ナラティヴ・セラピー の商品レビュー
「ナラティヴ・セラピー」の基本図書の一つかな? 個人的には、アンソロジー的な本は、複数の著者が違うことをいっていたりして、読むのにパワーを要するので、読むのを後回しにしていたが、これは結構わかりやすかったかな? 原著は92年なので、もう四半世紀前ということになるが、今読んでも...
「ナラティヴ・セラピー」の基本図書の一つかな? 個人的には、アンソロジー的な本は、複数の著者が違うことをいっていたりして、読むのにパワーを要するので、読むのを後回しにしていたが、これは結構わかりやすかったかな? 原著は92年なので、もう四半世紀前ということになるが、今読んでも新鮮だし、色々なアプローチの「原点」に帰る感じがあって、何かがスタートする高揚感みたいなのが伝わってくる。 「ナラティブ・セラピー」とされているが、原題は、"Therapy as Social Construction"で、ニュアンスは違うかな? 最近の用法では、「ナラティヴ・セラピー」はホワイトとエプストンが始めた「外在化」と「再著述」を中心としたセラピーで、「リフレクティング」や「無知のアプローチ」まで含む場合は、「ナラティヴ・アプローチ」と呼ぶことが多い気がする。 その辺のところは、初めて読む人にとっては、やや混乱を招くかな? 内容としては、「社会構成主義」的なセラピーの流派の創始者たちによる論文に、全体を俯瞰する論文からなっていて、いずれも短いながらもぎゅっと圧縮した内容で、かつシンプルでわかりやすい。 もともとシステム論的なアプローチをしていたリン・ホフマンの論文は、どうしてナラティヴ的なものが大事なのかが説得力を持って語られているし、最後のガーゲンのナラティヴを「超える」論文もとても鋭いところを指摘していると思う。 全ての論文を通じて、専門家としての権威や真実を持ってセラピストがクライアントを診断するというモデルへの批判が伝わって来る。 こうしたセラピストとクライアントの関係性は、コーチングやファシリテーションにおいては、ある意味、当たり前のことであるのだが、精神医学の世界で、専門家としての権威を持たずにクライアントに接するということは、かなりの勇気とか、「あり方」とかが必要だろうなと思った。 ということは、これらの論文に出てくるようなアプローチは、通常の「健全な人」を対象とするコーチングやファシリテーションでは、より「実践しやすい」のではないかと思う。 色々な意味で、「社会構成主義」の実践に向けての頭の整理が進んだ。
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おもしろいはおもしろいのだが。 タイトルにある社会構成主義というよりも、ほとんどはポストモダンの脱構築が中心のようでやや拍子抜け。 ウィトゲンシュタインよりもデリダの名前の方が多い気もする。 言語ゲームと「ストーリー」の関係はなんとなくは理解できるような気もするが、そもそもナ...
おもしろいはおもしろいのだが。 タイトルにある社会構成主義というよりも、ほとんどはポストモダンの脱構築が中心のようでやや拍子抜け。 ウィトゲンシュタインよりもデリダの名前の方が多い気もする。 言語ゲームと「ストーリー」の関係はなんとなくは理解できるような気もするが、そもそもナラティブについてあまりに知識不足すぎて力及ばず。 もう一冊くらい読んでから読み直すくらいしないとダメか。
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社会構成主義に基づいた心理療法に関して各専門家の論をまとめた一冊。大変刺激的な内容で、20年経ってもなお新しく感じられる。特定の技法を信奉し、傾倒しきっている人の常識を覆らせるであろう内容であり、元々社会構成主義に親和性のある人にはさらなる深まりを与えるであろう内容である。
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ナラティヴ・セラピーが世界的な広がりをみせるようになったのは90年代のことだから、モダン心理療法百数十年の歴史の中では、いたまだ最新参者の一である。何につけ新しいものにすぐ飛び付く習性には軽薄のそしりを免れえないが、もしかするとそんな軽薄さこそナラティヴの望むところであるのかもしれない、などとまた軽薄に思ったりする。 伝統のもつ格式と威厳は、そのまま権威の押し付けに転嫁する。しかしまたそれを超克することによって形成されてきたのが歴史である。ソフィストに対するソクラテス、理性の完全性に対するカント、道徳に対するニーチェ等々。 その伝でいけば、ナラティヴが依拠するのはポスト構造主義である。あるいは近代主義に対するポストモダンである。近代科学的実証主義、つまりナラティヴの対義語はエヴィデンスである。近代医学は解剖と実験で臨床を構成し、テクノロジーと統計がそれを助けた。(底にはもっと深い権力が働いていることをみんな知っている) 現実とは、人びとの間にある(間にしかない)、を枕詞とするナラティヴの思想は、医学モデルはもちろん、医学との微妙な関係で発展してきた臨床心理学モデルーー精神分析や行動主義、人間主義のすべてをリセットする。対象としての生物個体や認識主体はそれ独自では現実ではないと指摘する。 従ってセラピーの方法はセラピーのなかで参加者の一回性のものとしてのみ生成される。(マニュアルとは対極である) そんな独我独善で現実に適応できるのかという疑問があるのかもしれないが、これこそが現実から出発し、新しい現実を創る謙虚な営みなのだということを確認しよう。ここにないのはあらゆる種類のファシズムだ。 人間は自分で思っているよりずっと自由なのです。変えられないと思っている世界も変えられるのです。フーコーの言葉が反響する。
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