差別感情の哲学 の商品レビュー
あなたの差別意識についての本。私達が差別と聞いてまず思い浮かべるのは黒人差別、障害者差別などだと思う。しかし差別意識は遠い場所にあるものではなく、ふとした会話や態度など日常生活に深く根ざしているものなのだ。という事を読みやすい文章と構成で書いた本。 個人的に本書で最も重要なのは...
あなたの差別意識についての本。私達が差別と聞いてまず思い浮かべるのは黒人差別、障害者差別などだと思う。しかし差別意識は遠い場所にあるものではなく、ふとした会話や態度など日常生活に深く根ざしているものなのだ。という事を読みやすい文章と構成で書いた本。 個人的に本書で最も重要なのは、人間のあらゆる文化には差別意識が内包されており、差別意識と人間は切り離せないものだという考え方だと思う。誰かを褒める時、その価値観に適応していない人に対して無意識的に差別的になっているし、自らの何かを誇るとき、それを持たない人に差別的になっている。あらゆる価値判断は比較の上に成り立ち、だからこそ差別意識が含まれてしまう。 脱構築され全てが相対化された現代社会において正義とは、正義を自認する人による絶対のものではなく、常に自らの正しさを疑い、修正していく姿勢の事だ、的な内容に感銘を受けた。SNSでは正義の名を関した私刑がまかり通り、それは私から見て正しいと言えるものではなく、しかし彼らは自らの正しさを疑わないという状況に対する不快感の説明をしてくれた。「そうだそうだ」と思いながら読み進められた。 帰属意識や誇り、自尊心といったものは差別意識の温床であり、健全とされる向上心にすら差別意識は存在しているといった所や、差別語はそれ自体が消えても直ぐに代替の言葉が生まれるから本質的解決をしない限り、言葉狩りには大した意味がない。いじめ問題の解決にはいじめダメ絶対と馬鹿の一つ覚えで言うのではなく、構造的な視点を持ち込む必要がある、といった内容が個人的にお気に入りだった。 努力は平等ではないという所や正義に関してはマイケル・サンデルや橘玲的なものを感じた。 本書の結論は、(自らの行為を含め)すべての行為には差別感情が多少なりともこびりついていることを認め、常に自分自身に対して問題意識を持ち続けることで差別意識を減らしていこうというものだと思う。(ただそうする事で差別意識を持つ人に対して差別的になっていしまうから、いよいよどうしようもないなぁ) この結論には誠実さがあると思うし、極めて重要な姿勢だと思うけど、実際に今激しい差別を受けている人達に対しての即効性は薄い思う。例えば黒人が奴隷として扱われている時には、黒人にも差別意識があるという論よりも前に、まずは物理的な不平等を解消するのが先なように、本書で書かれている内容を何に対してもすぐ適用するのは適切じゃないと思う。 総合的に自分は満足の行く内容だった。ただ本書の性質として、論理的に差別の構造を分析するというより、筆者の問題提起に偏っている所がややあるため、そこには注意。あと筆者の女性観にも若干の偏りがあるからひっかかる人は結構嫌かも。
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悪意がない社会のことを「味気ない」と評していて、そういう態度は古今東西様々な場所でみられるけど、謎だよなぁ。私はそういう社会が理想だけど。 === p23~の朝日新聞の記事の件は明らかに中島氏がおかしいと思うなぁ。風呂を覗いたり電車内で女性の胸や尻に触る行為は生物体としてのヒトの...
悪意がない社会のことを「味気ない」と評していて、そういう態度は古今東西様々な場所でみられるけど、謎だよなぁ。私はそういう社会が理想だけど。 === p23~の朝日新聞の記事の件は明らかに中島氏がおかしいと思うなぁ。風呂を覗いたり電車内で女性の胸や尻に触る行為は生物体としてのヒトのオスにとって不自然な行為ではないのに、現代社会ではそれがおかしいと見なされる、そしてそれは暴力である、という主張を朝日新聞に掲載しようとして直前に却下されたことがおかしい、と言っているんだが、それをおかしいと思うような人の論考は話半分だなぁ…と思わせられてしまった。それじゃあぜひ強盗も放火も正当化してもらいたいものだし、なんのために「思考」をしているのか根本から考え直したほうがいいんじゃないか? 前後の言説とあまりに解離してて違和感を覚えるよ。 この直後の段の引用。「(前略)担当編集者によると「犯罪を正当化する記事を載せるわけにはいかない」とのこと。私は非常に憤ったが、常に権力に対して批判的な視点を保つと公言しているメディアが痴漢撲滅という現代社会の価値観を形成している「権力」に無批判である点、いやそれに疑問をもつ意見をことごとく押しつぶす「権力」を行使している点に、欺瞞と矛盾を感じたからである。」 それであれば、それをそのまま書けばよいのであって、犯罪擁護(と私も捉えた)なんて書かなきゃいいのよ。 === 我々がすべきことは差別撤廃に邁進することでもどうせ差別はなくならないと諦めることでもない、徹底的に自他の差別感情を批判することである、というのは相変わらず哲学界隈はそんなことやってんだなぁとクラクラするところもあり。思うに「考えること」「批判する(だけ)」というのは、それぞれの階級等が固定されていた時代の遺物かなぁという印象がある。誰でも学問にアクセスできてSNS等の手段を持つ時代に批判する(だけ)というのはだいぶ苦しくなってきているなぁと。 速効性がないからこそ多くの人が哲学的思考を身につけるべきだとは思うけど、哲学を学ぶことでは哲学的思考は身に付かないというのが持論。でも哲学を語ることにうっとりしている中の人たちは言葉遊びで満足してるし、ますます周囲はそういう態度にうんざりするしっていう負のループとか、そもそも私は哲学にはあんまり興味がなかったんだった、とか10年以上忘れてた様々な事柄が一気に思い出された。そうだった、こういう本を読むと毎ページ引っ掛かって全然進まないんだった。ただ、以前はそうそうそうなんだよ、と同意して感動することが多かったけれども、今ではまた馬鹿なこと言ってるなぁ…という気持ちが強くなってしまったなぁ。 === そもそも人間の差別への対処法というのは知見の積み上げであって、それを「逆差別」とまとめて切り捨てる態度は逆行してるよな。哲学の扱える分野なんだろうか? 「私の家は江戸時代穢多でしてねえ」と言えるようになり、それに「あ、そうですか」というほどの反応しか示さなくなるとき、われわれは(中略)差別から解放されるのである、といったような無知から来ているコメントも多々。 「庶民感覚のわからない首相」と「女性を「産む機械」と発言した閣僚」と「「日本は単一民族国家」と発言した閣僚」をいっしょくたにして、それらに直ちに辞職を迫る人を差別的だと認定してるんだが、ちょっと老害とか権力側に足を突っ込みすぎじゃないか? 他人のことは「微塵の自己批判精神もない」などと批判してるのに、マジで自覚なさそうなのが恐ろしい。 === 誰かの足を踏んでしまったときにとっさに「すみません!」と謝るような発話行為が補修作業で、それも訓練しなければ獲得できないものなんだから、やはり因縁つけられたときのとっさの言い返しも訓練だなぁと納得。 === 哲学の大家ともなると、なんの検証もされていなくてもあたかも自分の思想がすべて正しいかのような誤謬に陥るよね、という箇所も多々。他人のことは大上段に切って捨てるんだが、自分にも特大ブーメランがぶっ刺さりまくり。なんとか72ページまできたがもうやめてしまおうか… === p83-84 p88 p94
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生きてるだけで、目線を送るだけで、"誰かを踏み付けてるかもしれない"という繊細な心を持つことが必要、との主張。 障害を持った友人、知人らと接する時や、自身が主催している社会問題の勉強会の時にあったどこか"モヤモヤ"した、スッキリしない部分を...
生きてるだけで、目線を送るだけで、"誰かを踏み付けてるかもしれない"という繊細な心を持つことが必要、との主張。 障害を持った友人、知人らと接する時や、自身が主催している社会問題の勉強会の時にあったどこか"モヤモヤ"した、スッキリしない部分をハッキリ言語化してもらった感覚。 日々、もっと繊細に生きようと強く思えた。 仏教はなんでこんなに『苦』にフォーカスするんだろうとモヤモヤしていたのだが、確かに著者の視点で世の中を見渡したら『苦』ばかりだなと、論点はズレるが、後書きを読んで、別の納得感も得られた。 数十年経ったら古典として、多くの人に読まれ継がれそう。
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ウーマンリブや障害者解放運動については、言いたいこともあるが、最後の息子を誤って引きこ…してしまった母親が自責に耐えながら自死せずに生きているとしたら、どんな勲章もこれに及ばないという考察は本当にその通りやと思った!
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自分や他人の汚さ...という地獄からの脱出法が書いてあった。 物事の底が見えると、それはそれで安心してそれなりに過ごせる気がしてくる。 不思議だ。
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ここまで心を抉られた本は今まで出会ったことがなかった。出会えてよかった。ほんとうにそう思う。 本書は疑問を投げかけてくれた。あなたの『普通』は誰かの『普通』ではない。 冒頭は、すべての差別や悪の感情を抑え付け、なくすことは可能か?そしてそんな世界は面白いのか?様々な感情がある...
ここまで心を抉られた本は今まで出会ったことがなかった。出会えてよかった。ほんとうにそう思う。 本書は疑問を投げかけてくれた。あなたの『普通』は誰かの『普通』ではない。 冒頭は、すべての差別や悪の感情を抑え付け、なくすことは可能か?そしてそんな世界は面白いのか?様々な感情があるからこそ人間であり、悪の感情も人間存在を輝かせる宝庫であると述べている。人間だからこそ攻撃本能があり、敵がいるから味方がいる…そんな人間の"らしさ"に差別は潜んでおり、だからこそ、差別をやめましょう。差別用語を発したものを罰して辞めさせましょう。なんてことを続けても意味がないのだと。 すべての行為に、相手への不快・嫌悪・軽蔑・恐怖、そして自分の肯定的な誇り・自尊心・帰属意識・向上心という感情が潜んでいる。 特に今の時代は、差別に厳しい。明らかな差別用語などは絶対に発言してはならない。 ただそれは表立ってないだけであり、差別感情はなくならず、内面に閉じ込められて表から見えないだけだ。 一方で、被差別者からすると、それらの感情を敏感に受け取っている。そこには明らかなまなざしがあるからだと。まなざしの差別は、かなり根深く、これは自分自身に切り込みを入れていく必要があると感じた。 被差別者へのまなざしの中に隠されたこのような自分の醜さを突きつけられながらも、自分自身と対話する。自己批判精神と繊細な精神をたずさえて、絶えず対話をつづける必要がある。 著者は自分が障害者とすれ違う瞬間に自分が抱いた言いようのないなんとも言えない感情と向き合った日のことを綴っていたが、これは多くの人が体験したことのある感覚・感情ではないかと思う。 私が抱いたのはただの哀れみではないか?勝手に相手の人生は過酷である、なので尊敬すると思い込むことで自分に免罪符を与えていないか? 深掘りすればするほど、非常に気持ちの悪い、醜い自分が浮き彫りになる。 でもそれでいいのだ、と著者は伝えている。 自分の中の信念ー差別すべきではない、こうあるべきだなどーに対する誠実性とを保ちながら、他人の幸福を願うことはできるのか? 究極の問いであるし、正直答えはない。 未来は暗い。だがそれが最善である。 ジョン・キーツの言葉を思い出した。 暗いからこそ、考えるし、考えて対話することをやめないのだと思う。 さまざまな感情は思い込みや刷り込みから始まる。歪曲され、一般化され、省略され、それらが感情となり、発露し、嫌悪なのか不快なのか何かしらの名前がつけられる。 心理学を学んだ時、この仕組みを知り自分がいかに思い込みや刷り込みの色付きメガネをたくさん持っているかに気が付いた。すべての行為において、瞬時に眼鏡の色を変えて生きている。それが人間だと諦めて良いのか?それは違うだろう。 その思い込みや刷り込みの芽を摘み、多角的に物事を見ることができるようにさまざまな意見・信条・身分・立場の人々とコミュニケーションを重ね、差別の実態をしり、繊細な精神で思考し続けること必要だ。書くと簡単で、綺麗事のように聞こえるが、相当に過酷だ。ほぼ毎日とるにたらない自尊心や、著者が最後に記している『虚しい誇り』の下に生きている。 そんなどうしようもない自分と向き合うことが、他者との共存や多様性をこの社会にもたらすのだと理解して読了した。
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図書館でタイトルが気になり読んでみた 無知な私からしたら内容が難しいところもあって、理解しきれない部分もあったけど、 社会的弱者に対して、かわいそうという感情を持つことがすでに差別しているのであって、 こんなに制限された状況なのに必死に生きているのにそれに比べて私は、っていう風...
図書館でタイトルが気になり読んでみた 無知な私からしたら内容が難しいところもあって、理解しきれない部分もあったけど、 社会的弱者に対して、かわいそうという感情を持つことがすでに差別しているのであって、 こんなに制限された状況なのに必死に生きているのにそれに比べて私は、っていう風に自分を省みないといけない。 という内容が書いてあって、印象に残った。 差別感情を完全に消すことはほぼ不可能だけど、その感情と常に向き合っていくことが大切。 印象に残ったフレーズ 差別感情に真剣に向き合うというとは、「差別したい自分」の声に絶えず耳を傾け、その心を切り開き、不断の努力をすることなのだ。 こんな苦しい思いをしてまで生きたくない、むしろ全てを投げ打って死にたいと願うほど、つまり差別に苦しむ人と「対等の位置」に達するまで、自分の中に潜む怠惰やごまかしや冷酷さと戦い続けることなのだ。
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差別感情を軸に「繊細で自己批判的な精神を常に持ち続けること」を一貫して主張している。なお、本書の主張は殆どが著者の経験に依るので、評論というよりかはエッセイに近い。(もっとも、感情という極めて主観的なものを対象としているので仕方ないことではあるが) そうなると必然的にこの主張...
差別感情を軸に「繊細で自己批判的な精神を常に持ち続けること」を一貫して主張している。なお、本書の主張は殆どが著者の経験に依るので、評論というよりかはエッセイに近い。(もっとも、感情という極めて主観的なものを対象としているので仕方ないことではあるが) そうなると必然的にこの主張は納得できる/できないがより顕著になるので、そこから自身の「差別感情」を追求れば理解が深まると思われる。
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差別感情はどこから生まれ、育っていくのか。 偏った者が差別感情を生み出していると考えられがちではあるが、所謂ふつうの人こそが差別の温床である。ふつうの人が、差別などしていないという意識でいるからこそ、無意識に差別が起こるのだ。 ナチスドイツがその最たる例である。 私たちはあらゆる...
差別感情はどこから生まれ、育っていくのか。 偏った者が差別感情を生み出していると考えられがちではあるが、所謂ふつうの人こそが差別の温床である。ふつうの人が、差別などしていないという意識でいるからこそ、無意識に差別が起こるのだ。 ナチスドイツがその最たる例である。 私たちはあらゆる行為に差別感情が付随していることを意識し、「他人」を自分の目線から外すことのないよう行動しなければならない。そのために、差別する自分と向き合わねばならない。
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普段から差別について考えていると、あまり目新しい感は受けないと思う。内容は格別に革新的ということもない。不快や嫌悪の情を根本から否定することはできないという論にはまったく同意するが、その依拠するところが「人間らしさ」の喪失であるのはいささか心許ない。学術書というよりはエッセイに近...
普段から差別について考えていると、あまり目新しい感は受けないと思う。内容は格別に革新的ということもない。不快や嫌悪の情を根本から否定することはできないという論にはまったく同意するが、その依拠するところが「人間らしさ」の喪失であるのはいささか心許ない。学術書というよりはエッセイに近い印象をうけた。
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