「就活」の社会史 の商品レビュー
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日本企業における大卒の就活の100年を振り返る。今も昔も、新規学卒採用の就活はツールは変われど、大きくは変わっていないということか・・・。
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◎就活の起源といまに息づく文化 この本によれば、1910年の新聞にはすでに、就活や企業に就職することの悩みが記事として掲載されているそうだ。 企業としてはできるだけ条件のいい社員がほしいはずだが、学生としてはできるだけ夢があり働きやすく、給料や待遇がいい会社に入りたいはずだ。上...
◎就活の起源といまに息づく文化 この本によれば、1910年の新聞にはすでに、就活や企業に就職することの悩みが記事として掲載されているそうだ。 企業としてはできるだけ条件のいい社員がほしいはずだが、学生としてはできるだけ夢があり働きやすく、給料や待遇がいい会社に入りたいはずだ。上記の記事その他ではもうすでにこうした部分でのお互いの食い違い(?)が表現されていて面白い。 映画や小説になるほど、就活は経験した各々の気持ちに残っているものだし、それは昔から書かれ続けたことだと知り、今の学生の悩みとはまた違うだろうと思うが、昔の学生も悩みながら自分と向き合い、希望するしないにかかわらず納得させられらのだろう。 筆者は最後のまとめで、「就活はムダだが仕方のないもの」と総括している。 (達観している)就活生はこの作業自体がムダだと思って活動している人もいるのではないか。しかし就活を終えた後で考えてみると、自分の考えをまとめることができたり希望が必ずしも通らないかもしれない中で数か月間生きていくことは、とても辛く自分や社会を責めたくもなるのだけれど、社会人になってからは何となく仕方がないことと割り切れるような気がしている。理不尽であることには変わりはないとは思うのだけれど。 当初ムダだと思ったことも、ダメなことならダメだとわかった段階で経験であり、ムダにはならないと思います。
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大正期から現代までの100年について、それぞれの時代の映像作品や新聞・雑誌記事などに残された「就活のありよう」を素材としつつ、また、労働社会学や労働経済学などでの成果も反映しながら、新卒就職の歴史的変遷とその社会的背景をたどっている。 その時々の景気に左右されて売り手市場と買い手...
大正期から現代までの100年について、それぞれの時代の映像作品や新聞・雑誌記事などに残された「就活のありよう」を素材としつつ、また、労働社会学や労働経済学などでの成果も反映しながら、新卒就職の歴史的変遷とその社会的背景をたどっている。 その時々の景気に左右されて売り手市場と買い手市場の波が繰り返されていることや学歴による格差など、「就活」の本質部分はいつの時代も変わらないこと、その一方で、様々な就活のディテールは移り変わっていっているということがよくわかった。特に、昭和期には、女性などに対する差別的な言辞が大手をふってまかり通っていたことに驚愕した。
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日本における就職活動100年史。さまざまな先行研究や自分自身の、あるいは自分の父親、母親、姉などのエピソード、さらに就職活動を描いた映画やテレビドラマ、漫画、雑誌などを縦横無尽に引用しながら、100年間変わらなかったこと、変わったことがわかりやすく叙述されている。著者と私は同い年...
日本における就職活動100年史。さまざまな先行研究や自分自身の、あるいは自分の父親、母親、姉などのエピソード、さらに就職活動を描いた映画やテレビドラマ、漫画、雑誌などを縦横無尽に引用しながら、100年間変わらなかったこと、変わったことがわかりやすく叙述されている。著者と私は同い年なので(ただし、学年は難波さんが1個上)、その分、共感する部分も多かった。 今、就活真っ最中のゼミ生やこれから就活をしていく学生さんにも是非一読を勧めたい。 ちなみに自分自身は色々あって、就活はせずに大学院に進学し、現在に至っているが、男女雇用機会均等法施行前夜の就活は体験しておいても良かったのかな?と少し思う(*ただ、本当に何にも考えていなかった学生なので、大学院を勧められず、そのまま就職戦線に出て行ったら、自己分析も何もできてない数多いるマスコミ志望の学生の一人として淘汰され、結局のところあまりよくわかってなかった業界に進んだかも……。あるいはもしかすると「高等遊民」になっていたかも(笑))。
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100年以上に及ぶ採用・就職活動の長い歴史。1930年ころから「大学は出たけれど」などの映画が作られ、「若者たち」その他の映画で就活が描かれていることは、一つの社会現象なのだろう。同じことの繰り返しが進歩なく行われている中で、1936年に東大・法学部の末広厳太郎教授が求職学生のこ...
100年以上に及ぶ採用・就職活動の長い歴史。1930年ころから「大学は出たけれど」などの映画が作られ、「若者たち」その他の映画で就活が描かれていることは、一つの社会現象なのだろう。同じことの繰り返しが進歩なく行われている中で、1936年に東大・法学部の末広厳太郎教授が求職学生のことを語っている言葉は実に現代的。仮名遣いなどそのままにしてみる。「驚くのは、彼らが想像以上に所謂就職戦術なるものを気にしていることである。尤も就職戦術を教える本まで出版されている世の中だから・・・。私は常々就職戦術を気にしている学生に『唯若者らしくありのままに応答しろ、其外何も心配することはいらない』と教えている。」大卒がインテリ階級から、グレーカラーに変化していき、この後の展開は?採用戦線を取ってみれば、私立大学のランク、女性の地位だけは確実に向上していると思う。それが日本そして人々にとって幸福なのかどうかは、私は疑問だと思っているが・・・。最後は一部のエリートを除き、就職先はブラック企業の営業職しか残らない?過去の歴史を見ると恐ろしい未来が垣間見える。私にとっては74年の就職協定初年度のことが詳しく書かれていること、また自分自身が採用にタッチした80年代の採用戦線の描写が懐かしい。振り返ってみてこのように総括されるのだろうと嬉しいような気がする。
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