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冗談 の商品レビュー

4.1

16件のお客様レビュー

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2019/04/21

抒情的な青春時代。 小さな1つの冗談によって大学から追放されてしまったルドヴィグは、復讐のために生きていく。 全ての冗談が真面目に受け取られる世界、共産主義体制下のチェコで、クンデラと主人公の青春時代が重ねられる。 青春はクンデラにとって 自分のことしか見えなくて、それでもそれ...

抒情的な青春時代。 小さな1つの冗談によって大学から追放されてしまったルドヴィグは、復讐のために生きていく。 全ての冗談が真面目に受け取られる世界、共産主義体制下のチェコで、クンデラと主人公の青春時代が重ねられる。 青春はクンデラにとって 自分のことしか見えなくて、それでもそれが愛だと思う、初々しく未熟な時期らしい。 青春と愛、憎しみと赦し、復讐。 復讐の虚しさ、盲目的な人生の空虚さ クンデラ作品でも結構好きだな

Posted byブクログ

2019/01/02
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

クンデラは、「存在の耐えられない軽さ」を読んで、こんな小説があるのかと驚かされ、「不滅」を読んで、僕の中で永遠になった。 中身はあまり思い出せないけども、不滅のような現代的でありかつ完璧な作品が有り得るのかというのは、大きな驚きであった。 でも、そのせいでそれ以外の作品で幻滅することをおそれ、見る機会を失っていた。 がために数年の間をあけてしまい、もはや不滅の内容といえば、冒頭のプールサイドの情景くらいしか思い出せないほど時間が経ってるけど、ときには小説も読みたい、と思って手をつけた。 途中、かなりまだるっこしい、それが自分が歳とってせっかちになってる(若さのせっかちに比べて、中年のせっかちの無益さ、、、)せいなのかはわからないけども、上記の2作品を読んでるときには感じなかったような退屈さもあった。 ヤロスラフのパートの唐突さがちょっと上手くないと感じた。 しかし、読後感たるやなかなか見事で、37歳のルドヴィークにおいて、わずか3日間程度の出来事として結実する十数年、それを通して、 ・記憶の持続と修復の可能性を信じているが、このふたつの信念はともに虚偽なのだ。真実はその逆であり、すべては忘却され、なにも修復されない。 ・ひとの運命はしばしば死のはるか手前で終わる。 という恐ろしい結論に至らせる。 コストカの「この混乱した声のざわめきのなかで、あなたの声がまったく聞こえないのです!」に至る思考の流れもとてもよかった。 どこまでが清らかな愛で、どこからが肉欲なのか、これを分けようとするから人は分裂する、が、しかし、同じなのかと言われると拒否したくなるものでもある。 それらは同じだし別のものでもある、清らかな愛と肉欲とは分断されたものでもあるし繋がったものでもある、それは量子力学のように重ね合わせて存在している、という矛盾を認めなければ、雑音に思われてしまう。 人には重ね合わせを導き出す波動関数という在り方を認めねばならないのだ。

Posted byブクログ

2017/04/13

ミラン・クンデラ。学生時代、存在の耐えられない軽さが映画化されましたが、初の長編小説がこのようなものだったとは。知らなかった。登場人物の独白が、緊密に綾をなし、第7部のクライマックスに向けて螺旋状で、かつ拡散するこの世界及び人間実存の描写が最高です。感動しました。

Posted byブクログ

2016/06/19

クンデラさんはこれで二冊目だけど、言いたいことは『存在の耐えられない軽さ』と同じ、かも、し、れな、い。個人的に、コストカさんの叫びで泣きました。また『存在の~』と同じく、直線としての時間を肌で感じる作品。そして円環としての幸せも。

Posted byブクログ

2015/02/20

著者が37歳のときに書いた長編小説。 発表当時はソビエトと社会主義の暴露小説? のような読み方をされていたらしい(巻末解説による)。そういった読み方はやはり時代性の影響が強いようで、今になってみると暴露小説として読む方が無理があるのではないか、と感じる。どうも西側(当時)で行われ...

著者が37歳のときに書いた長編小説。 発表当時はソビエトと社会主義の暴露小説? のような読み方をされていたらしい(巻末解説による)。そういった読み方はやはり時代性の影響が強いようで、今になってみると暴露小説として読む方が無理があるのではないか、と感じる。どうも西側(当時)で行われた翻訳にも問題があったようで、クンデラは後に改訂版を刊行している。 読んでいて思い出したのは倉橋由美子の短篇、『パルタイ』。『パルタイ』で描かれていた行為もやけに冗談じみていたが、本作で描かれているものもやはり『冗談』じみている。というか、この長篇小説自体が悪い『冗談』なのではないか……という読み方をしたくなる1冊。

Posted byブクログ

2015/02/08

・ミラン・クンデラ「冗談」(岩波 文庫)は 「作家自らが全面的に手直しした決定版を定本とした新訳。」であるといふ。これは販売用のコピーなのだらうが、ごく素直に読めば、クンデラのチェコ語原典版からの翻訳と解せる。ところがさうではないのである。訳者解説中にかうある、「〈プラハの春〉も...

・ミラン・クンデラ「冗談」(岩波 文庫)は 「作家自らが全面的に手直しした決定版を定本とした新訳。」であるといふ。これは販売用のコピーなのだらうが、ごく素直に読めば、クンデラのチェコ語原典版からの翻訳と解せる。ところがさうではないのである。訳者解説中にかうある、「〈プラハの春〉も〈ビロード革命〉ももはや遠い過去になった二一世紀の現在、もっぱら一個の古典的文学作品として読まれることを願う岩波文庫のこの新訳は、原著者の強い要望に沿って、八五年のフランス語決定訳を収めた二〇一一 年刊行、フランソワ・リカール監修のプレイヤード版を定本としている。」(525頁)だから決定版で旧訳とは違ふのだといふわけである。では、なぜクンデラはチェコ語版を差し置いてこんなフランス語版を作つたのか。大きな誤解があつたことにクンデラが気づいたからである。西欧では「冗談」が「ソ連を中心と する社会主義諸国の社会の実態を暴露し、糾弾する政治・イデオロギー的文書として読まれ」てをり、その文脈で訳もなされてゐた。つまり、それまでの訳は誤 解と誤読の上に成り立つた訳文であつた。これを知つて「衝撃を受けたクンデラは」(524頁)決定訳を求めたのであつた。 ・わざわざこんなことを書くのは、さう読んだ方が安直で手つ取り早くて分かり易いと私も思ふからである。「冗談」の初版刊行は'67年であ る。この翌年はプラハの春であり、それがソ連の戦車で蹂躙された年である。東西冷戦の真つ只中である。従つて、このやうな内容の作品が出てくれば、西側の 人間は「政治・イデオロギー的文書として読」みたくならうといふものである。現在でも事情はさう変はらないやうな気がする。ソ連邦は消滅しても中共の支配する中国はあるし、その隣には北朝鮮もある。かういふ国を横目に見てこの「冗談」を読む時、初めのあたりの党に関する記述が妙に生々しく感じられる。私自身は共産党と関係したことは一切ないが、かつて読んだ学生運動等に関する小説に描かれた内容とも重なつて感じられるのである。誤解かもしれないし、私の偏見かもしれない。クンデラにはきつと忌み嫌はれるであらう。しかし、さう読んでしまつた方がどれほど分かり易いことか。またある意味、安心できることか。 時の西欧の人々も同じであつたのかもしをれない。ところがさうではないらしい。当時のチェコでは「人間の実存の小説」(523頁)などと「すこぶる真っ当な文学的受容がなされ」(同前)てゐたといふ。さうか、実存なんだと思ふ。大江健三郎などはそれを正しく理解してゐた(524頁)らしいが、これは類は友 を呼ぶといふことであらう。その点、私はそこに入らないわけで、今に至つてもまだ先の誤読をしたがつてゐる。3日間か4日間の出来事の間に、主人公が己が人生と女性を思ふ……それは確かに「実存」といふことであるのかもしれない。サルトルの「戦後史の実存的経験、ヨーロッパ左翼の神話の崩壊という主題」 (526頁)といふ言ひ方はまだ分かり易い。「存在の耐えられない軽さ」などはこの例であらう。つまり、やはりこれは「政治・イデオロギー的文書として 読」むしかないのではないかと私は思ふ。ルドヴィークの人生は党なくしてありえない。党員になつてしまつたからには、たとへ反党活動で除名されようとも、 党から逃れることはできない。それが共産主義国家といふものであり、そこに生きる主人公ルドヴィークの人生なのである。そんな人生に重きを置いて読んで理解するかどうか、これが分かれ目なのであらう。それなりにおもしろい作品なのだが、私には岩波書店の望む読み方はできないのであつた。

Posted byブクログ