反知性主義 の商品レビュー
「反知性主義」が何なのか、読み終わっても実感できない。 学究的なピューリタニズムに飽き足らない信者が、より大道芸人的な布教を歓迎したということか。 個人や契約に重きを置く米国のキリスト教が、本義から外れて現世利益的になっているという指摘にはうなずける。 米国とキリスト教に興...
「反知性主義」が何なのか、読み終わっても実感できない。 学究的なピューリタニズムに飽き足らない信者が、より大道芸人的な布教を歓迎したということか。 個人や契約に重きを置く米国のキリスト教が、本義から外れて現世利益的になっているという指摘にはうなずける。 米国とキリスト教に興味がある人にはお勧めだろう。
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アメリカは不思議な国だ。人工中絶反対、くらいなら分かるが、ダーウィンの進化論を学校で教えるべきでない、と多くの大人が大真面目に言うわけだ。確かに、進化論にはミッシングリンクがあって必ずしも事実だと言い切れないわけだが、仮説として言う分には許容しろよ、とよそ者は思うのだが、、、本人...
アメリカは不思議な国だ。人工中絶反対、くらいなら分かるが、ダーウィンの進化論を学校で教えるべきでない、と多くの大人が大真面目に言うわけだ。確かに、進化論にはミッシングリンクがあって必ずしも事実だと言い切れないわけだが、仮説として言う分には許容しろよ、とよそ者は思うのだが、、、本人たちは大真面目だ。 その裏に、ピューリタンから発する権威主義への反発があるという。旧世界から脱出してきたアメリカの人たちは、カトリック協会の司祭たちに頼らずとも一人ひとりが直接神に祈り、回心に至る。学があるエリートが考えた結果よりも、庶民の素朴な心情のほうが真理を掴んでいる、という考え方なのだろう。変化の時代にあって、この思考法は非常に強靭だ。職業軍人でなくミニッツマンの文化を持つのも根っこは同じように思う。 面白いのは、世界に先駆けて政教分離を行ったアメリカが最もキリスト教が盛んなこと。かつ、金儲け=成功=神に祝福されていること、をストレートに信じられる純朴さだ。この国は強い。
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20世紀以降の現代アメリカを分析するために使われてきた「反知性主義」という言葉について、アメリカの歴史を追いながら分析、解説した一冊。 この意味においての「反知性主義」とは近年の日本の時評や論壇にも登場するニュアンスとは微妙な違いがある(きっと内田樹センセのはそうなんだろう)。 ...
20世紀以降の現代アメリカを分析するために使われてきた「反知性主義」という言葉について、アメリカの歴史を追いながら分析、解説した一冊。 この意味においての「反知性主義」とは近年の日本の時評や論壇にも登場するニュアンスとは微妙な違いがある(きっと内田樹センセのはそうなんだろう)。 反知性主義≠反・知性、知性に反対、ではない。 そもそもはリチャード=ホフスタッター「アメリカの反知性主義(1963年)」による。 アメリカの反知性主義の歴史=アメリカのキリスト教史をたどることであり、ピューリタンの歴史、国教会との対立、さらには宗教的熱狂、いわゆる伝道集会的なものの歴史、大衆リバイバリズムの話へとつながっていく。 「アメリカ」という国の成り立ち、特質を深く知るうえでは欠かせないポイント。ようやく「神は死んだのか?」が映画になる理由もわかった気がした。 自分で決める、考えること、現代社会の萌芽
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ロバート・B・パーカーのスペンサー本に見える,USAと宗教およびボストンの背景をより理解するために,読んでいる。
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反知性主義ってのは、もともとアメリカにおけるキリスト教に源流を持つということです。アメリカンドリームも、野球も、関係するそうです。そしてpaper moon, stingも出てきます。面白い。a prayer for owen meanyを読む前に知識として読んどけば良かった。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
出来事の報告者たちがその出来事の登場人物である、ということは、実はすべての真正な歴史証言に必須の事態である。なぜなら、証人であるということの中には、当事者であるということが含まれるからである。誰も、第三者を介して知ったことを「証言」することはできない。歴史の証言者は、常に自分が証言しようとする出来事の一部である。目撃した出来事を、自分がそこに居合わせ、気がついた時にはすでに自分も否応なくそれに巻き込まれていたところの出来事として語るのが「証言者となる」ことの本質である。(中略)歴史はすべて、誰かによって語られた歴史なのである。(p.79) 「あたかも、舞台のコーラスダンサーの最前列の若い娘に心を奪われた亭主を見ている古女房」。これがアメリカの底流をなす反知性主義を適切に表現していると言ってよい。われわれがゆっくりとその歴史を追いかけている反知性主義の原点とは、要するにひとことで言うと、このぴちぴちとしたコーラスダンサーが振りまく魅力であり、その若い娘に看取れている亭主の心持ちなのである(p.83) 田園と自然は、人びとを正直にする。そこは幽玄で馥郁とした理性が息づく場所である。なぜなら、都市では自分の策略と知恵が処世の行方を左右するため、自分を尊大に思いなすようになるが、自然の崇高な美を見る者は、それを作り出した偉大な力の存在を認め、これに感服する心をもつようになるからである。だから深い山の中で釣りをする者は、おのずと宗教的な畏敬をもつのである。 精神の謙遜と平和は、自然の美しさのうちに聖性を感じ取り、心の眼を創造者へと開くことによって得られ利。そのため彼は、「書物」に頼りすぎることを警戒する。書物は、読み方によってはもちろん価値のあるものだが、何といってもそれは過去の心であり、昔の時代の人びとにとっての真理にすぎない。真の学者たるものは、他人の権威や、社会の礼法や、世間の評判などに寄り頼んではいけないのである。ここに、エマソン一流の反知性主義が表明されている。(pp.137-8) 反知性主義は単なる知性への蔑視と同義ではない。それは、知性が権威と結びつくことに対する反発であり、何事も自分自身で判断し直すことを求める態度である。そのためには、自分の知性を磨き、論理や構造を導く力を高め、そして何よりも、精神の胆力を鍛え上げなければならない。この世で一般的に「権威」とされるものに、たとえ一人でも相対して立つ、という覚悟が必要だからである。だからこそ反知性主義は、宗教的な確信を拝啓にして育つのである。(p.177) 「知性」とは、単に何かを理解したり分析したりする能力ではなくて、それを自分に適用する「ふりかえり」の作業を含む、ということだろう。知性とは、その能力を行使する行為者、つまり人間という人格や自我の存在を示唆する。知能が高くても知性が低い人はいる。それは、知的能力は高いが、その能力が自分という存在のあり方へと振り向けられない人のことである。だから、犯罪者には「知能犯」はいるが「知性犯」はいないのである。(p.260) 知性が欠如しているのではなく、知性の「ふりかえり」が欠如しているのである。知性が知らぬ間に越権行為を働いていないか。自分の権威を不当に拡大使用していないか。そのことを敏感にチェックしようとするのが反知性主義である。もっとも、知性にはそもそもこのような自己反省力が伴っているはずであるから、そうでない知性は知性ではなく、したがってやはり知性が欠如しているのだ、という議論もできる。どちらにせよ、反知性主義とは、知性のあるなしというより、その働き方を問うものである。(中略)反知性主義とは、知性と権力の固定的な結びつきに対する反感である。知的な特権階級が存在することに対する反感である。(pp.261-2) 知性と権力の固定的な結びつきは、どんな社会にも閉塞感をもたらす。現代日本でこの結びつきに楔を打ち込むには、まずは相手に負けないだけの優れた知性が必要だろう。と同時に、知性とはどこか別の世界から、自分に対する根本的な確信の根拠を得ていなければならない。日本にも、そういう真の反知性主義の担い手が続々現れて、既存の秩序とは違う新しい価値の世界を切り拓いてくれるようになることを願っている。(p.275)
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昨今の日本における「反知性主義」は、佐藤優が「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」と定義しているように、ネガティヴな意味で使われるケースが多い。著者はそういう側面があるということを認めつつも、しかし、反知性主義発祥の地であるアメリカにおいては、反知性...
昨今の日本における「反知性主義」は、佐藤優が「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」と定義しているように、ネガティヴな意味で使われるケースが多い。著者はそういう側面があるということを認めつつも、しかし、反知性主義発祥の地であるアメリカにおいては、反知性主義はそれにとどまらないもっと積極的な意味を持っているとも言う。それを一言で言うと、「知性と権力の固定的な結びつきに対する反感である」(p.262)。本書は、アメリカにおけるキリスト教の受容史をたどっていきながら、反知性主義の持つポジティヴな側面を浮き彫りにしていく。 ヨーロッパのキリスト教はアメリカに渡った途端に土着化して変質した。その特徴を端的にあらわすと、神の前では万人が平等だとする「ラディカルな平等主義」と、人間が信仰という義務を果たせば神は祝福を与えるという「宗教と道徳と成功の直結」、この二点に集約される。紆余曲折を経ながら、両者が一体となって誕生したのが反知性主義である。 建国当初から平等で民主的な国であったアメリカには、ヨーロッパのような伝統的な権威構造が存在しなかったため、知識人が国家の指導者となったり、権威や権力と結びついたりすることが多かった。しかし、「ラディカルな平等主義」はこれを許さない。すなわち、反知性主義は、知性そのものに対する反感ではなく、知性と権威とが結びつくことに対する反発なのであり、いかなる権威に対しても自分自身の判断で立ち向かっていくという精神態度のことである。その意味で、反知性主義とは「反権威主義」というニュアンスに近い。それがプラスに作用すれば、個々人の自尊心を高め、知性の越権行為に対するチェック機能が発揮され、アメリカの民主主義的な精神基盤を形成することになる。しかし、それがマイナスに働けば、独善的で自己中心的な世界観に立てこもることになる。よく悪くも「アメリカ的」である。 こうした思想は信仰の確信によって裏打ちされており、それは正しい行いをした者だけが成功するという「宗教と道徳と成功の直結」によって大衆に浸透していく。それはあまりにも単純な同一化であるが、そうであるがゆえに大衆への強い訴求力を持っていた。これら一連の動きを期せずして主導していたのが信仰復興運動(リバイバリズム)である。しかし、リバイバリズムは本質的に矛盾を内包している。富や権力に対する民衆の反感を基盤として巨大化していくその運動は、その大衆的成功のゆえに自らが権威や権力の一部分となって、本来の反エリート主義的な性格を失って自壊していくのである。 このように、反知性主義にはどこかアナーキーな要素が含まれており、アメリカにおいてリバタリアニズムが説得力を持っていることや、反進化論を唱える創造主義の影響力が強いことなども、こうした文脈で読み解いていかなければならないとする。 アメリカというよくわからない国を理解するうえで非常に収穫の多い読書体験だった。 さて、本書の最後に「日本に反知性主義は存在するか」と問題提起されている。そこでは明確な解は提示されていないのだが、自分なりに考えたところでは、「官僚主義」や「岩波文化人」、「大手マスコミ」に対する批判がそれに当たるのではないかと思い至った。本書末尾の著者の指摘はきわめて重要なので、そのまま引用してレビューを終える。 「知性と権力との固定的な結びつきは、どんな社会にも閉塞感をもたらす。現代日本でこの結びつきに楔を打ち込むには、まずは相手に負けないだけの優れた知性が必要だろう。と同時に、知性とはどこか別の世界から、自分に対する根本的な確信の根拠を得ていなければならない。日本にも、そういう真の反知性主義の担い手が続々と現れて、既存の秩序とは違う新しい価値の世界を切り拓いてくれるようになることを願っている」(p.275)
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建国から今日まで、一貫してアメリカの土台に横たわる精神的土台についての本だととらえた。アメリカにおけるプロスタンティズムのあり方について、リバイバリズムを話題の中心に据え論じている。 「知性にせよ信仰にせよ、旧来の権威と結びついた形態はすべて批判され打破されねばならない。なぜなら...
建国から今日まで、一貫してアメリカの土台に横たわる精神的土台についての本だととらえた。アメリカにおけるプロスタンティズムのあり方について、リバイバリズムを話題の中心に据え論じている。 「知性にせよ信仰にせよ、旧来の権威と結びついた形態はすべて批判され打破されねばならない。なぜなら、そうすることでのみ、新しい時代にふさわしい知性や信仰が生まれるからである」とある通り、反知性主義は既存の権威に対する反抗である。懐疑が哲学的態度土台であることからもわかる通り、このような姿勢は(反知性主義という名称とは反対に)非常に知的なものであった。このような精神性の系譜は、こんにちアメリカを特徴づけるプラグマティズムへと接続していった。 本書を読んだあと、アメリカという国に興味がわいた。個人的にはアメリカ史に対する入門書として非常に有用だと感じた。
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反知性主義、それの根底にある、アメリカのキリスト教史についてとても興味深く書かれていました。理解が及ばない部分はありましたが、キリスト教史から見える今のアメリカの姿というものが少しわかった気がします。 しかし、根本的にキリスト教への理解が浅いのということがよくわかりました。
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アメリカ史研究者による「反知性主義」という用語は、知性そのものに対する反感ではなく、知性が世襲的な特権階級の独占物になることへの反感。原点には、誰もが平等にスタートできると言う徹底した平等主義がある。 アメリカではなぜ反インテリの風潮が強いのか、キリスト教が異様に盛んでビジネス...
アメリカ史研究者による「反知性主義」という用語は、知性そのものに対する反感ではなく、知性が世襲的な特権階級の独占物になることへの反感。原点には、誰もが平等にスタートできると言う徹底した平等主義がある。 アメリカではなぜ反インテリの風潮が強いのか、キリスト教が異様に盛んでビジネスマンが自己啓発に熱心なのか、という問いへの歴史を辿りながらの答え。
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