清沢満之と日本近現代思想 の商品レビュー
明治時代の哲学界において、清沢満之という思想家がどのように位置づけられるのかということを、思想史的な観点から論じている本です。 著者は、清沢を近代日本の思想界におけるトップ・ランナーだったと位置づけ、その思想的な営為の意義をあらためて考えなおすべきだと主張します。そして、西田幾...
明治時代の哲学界において、清沢満之という思想家がどのように位置づけられるのかということを、思想史的な観点から論じている本です。 著者は、清沢を近代日本の思想界におけるトップ・ランナーだったと位置づけ、その思想的な営為の意義をあらためて考えなおすべきだと主張します。そして、西田幾多郎、正岡子規、夏目漱石といった哲学者や作家たちが、清沢の思想と彼の生きかたについてどのように考えていたのかということを、さまざまな手がかりを通じて明らかにしています。その一方で、井上哲次郎を首魁とする東京大学では、独創的な思想家であった清沢が受け入れられる余地はなかったという指摘がなされており、清沢の思想を再評価することは、明治以降の日本における哲学研究のありかたそのものについて反省するという課題を含み込んでいることが指摘されています。 一方で著者は、「精神主義」ということばによって表現される清沢の思想が、かならずしも彼自身の考えではなかったと主張しています。雑誌『精神界』に清沢の名義で掲載された文章のなかには、弟子の暁烏敏や多田鼎の手が入っていると著者はいいます。暁烏らの親鸞理解は「恩寵主義」と呼ばれており、同時代の現実に対する批判的な精神を欠如していた点で、清沢の思想から区別される必要があります。本書では、暁烏など清沢の思想をかならずしも正しく理解していなかった弟子たちや、親鸞の思想に影響を受けつつそれを国家主義と結びつけていった倉田百三らの思想についても検討がおこなわれています。
Posted by
- 1