進みながら強くなる の商品レビュー
小さく損して大きく得する。自分がこうすれば無駄がなくて最高の得を得れるというのは、別の視点から見れば最高の得を得れていないことがある。 何事もいきすぎた完璧主義はいかん。
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欲望道徳論。なんかすごい響き。 ひらけば前書きのインパクトが強い。「口実」が大事だ、と。 「他発性」による「見切り発車」。自分の力で何かを動かしていけない人にぴったりだ。 さらに前書きは続く。 少子高齢化を救うためには社交ダンスの復活しかない。 社交ダンスは「口実」...
欲望道徳論。なんかすごい響き。 ひらけば前書きのインパクトが強い。「口実」が大事だ、と。 「他発性」による「見切り発車」。自分の力で何かを動かしていけない人にぴったりだ。 さらに前書きは続く。 少子高齢化を救うためには社交ダンスの復活しかない。 社交ダンスは「口実」として実に便利。 性欲全開の若い男女、そして家が厳しい時代でも「ダンス」が口実になった。 合コンは「口実」がなくて目的が露骨すぎる。ダンスと目的は実は同じなのに。 「今度、飲みにいきませんか?」と「今度、セックスしませんか?」も、「口実」の違い。 けれど、本文にはダンスも合コンもセックスも成功させる秘訣はない。(合コンがすでに成功から離れたところにある記述はあり、じゃんけんの必勝法はあるけど)。 安倍政権による道徳教育はヤバそうで、新しい道徳というのは「正しく理解された自己利益」だと語る。どうしてそうしたほうがいいのか、考えることだ。同じ答えなど常にはないのに同じ答えが用意されているような道徳は調教にすぎない。 なんか割と真面目だった。面白い単語や述語は結構出てくる。「口実」でいろいろなんとかなる気がした。
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個人個人の幸福追求が、ひいては社会全体の幸福につながっていく。そうなるような形の幸福を追求するための考える力とは、合意形成のあり方とは。ときどき首を傾げたくなる根拠に基づいた話もあったものの、興味深く読めました。
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私たち、やりたいこと・やらなければならないことを「まだ準備ができていない」「もう少し準備してから」という理由で先延ばしにしがちですが、それをとりあえず「見切り発車」してしまって、進みながら力をつけるべし、そうした方が力がつく、と説きます。見切り発車に尻込みしてしまうときには、「~...
私たち、やりたいこと・やらなければならないことを「まだ準備ができていない」「もう少し準備してから」という理由で先延ばしにしがちですが、それをとりあえず「見切り発車」してしまって、進みながら力をつけるべし、そうした方が力がつく、と説きます。見切り発車に尻込みしてしまうときには、「~なので、仕方なく」という、自分ではどうにもならない「なにごと」かを理由に使え、とも。(私が自分で一番使っているのは、家族や友人に公言してしまうという方法です。見栄っ張り、恰好つけがりの人にはよく効きます。) 著者はフランス文学の研究者で作家ですが、この方が物書きになったきっかけは、友人が雑誌「ふらんす」の編集部と勝手に話をつけて連載を書かされることになったことだそうで、「もっと準備してから」と思ったものの見切り発車で連載をはじめ、それが翌年にサントリー文学賞を受賞し・・・。 第1章「死ぬまで上昇カーブで力をつける」、その一節「読書こそ「進ながらつよくなる」ための王道である」などなど、私に刺さるタイトルが目次に踊っていたので、最近は楽天かアマゾンでしか本を買わない私ですが、本屋でそのままレジに持っていきました。 自分の中で「もうちょっとしてから」「そのうちに」を連発しているかも。。。と胸が苦しくなったアナタ、そうそこのアナタ、はじめに、と第1章だけでも構わないので読んでみてください。エッセー風なので、さくっと立ち読みできてしまいますが、著者と出版社に敬意を評して相応の対価をお支払いただくのもよいでしょう。
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「ところが、「理性が足りない!なんでもっと理性をくれなかったんだ!」と神様に文句を言う人はいない、というのです。」 フランスに造詣が深い作者の本。この本のキーワードの1つは”ドーダ”であろう。誰もが他人に認められたいと思っている。どうだ、俺はすごいだろう。その思いが公共を富ませ...
「ところが、「理性が足りない!なんでもっと理性をくれなかったんだ!」と神様に文句を言う人はいない、というのです。」 フランスに造詣が深い作者の本。この本のキーワードの1つは”ドーダ”であろう。誰もが他人に認められたいと思っている。どうだ、俺はすごいだろう。その思いが公共を富ませる。自己利益の追求こそ公益の拡大につながる。これはアダム・スミスの考え方と思うんだけど。本書ではそれをトクヴィル、デカルト、パンセから導く。 本書ではプロテスタンティズムの禁欲が資本の蓄積に大いに役だった、とある。ウェーバーのプロ倫では、お金を稼ぐのは良いことだと言うプロテスタントの教えがプロテスタントの勤労を促した、と説かれている。それは著者の言う陰ドーダなのか?”禁欲している私ってすごい”という発想のもとプロテスタントが勤労な生活をしていたとは思えない。教えに従っていただけなのでは?それとも”そんな教えに従っている私ってやっぱりすごい”と思っていた、と思っているのだろうか。 表紙裏に書いてある内容はこの本の主ではない。
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鹿島さんのこれまでに伝えてきた「ドーダ」という人間社会における起動力の重要な自己認知欲求の話を絡めながら、社会の変化にあわせた“新しい日本の道徳”の必要性を紹介、提案している本。一人ひとりが「正しく理解された利益」を自分の頭で考えられるようになることが大切と説いている。すなわち「...
鹿島さんのこれまでに伝えてきた「ドーダ」という人間社会における起動力の重要な自己認知欲求の話を絡めながら、社会の変化にあわせた“新しい日本の道徳”の必要性を紹介、提案している本。一人ひとりが「正しく理解された利益」を自分の頭で考えられるようになることが大切と説いている。すなわち「自分だけの得」という短絡的でなく、少し譲って他人の得も残すことで、「自分の得」が得られるという社会契約の考え方が、今後の道徳の基底に求められているという考え方の紹介をしている。 最終章では、グローバル資本主義の弊害を緩和する方策として、金持ちの「ドーダ」心をいかす「寄付の金額番付の発表」を提唱しているが、実現したらよいグッドアイデアであると思った。
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