ、色、ナンバーの車が走っていて、色んな人が乗っている。追い越す時もあれば、信号で隣に並ぶときもあり、追い越される時もあり、渋滞で並んでいる時もある。 なぜ好きなのか今でもうまく説明できないけれど、直感的に、著者が「道端に落ちている小石を適当に拾い上げ、そのたまたま拾われた小石をいつまでもじっと眺めていた」行為の意味と全くではないけれど、同じだと思った。「ああ、こういうことだ」と感じた。 「『すべてのもの』が『このこれ』であることの、その単純なとんでもなさ。そのなかで個別であることの、意味のなさ。」 かけがえのない、世界に1つしかないものが、私の手のひらにあり、世界中の路上に無数に転がっている、ということ。 その果てしなさに自分もうっとりしているのだ。 今目の前を走っている車には、家族が乗っている。どこの誰かも分からないし、どこに行くのかまたはどこへ帰るのかも分からない。けれど、今この瞬間だけは、自分とその家族は前後に並んでいて同じ空間を共有している。他の車にも同じように、誰かが乗っていて、その人たちはその人たちの目的を達成するために車に乗っている。でもそれを周りの車に乗っている人は知らないし、別に知る必要も知らせる必要もない。けれど、その過程の一瞬を自分が目撃しているということは事実。そこにその事実はあるのだが、誰の目にも触れない。当たり前のようにそれぞれの車には走っている目的があり、どの車もその過程でこの道、この交差点を共有しているけれど、どの車もそれを知らんふりをしているようで、けれど別に排除しようとしてはいなくて。存在は認めているが興味はないみたいな感じ。それが無数に集まっている状態の果てしなさと今目の前にいる車のかけがえのなさ。その果てしない感じにうっとりしているのだ。 初めて「自分は単純なとんでもなさにうっとりしていたのだ」と理解した。なんということだ、驚愕だ。 自分が特に海外旅行が好きな理由も、ここに似ている。ここに行こう、と決めた国の、ホテルの近くの、屋台のおばちゃん。自分と彼女の人生が交わる時間はたぶん今しかなくて、よほど特別なことが起きない限りもう会うことはない。屋台を去った後に残るのは、あのごはんおいしかったなという記憶(それはそれで特別)とおばちゃんだったな、という記憶。おばちゃんの方は1日にたくさんの人にごはんを出すわけだからおそらく自分のことなんて記憶にもない。けれども、確かにあの瞬間、自分とおばちゃんは出会って会話して、うまいめしを出してくれて、うまいめしをいただいたのだ。それは事実なんだ。そしてうまいめしを食べているまさに瞬間にも、同じような出来事はきっと世界中に同時多発的に起こっているのだ。民族とか大陸とか文化とか関係なく、人と人が出会って一瞬だけ交わって、ということが起きているのだ。 その事実に自分はうっとりする。なんて果てしなくてかけがえのない瞬間なんだろうと。 今まではなぜ海外旅行が好きか?と聞かれたら「自分がちっぽけな人間であることを感じられて安心するから」というのが答えだと思っていたが、あながち間違ってはいないが、ちょっと足りていなかった。とても果てしなく、でもかけがえのない瞬間の連鎖にうっとりしていたのだ。 私たちは断片的なものの集まりでできている。私たちが「この私」であることにすら何の意味もない、無意味な偶然でこの時代この場所に生まれたのだ。 ないものねだりをするから辛いのかもしれないし、それでもないものを求めて少しでも近づこうと生きるもんなのかもしれない、とも思った。どっちであっても世界にとってはあまり意味のないことだから、どっちがいいのかは自分で決めていいんじゃないかと思う。
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