透明の棋士 の商品レビュー
面白かった。 ブックレットと言いたくなるような、大変うすい本である。 将棋という知的な営みと、人間の悲喜こもごものドラマが対照をなす。そして、著者は地味にセンチメンタルである(笑)。 単純に内容が面白いので読む、という読書は久しぶりな気がする。
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筆者の北野新太は、本書発行当時、報知新聞の文化社会部で将棋を担当している新聞記者であった。本書は、彼が色々な雑誌に掲載していた、将棋、あるいは、棋士に関してのエッセイ・コラムを集め、加筆・修正し、更に書き下ろしを加えたもの。 2015年の発行。 本文中に、電王戦の記載がある。電王...
筆者の北野新太は、本書発行当時、報知新聞の文化社会部で将棋を担当している新聞記者であった。本書は、彼が色々な雑誌に掲載していた、将棋、あるいは、棋士に関してのエッセイ・コラムを集め、加筆・修正し、更に書き下ろしを加えたもの。 2015年の発行。 本文中に、電王戦の記載がある。電王戦は、プロ棋士が将棋ソフトと戦う棋戦。本書では、2013年の第二回電王戦で戦った、三浦弘之についてのエッセイが記載されている。2013年の電王戦は、プロ棋士5人が将棋ソフトを相手に1勝3敗1分という惨敗を喫した年だ。将棋というゲームに対して、人間とコンピュータの、どちらが強いかということに決着がついた年と言っても良い。しかし本書で、筆者の北野新太は、三浦の、あるいは、プロ棋士全体の奮起を促している。人間が将棋でコンピュータに負けるのは納得が出来ない、という考えで。そこに時代を感じる。 上記したが、人間とコンピュータの戦いには決着が既についており、電王戦も既に行われなくなっている。それでも、藤井聡太の出現などにより、将棋は人気を保っているというか、当時よりも現在の方が将棋人気は高い。それは、結局のところ、人間とコンピュータの、どちらが将棋が強いかということに、将棋ファンはあまり興味がなく、「人間の中で」誰が将棋が強いのかに興味がある、ということである。例が適切かどうかは分からないが、人間とクレーンのどちらが重量挙げで重いものを持てるか、あるいは、人間とオートバイのどちらが100mが早いか、ということに興味を持つ人はいないだろう。それと同じことだと思う。 2013年から8年が経過している。8年という期間の長さを感じた。
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棋士の気持ちに寄り添った取材ありきの文章がとてもよい。ここまで感情移入して読みふけったのは将棋界の情報を短い間に調べで吸収してきたからかな。 藤井聡太さん登場のちょい前からの棋界のエピソードなど、新たな情報にワクワクしかなくて。例えば、本田女流はたまに見かける聞き手のイメージしか...
棋士の気持ちに寄り添った取材ありきの文章がとてもよい。ここまで感情移入して読みふけったのは将棋界の情報を短い間に調べで吸収してきたからかな。 藤井聡太さん登場のちょい前からの棋界のエピソードなど、新たな情報にワクワクしかなくて。例えば、本田女流はたまに見かける聞き手のイメージしかなかったけど、彼女が経てきた苦悩の一端をこの本から知ることができて良かった。
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プロの将棋棋士たちへの取材とインタビューをもとにしたノンフィクションです。 扱われるのは1章がサラリーマンから棋士へ挑戦した瀬川晶司、年齢規定がせまる中でプロへの昇段を目指すアマチュア棋士、女流棋士、2章がAI将棋と戦った棋士たち、3章が羽生善治に挑む中村太一、4章が羽生善治と...
プロの将棋棋士たちへの取材とインタビューをもとにしたノンフィクションです。 扱われるのは1章がサラリーマンから棋士へ挑戦した瀬川晶司、年齢規定がせまる中でプロへの昇段を目指すアマチュア棋士、女流棋士、2章がAI将棋と戦った棋士たち、3章が羽生善治に挑む中村太一、4章が羽生善治と羽生についてのインタビューに答える棋士たち、5章が再び瀬川晶司についてです。大きくは5章に構成されたうえで、各章が数ページごとの短い節に分かれています。 ノンフィクション作品のなかでも淡々と調査を進めるなかで事実を浮き彫りにするといったスタイルではなく、取材者が尊敬する棋士たちへの思い入れを語る抒情的なタイプの作品で、各章のタイトルや文章の端々からも著者の熱量を伺うことができます。
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全編を通して、著者は自分が書く記事、自分の仕事のことを、棋士の立場からみたら、小さなこと、と捉えているような雰囲気がある。 棋士が取材のために時間を割いてくれることに対して、「何の得にもならない」とか、「申し訳ない」とか、そんな言葉がちょくちょく見られる。 でも多分、書かれる側と...
全編を通して、著者は自分が書く記事、自分の仕事のことを、棋士の立場からみたら、小さなこと、と捉えているような雰囲気がある。 棋士が取材のために時間を割いてくれることに対して、「何の得にもならない」とか、「申し訳ない」とか、そんな言葉がちょくちょく見られる。 でも多分、書かれる側としては、それはとても大きなことのように私は思う。良きにつけ悪きにつけ、とても大きなことではないかと思う。
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タイトルにある、棋士の「透明」感を強く感じさせる内容であった。 神の域に近づいた存在というものは、雑念や雑音とはかけ離れた世界を生きているのだと強く感じさせられた。 時として作者の言葉が雑音に感じられ、登場人物の中で「作者だけが透明じゃない」という(笑)本であった。 薄さの割...
タイトルにある、棋士の「透明」感を強く感じさせる内容であった。 神の域に近づいた存在というものは、雑念や雑音とはかけ離れた世界を生きているのだと強く感じさせられた。 時として作者の言葉が雑音に感じられ、登場人物の中で「作者だけが透明じゃない」という(笑)本であった。 薄さの割に、読みごたえのある本。 良書である。
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装丁買いはしょっちゅうだけど、コンセプト買いは初めてかもしれません。 “カフェタイムに一冊を”ーーミシマ社発・コーヒーと一冊シリーズ第一弾として刊行された3冊の内の1冊が、本作「透明の棋士」です。 “ページ数を少なくすることで、コーヒーを飲みながら読み切ることができる。” ...
装丁買いはしょっちゅうだけど、コンセプト買いは初めてかもしれません。 “カフェタイムに一冊を”ーーミシマ社発・コーヒーと一冊シリーズ第一弾として刊行された3冊の内の1冊が、本作「透明の棋士」です。 “ページ数を少なくすることで、コーヒーを飲みながら読み切ることができる。” “「一冊を読みきる」という喜びを体感してもらって、また本を読みたい!という気持ちになってほしい。” 何それ素敵。 というわけで、コンセプト買いです。 装丁も素敵だったけど、それが一番大きいかな〜。 この本と店頭で出会った時、仕事でバタバタ忙しなく動いていて、ゆっくり家で読書する心の余裕がありませんでした。 そんな状態だったからこそ、もしかしたら本作が目に飛び込んできたのかもしれません。 さて、本作、「透明の棋士」です。 同時期リリースの二作品ではなく、こちらを選んだのは、幼い頃、将棋を指す大人達の姿が私自身の原風景にあるからでしょうか。 今は亡き父方の祖父が将棋をかじっていて、学校帰りに寄ると教えてくれたこともあったっけ。 叔父さん達がお盆や正月で集まった時に、盤上をムッツリ見下ろしている姿を見た時に、「なんか頭良さそう!かっこいいなー」と子供心にワクワクしたことを覚えています。 小さな駒がそれぞれ役割を持っていて、決められたルールの中で相手の考えを読んで戦う、という行為が、「大人がたしなむ知的なゲーム」っていう感じがしたんですよね。子供には踏み込めないし楽しめない未知の世界!みたいな(笑)。 だから、祖父に教えてもらってる時は、大人に近づいてるみたいですごく嬉しかったなー(笑)。 閑話休題。 本編感想です。 報知新聞文化社会部に在籍する著者による、棋士達の日常や静かな攻防を追ったエッセイ。 作品の中に出てくる棋士達の、将棋に対する熱量が伝わってくる秀作です。 ただ、彼等が思いを雄弁に伝えるのは、言葉ではなく盤上の一手なんですね。この時点で、パンピー(古)の私からしたら別次元すぎて「ヒェ〜カッコいい〜」以外の言葉が出てこないわけです(悲)。 棋士達が指す一手・語る言葉と真摯に向き合う著者の視線が、棋士達への尊敬と畏怖、そして将棋への愛に溢れているのがすごく心地よかった。 それにしても、羽生善治という人は、やっぱり将棋界の中でも別次元にいる人なんだなあ。
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中村太地5段(当時)の話と 里見香奈女流名人を 見舞いに来た羽生さんの話がいい。 棋士という人々は怖ろしく魂が澄んでいる。 澄んでいるからと言って必ずしも キレイだけではない その生き様を賭して戦っている姿には 感服せざるおえない。
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ネットのコラムや雑誌の連載記事を、加筆修正した一冊。 将棋棋士を、作者さんから見た視線です。 将棋も、観る将なので、こういうのも好きなんですよね。
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薄い本だけど、詰まっている熱量はかなりのもの。 その熱量はタイトルにあるとおりの、透明なソレだ。 様々な棋士が描かれているが、羽生さんの存在感は別格なのだろうなぁと感じる。 生ける伝説なんだろうなぁ。
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