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利休の闇 の商品レビュー

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15件のお客様レビュー

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2021/02/11

秀吉は針売りから身をおこし立身出世に邁進する、時代の流れに天才的な勘を持ちおまけに運までついていた。対、潔い求道者の利休という構図が浮かぶが。 前に読んだ山本兼一著「利休にたずねよ」はまさに期待通りの展開で面白かった。 今回の加藤廣著は、より信憑性を求めているのか、文献に沿っ...

秀吉は針売りから身をおこし立身出世に邁進する、時代の流れに天才的な勘を持ちおまけに運までついていた。対、潔い求道者の利休という構図が浮かぶが。 前に読んだ山本兼一著「利休にたずねよ」はまさに期待通りの展開で面白かった。 今回の加藤廣著は、より信憑性を求めているのか、文献に沿って物語がやや細かく進んでいく。 やはり、資料だけでは不明なことが多く、歴史書はここをどう埋めるかに腐心するのだろう。 構想15年という「信長の棺」が話題になって評価されていて、とても期待していた。 面白かった。 秀吉の出自を引きずるいじけ具合や、出世第一の生き方、機を見るのに敏で、戦国時代ではこれに尽きるが、その上何かにつけてついていた。追従術にたけ呵責もなかった。やはりこれも秀吉の才能ということだろうか。 こういう風に利休を語るには秀吉が付いて回る。利休はその時どうしていたか、この本では歴史の歯車は二人を乗せて回っていく。 信長は、天才だったが、本能寺で焼き討ちに会い、ここでは生死も行方もはっきりしなくて、さっさと舞台から消える。光秀も討たれる。 秀吉と茶道・侘茶との接点は、信長の好きな赤烏帽子だった。高名な茶道御三家の一人宗易(のちの利休)に弟子入りする。 その頃の藤吉郎は利休の言う「遊び心の深さ」が言葉からしかわかっていなかった。 藤吉郎は信長から「茶会許可証」をもらい得意満面で姫路城で茶会を開いた。それは自他共に密かに天下取りの一人者と認め、認めさせる外部アピールの瞬間だった。 秀吉なりに向かう姿勢は違っても茶の湯茶道を理解していた。天下一になり湯水のように財力を使って、名器といわれる茶器を集め献上させて、それを披露し(見せびらかし)、手柄を立てた武将に下賜して、大いに力を見せたとしても。鑑賞眼がなかったのではない。 ただ、利休は求道者だった。当時重用されていた宗家の二人を置いて秀吉の下で勝ち組筆頭になっていた。 信長時代に認められ、茶器の巻手を任され、財力も蓄えていたが、秀吉は人使いが巧みだった。利休は面目をほどこし押しも押されもしない地位に就いた。 このあたりから彼にあからさまに様々な波押しよせる、信長の死、朝廷の介入で叱責を受け逼塞、秀吉との立場の逆転など、茶の道を究めようとする中で、世俗の風にさらされることになる。 弟子として見ていた秀吉が頭から指図を始める。賜った利休という名も気に入らない。 それでも彼なりに処世を見極め、茶道で生き残るために節を曲げることも多かった。 利休は若いころ放蕩もつくし、女もかこっていた。立場が危うくなると女の下に身を隠すこともした。 一方秀吉はますます忙しく、東奔西走して、各地の武将を操り、力を広げていた。 そして、子種なしと思い養子縁組までしたところにひょっこり茶々が懐妊した。 得意絶頂で茶道の遊びは脇に追いやられ茶会の数も減って利休の陰も薄くなっていった。 求道者という姿を持ち続けていた利休は、日が当たる秀吉という庇護者の光が陰ってくるにつれ、彼の闇は深くなる。 彼も多少意固地で頑固だった。誰しも目指すところが深ければ深いだけそれに助けられて生きていくことが多い。自尊心・プライドに導かれている。 利休はそれを捨てず貫いたというべきだろう。 石田三成は、賢明だった。主君の命を察し利休の罪を探した。彼は見逃せば見逃せる大徳寺の木造を理由にした。 堺に逼塞していた利休は刑の中でも多少軽いとされる切腹に決まった。 その時秀吉は 「愚か者め、ただの遊びにすぎぬのに」とつぶやいた。 歴史の闇も深い。利休関係の本をただ二冊読んだが、山本兼一さんのものは茶器に造詣が深くそちらの面でも読み甲斐があり、ストーリーに利休の茶道にかける執念がにじみ出ていた。 加藤廣著の方は、利休の生き方の生々しさと、立身出世という執念とともに茶道に向かう秀吉との対比が面白く、それぞれ違った味わいを持っていた。 こういうテーマはやはり事実がどうであっても物語に入りこんでしまう。

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2019/01/17

利休(宗易)はなぜ死ぬことになったのか。 それを利休と豊臣秀吉の関係を基に探る。 宗易はわび、さびといいながら、華美な生活を送っていたことは私も本で見たことがあった。 宗易の生き方と茶道での対極的な方向性の違いが利休をしに追い込んだのかなと思った。

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2016/08/07

相変わらず、加藤廣は面白い。 秀吉は様々な本を読めば読むほど、我が儘が増長していく程度が甚だしい……

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2016/05/15

利休がキリシタンの影響が どれくらいあるか? 気になって・・・読んでみた なんにも影響ないわあ 古九谷キリシタン説 あるかな?

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2016/04/23

当時の茶会記などを抜粋しながら利休・秀吉の出会いから離叛までを解説した書。 茶に対する思いの違いから二人の心持ちがどんどん乖離していく様が淡々と描かれている。 先日読んだ利休に関する小説でもそうだが、彼の半端ない遊び人っぷりには驚愕!私がそれまで抱いていたイメージとはまるで違...

当時の茶会記などを抜粋しながら利休・秀吉の出会いから離叛までを解説した書。 茶に対する思いの違いから二人の心持ちがどんどん乖離していく様が淡々と描かれている。 先日読んだ利休に関する小説でもそうだが、彼の半端ない遊び人っぷりには驚愕!私がそれまで抱いていたイメージとはまるで違う人物像でした。でもそうでなければ侘び寂びなど思いつかないか…

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2016/04/16

千利休について書いた本で、木下藤吉郎が千利休から茶の指南を受けるところから、袂を分かち、千利休に切腹を言い渡すまでが描かれています。 一般的には、千利休が目障りとなり、豊臣秀吉が死を与えた、ということが多いですが、この本では、どちらかというと、いい人である豊臣秀吉と、我執により...

千利休について書いた本で、木下藤吉郎が千利休から茶の指南を受けるところから、袂を分かち、千利休に切腹を言い渡すまでが描かれています。 一般的には、千利休が目障りとなり、豊臣秀吉が死を与えた、ということが多いですが、この本では、どちらかというと、いい人である豊臣秀吉と、我執により破滅した千利休という感じで書かれているのが特徴です。 また、豊臣秀吉の変節について語られることが多い中で、千利休の変節について書いているところが面白いです。 ↓ ブログも書いています。 http://fuji2000.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-52fe.html

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2015/11/25

芸術を愛する高貴な人だと思っていた利休・・・ちょっと残念だった。所詮は大阪の商売人なのか。理想を崩された気がした。

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2015/11/22

これは、小説というより、解説書が、教科書のようであるが、これはこれで楽しめる。利休と秀吉の関係をここまで長きに語るには、よほどの長編になるやもしれないからである。利休にたずねよを先に読んで良かった。

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2015/07/22

この時代茶会が武家の間でもかなり重要な行事であったことがわかる。そのため出席者や用いられた茶道具などもきちんと記録されている。その茶会の記録を中心にもちろんほかの資料も綿密に調べてその上でさらに想像力を膨らませて利休像を描いている。侘び寂びよりも時の政界で奔走する生臭い利休が描か...

この時代茶会が武家の間でもかなり重要な行事であったことがわかる。そのため出席者や用いられた茶道具などもきちんと記録されている。その茶会の記録を中心にもちろんほかの資料も綿密に調べてその上でさらに想像力を膨らませて利休像を描いている。侘び寂びよりも時の政界で奔走する生臭い利休が描かれている。

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2015/07/17

利休と秀吉の確執,色んな方面からの解釈があり,これもまた一つの答えということ.この本の利休の人物像は,あまり好感が持てなかった.むしろ秀吉の方が,善悪は別として,理解できた.

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