地図とスイッチ の商品レビュー
幸せの形って、その人の気持ち次第なんだな。私たちは日々、小さなスイッチ(選択)を押してるんだな。と。 2014年12月30日
Posted by
「俺」と「僕」 同級生の母親どうしから同じ日に同じ産院で生まれた、ふたりの男のひとのお話。 どっちがどうって比べたりじゃなくって、 この時代・この年令の男のひとをふたり書きました、みたいな書き方。 タイプは違うけど、今どきとても多い気がする、卵の殻をお尻にくっつけたまんま年令だ...
「俺」と「僕」 同級生の母親どうしから同じ日に同じ産院で生まれた、ふたりの男のひとのお話。 どっちがどうって比べたりじゃなくって、 この時代・この年令の男のひとをふたり書きました、みたいな書き方。 タイプは違うけど、今どきとても多い気がする、卵の殻をお尻にくっつけたまんま年令だけ大人になりました ってな感じの。 対して、関わる女のひと達は 肩肘ごぃごぃ張ってたり、ねちっと強かだったり。 あんま友達にはなりたくないタイプ。 でもそれは、私も女だからこその近親憎悪なのかもしれんな。 でもまぁ 最終的にみんなそれぞれにそこそこのハッピーエンドで、多少の肩すかし感が逆にリアルかもね。 ■ ■ 余談 ■ ■ 「俺」と元ヨメとの諸々がさ、 なんかもぉ、これってウチの元ダンナが書いたんじゃ?って思ってしまったくらいの近似っぷり。 私達も傍から見たらこんな感じだったんだろか。 てな感じで、その辺りは羞恥の念にかられて、なんか冷静に読めなかったよ…。
Posted by
今までの人生で、いったいいくつのスイッチが目の前に現れいくつのスイッチを押したり押さなかったりしてきたのだろうか、とふと思ったり。 同じ日に同じ場所で生まれたオトコ2人。環境も性格も全く違う2人の目の前に現れて来るスイッチの種類も数も全然違う。 もしあのとき別のスイッチを押してい...
今までの人生で、いったいいくつのスイッチが目の前に現れいくつのスイッチを押したり押さなかったりしてきたのだろうか、とふと思ったり。 同じ日に同じ場所で生まれたオトコ2人。環境も性格も全く違う2人の目の前に現れて来るスイッチの種類も数も全然違う。 もしあのとき別のスイッチを押していたら、今とは別の人生を歩いているわけで、その選ばなかった人生をもしかすると別の誰かが歩いているかもしれなかったり。 と、いうようなことを考えながら読んでいて、いや、これはもしかするとしたたかなオンナたちとちょっとダメっぽいオトコたちのありふれた日常の物語なんかじゃなくて、あの日あの場所で2人が入れ替わったりなんかしたりしてたかもしれないぞ、なんて思いながらもう一度読んでみようかな、と。
Posted by
昭和47年9月8日、同じ札幌の病院で生まれ、母親同士も同級生という2人男。 けれど彼らは互いの存在を知ることなく、それぞれの人生を生きている。 2013年。40歳になった「ぼく」蒲生は、インテリアショップで働きながら、腐れ縁の女と同棲中。 もうひとりの主人公「おれ」仁村はできち...
昭和47年9月8日、同じ札幌の病院で生まれ、母親同士も同級生という2人男。 けれど彼らは互いの存在を知ることなく、それぞれの人生を生きている。 2013年。40歳になった「ぼく」蒲生は、インテリアショップで働きながら、腐れ縁の女と同棲中。 もうひとりの主人公「おれ」仁村はできちゃった結婚した年下の妻とそれなりに幸せに暮らしている鉄道マン。 幼少期、思春期、就職、結婚適齢期など時代をいったり来たりしながら物語は進むのだが、登場人物が必要最低限のため混乱したりまどろっこしく感じることなく読み進められた。 ぼくは裕福な家庭に生まれ育ち、ぶらぶら大学院まで進んでコネで就職するが、堪え性がなく(本人はそれを自覚していない)ほどなくして退職してしまう。 以来フリーター生活をしていたが、金持ちのぼっちゃんである友人が営むインテリアショップで働くことになる。 また、子供のいないおじ夫婦の営む病院の跡取りに望まれていることから、社会的に浮ついた存在でいることへの不安を感じず飄々と生きている節がある。 対しておれは工場で働く夫婦の長男として生まれ、貧乏目な四人家族。 堅実に鉄道会社に就職したが、嫁に押し切られた形の最初の結婚はうまくいかず離婚。 ずっと高校時代に付き合っていた恋人のことが頭の片隅にある。 このふたりを繋ぐのが、ぼくの同僚でおれの新妻であるちえり。彼女はインテリアショップのオーナー(ぼくの友だち)の愛人であるのだが、おれはそのことを知らない。 読者も含めて、おれだけがちえりの本性をわかっていないことで、物語の滑稽さと人間関係のリアルな多重性が表れている。 ぼくは社会をなんとなくナメているし、おれは根がアホというか単細胞。 彼らは恋や仕事に精を出したり、人生をはかなんだり思い悩んだりしない。 ただただ毎日を自分なりのテンポで生きている。 大きなドラマも感動もないのだが、でも人生ってこんな風に平凡だよな、と思わされる。 タイトルにあるスイッチは人生の選択のことで、それにより地図を描くように人生は広がっていく。 スイッチが現れたとき押すべきか、どちらを選ぶか。 そもそも生まれ落ちたときからスイッチの質や種類に差があるのではないか。 ぼくとおれはそんなことをちらりと片隅で考えながら、人生のスイッチを押したり押さなかったりして生きている。 少しずつ動いていくふたりの人生と合わせて、回想的に登場する過去の文化やエンタメが懐かしく面白い。 きっと40代前後の人は一段と楽しめるのではないだろうか。
Posted by
いつ、人生のスイッチを押したのか。それはきっと皆が思うことだろう。スイッチと言わなくても、例えば二択、三択の道の選択肢、または人生の曲がり角、的な。 同じ日に同じ病院で生まれたぼくとおれ。いくつかの共通点があり、どこかで交差しそうなそんな距離にいる二人の視点から物語は語られる。 ...
いつ、人生のスイッチを押したのか。それはきっと皆が思うことだろう。スイッチと言わなくても、例えば二択、三択の道の選択肢、または人生の曲がり角、的な。 同じ日に同じ病院で生まれたぼくとおれ。いくつかの共通点があり、どこかで交差しそうなそんな距離にいる二人の視点から物語は語られる。 ぼくみたいな男を私はとてもよく知っている。長年付き合っていた彼氏がそうだ。家庭が裕福、大学進学まで困ることなく、その気にならなくてもコネで就職もなんとかなってしまう環境。ゆるゆると、それはもうゆるい性格、バランスのまま中年期を迎え、そういう中でもきちんと道を、人生のスイッチを押していく。頑張らなくてもなんとかなるタイプ。 そしておれ。高校卒業と共に絶対に潰れない会社へ入社し、ときに恋愛もし、相手の女性に主導権を握られたまま二度の結婚をする。おれタイプもわたしの周りにもいるし、きっとどの読み手の周りにもいそうなタイプの男だ。 この作品の面白さは、いるいるこういうヤツ、となるところにあり、あるあるそういう経験というところと、さらには近年に、ぼくとおれが辿ってきた道筋に起きた数々のニュースの懐かしさにもあるだろう。ボリューム的にも読みやすく親しみやすい物語
Posted by
+++ 昭和47年9月8日。同じ日、札幌の同じ病院で生まれたふたりの赤ちゃん―― 「ぼく」蒲生栄人と「おれ」仁村拓郎。進学、就職、結婚、離婚etc.…… 毎日毎日、無数にあるスイッチの中からひとつを選んで押して、 選択を繰り返したふたりの男は、どんな道筋でそれぞれの人生の「地図」...
+++ 昭和47年9月8日。同じ日、札幌の同じ病院で生まれたふたりの赤ちゃん―― 「ぼく」蒲生栄人と「おれ」仁村拓郎。進学、就職、結婚、離婚etc.…… 毎日毎日、無数にあるスイッチの中からひとつを選んで押して、 選択を繰り返したふたりの男は、どんな道筋でそれぞれの人生の「地図」を描いてきたのか――。 感動作『田村はまだか』の名手・朝倉かすみが紡ぐ、40歳の「ぼく」と「おれ」の物語。 「スイッチは無数にあるんだよ。問題はどれを押すかってこと、ちがう?」 +++ 同じ病院で生まれた二人の男の子、という時点で、赤ちゃん取り違え事件?と思ったが、そんな劇的なこともなく、二人はそれぞれの人生をそれぞれに歩んでいく。ときどきに選んだスイッチが正解だったのか間違いだったのか、別のスイッチを押していたら今より素晴らしい人生があったのか、そんなことを突き詰めるわけでもなく、二人はそれぞれにスイッチを押し続ける。この先の地図がどうなっていくのか、どこへたどり着くのか。誰しも生まれてきたからにはスイッチを押さずにはいられないのだ。そう思うと、いままで以上に真剣に人生の地図のことを考えるようになる。栄人と拓郎がこの先どんなスイッチを押していくのか、どんな地図を描いていくのか、興味が湧いてくる一冊である。
Posted by