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現象学という思考 の商品レビュー

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2024/01/18

現象学は自明なものを問う 問題の開示とその共有 確かさは程度であり、いつもコンテクストで判断をしているが、不確かさは残り続ける。 →生の根底的な不確かさ。 →上記を解消するために、日頃の信頼が大切=生活世界 地平構造 全ては主観的経験を基に受け入れられる。 自明であるものに目を...

現象学は自明なものを問う 問題の開示とその共有 確かさは程度であり、いつもコンテクストで判断をしているが、不確かさは残り続ける。 →生の根底的な不確かさ。 →上記を解消するために、日頃の信頼が大切=生活世界 地平構造 全ては主観的経験を基に受け入れられる。 自明であるものに目を向ける→現象学的還元。 物とは規則的な変化のシステムに付けられた符牒である。 相関によって、構成される 同時的に共通する物。それが本質 類型。ノルマリテート。 自我は過去、現在、未来を媒介する

Posted byブクログ

2022/04/09

自明なもの、時間、自我、他者など、改めて考えてみると正体が掴めなくなるものについて、専門的な学術用語は極力使わずに説明している。当たり前の根底にある現象を正確に捉えようとしたとき、何が言えるかについて丁寧に向き合っている。 めちゃくちゃ難しいことを扱っているはずなのに、読んだ後わ...

自明なもの、時間、自我、他者など、改めて考えてみると正体が掴めなくなるものについて、専門的な学術用語は極力使わずに説明している。当たり前の根底にある現象を正確に捉えようとしたとき、何が言えるかについて丁寧に向き合っている。 めちゃくちゃ難しいことを扱っているはずなのに、読んだ後わかった気にさせられる文体や表現力が凄い。 筆者はこの本の内容をそのまま飲み込むことは求めていない。意識に昇らない自明なものを探りたいなら、この本を足がかりにもっと深みにハマってみなさいと諭されている感じがする。 “自己と他者の重なる領域に自己の意識が留まることは、相当な苦しみを負うからなのかは定かでないが、到底できないことである。だから意識は避難場所としての自己に引っ込んでしまう”的なことが述べてあり、「業を背負う」という表現や罪悪感の正体は、ここにあるんじゃないかと思った。

Posted byブクログ

2021/12/31

20世紀以降の哲学を学ぶにあたっては、現象学をしらないと始まらないのだが、これが苦手で、フッサールとか1パラグラフもわからない。解説書を読んでも、最初のほうはわかるのだが、だいたい20〜30ページ読んだところでギブアップしていまうことが多い。(それでも、残りをざっと速読するのだけ...

20世紀以降の哲学を学ぶにあたっては、現象学をしらないと始まらないのだが、これが苦手で、フッサールとか1パラグラフもわからない。解説書を読んでも、最初のほうはわかるのだが、だいたい20〜30ページ読んだところでギブアップしていまうことが多い。(それでも、残りをざっと速読するのだけど) そんな感じで、現象学には、なんか問題意識というか、思考の方向性が合わないという感じがあった。 そういうなかで、最後の期待(?)をかけて、読んでみた。 基本、フッサールの現象学をベースに説明していくわけだが、かならずしもフッサール用語をつかわず、フッサールの説明方法とは違う組み立てをしながら、現象学とはなにかに迫っていく。 出だしはわかりやすい。が、やっぱ数十ページよんだところで、だんだんついていけなくなる。 あ、やっぱまたか〜とあきらめかけたところで、話が、類型、自我、間主観性というところになって、急になにを問題にしているかが見え始める。問題に対する現象学の答えはわかるわけでないが、すくなくとも何を問題としているかがわかり、その問題が自分の問題意識と近いことがわかると俄然おもしろくなる。 現象学は、組織開発とかにも影響を与えているのだが、その接続点のようなものが見えつつあるかも。 この本をもう少し丁寧に読んでいくと、現象学にわたしなりに近づけるかも?

Posted byブクログ

2021/09/16

「フッサールと筆者の共同作業」と著者が語っているように、フッサールの思想を著者みずから歩みなおし、著者自身のことばで語りなおした本です。「本質直観」や「超越論的主観性」といった現象学の用語についても、フッサールの難解な議論を参照するのではなく、著者自身の解釈がわかりやすいことばで...

「フッサールと筆者の共同作業」と著者が語っているように、フッサールの思想を著者みずから歩みなおし、著者自身のことばで語りなおした本です。「本質直観」や「超越論的主観性」といった現象学の用語についても、フッサールの難解な議論を参照するのではなく、著者自身の解釈がわかりやすいことばで語られています。 まず、「物」とはなにかという問題がとりあげられます。著者は「物」を、さまざまな射影の背後にある実体であるとする考えをしりぞけ、さまざまな射影がシステマティックに現われたり現われなかったりする「構造」が、「物」の概念の根本だと論じられます。また「本質」についても、現象の背後にイデア的な実体を想定するのではなく、大きさも色も素材もさまざまに異なる諸現象が「円形である」という本質のもとで、ゼロ距離で結びつけられているという事態から解釈しようとしています。さらに「自我」にかんしては、自明的な経験のなかへの没入から、思いがけない事態が生じるなどして自明性が引き剥がされるときに、可能的な経験のなかを検索して「どうするべきか」を自覚的にえらびとるときに呼び出されるものとして解釈されます。「物」「本質」「自我」のいずれについても、なんらかの実体として解釈するのではなく、諸現象が展開される次元に内在して、それらを「媒介」している機能そのものとして解釈しようとしているところに、著者の議論の特色があるように感じました。 このほか、諸現象が展開される自明性の次元から、反省的主体がどのようにして析出されることになるのかという問題や、身体の「対化」によって間主観性が成立する機序についても解説がなされています。

Posted byブクログ

2020/01/23

現象学が自明のことをテーマにするという導入から、現象学のなんたるかの触りを分かりやすく本格的な学術として紹介してくれている良書。

Posted byブクログ