街場の戦争論 の商品レビュー
初めて読んだ内田樹の街場シリーズ。 新書大賞を受賞した『日本辺境論』は、 日本という国の地理的位置づけ、 武道を通して得た実践的な修業の本質など 目から鱗が多かった。 街場シリーズの「戦場」を手にとったのは 今回の衆議院選挙の隠しテーマが 集団的自衛権と憲法改正と感じたから。 幸...
初めて読んだ内田樹の街場シリーズ。 新書大賞を受賞した『日本辺境論』は、 日本という国の地理的位置づけ、 武道を通して得た実践的な修業の本質など 目から鱗が多かった。 街場シリーズの「戦場」を手にとったのは 今回の衆議院選挙の隠しテーマが 集団的自衛権と憲法改正と感じたから。 幸い、マスコミの世論調査で、「自民単独3分の2」が 効いたのか、一気にという可能性は薄れた。 しかし、アベノミクスの光に潜む影のようなものを 読み解くのに、おおいに参考になった。 「強い現実」「弱い現実」は 歴史を将来に向けた視座でとらえるときに おおいに参考になる。 そして最終章の「インテリジェンス」は 明日を生き延びるための術としての 全体知について。 これは、東日本大震災以降 いかに生き延びるかを問い続けている私にとって まさに納得できたサジェスチョンでもあった。 混沌の世を、生き抜く上で、常に手元に置きたい一冊。
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この著者の著作をずっと追い続けていたが、最近は本を乱発しすぎて内容も繰り返しがが多くなり、手に取るのを避けていた。しかし、昨今の絶望的とも思える日本の政治・経済状況の中で、内田センセイが「戦争論」と銘打った書物を出版するというのだから、読まないわけにはいかない。案の定、まえがき...
この著者の著作をずっと追い続けていたが、最近は本を乱発しすぎて内容も繰り返しがが多くなり、手に取るのを避けていた。しかし、昨今の絶望的とも思える日本の政治・経済状況の中で、内田センセイが「戦争論」と銘打った書物を出版するというのだから、読まないわけにはいかない。案の定、まえがきに、「どこかで読んだ話」をどんどん削っていったら、「戦争の話」と「危機的状況を生き延びる話」だけが残ったとある。 著者は、「過去についての想像力」をはたらかせることから始める。もしも、1942年のミッドウェー海戦の後に日本が講話を求めていたら・・・と。甚大な戦死者を出し、本土を焼かれ、沖縄を犠牲にし、原爆を2発も落とされ、壊滅的な敗戦を喫し、あげくの果ては、敗戦の総括も自分では出来ず、擬制ともいえる「国体」だけが残った日本。日本が、主体性を失うことのない普通の敗戦国になれなかったのは、戦前と戦後を架橋する「戦争主体」が不在であったからだと指摘している。第二次世界大戦を葬送する「喪主」が日本にはいなかった。その結果、日本は、アメリカの指示を待つしかない従属国のまま現在に至っている。集団的自衛権、TPP、米軍飛行場の辺野古移設・・・。戦後(昭和)は現在も続いている。 軽薄さや無力感に満ちた日本の空気に包まれていると、不安と焦りが募るばかりだ。著者は、こうした事態への対応策をはっきり示しているわけではないが、武道家らしく、身体技法や非常時対応能力を身に付けて「生き延びるための処方箋」だけは提示してくれている。 読後、爽快な気分にはなれないが、著者の言うように、暗くて悲観的な未来予測が外れることを願うしかないのだろうか。 73年前に日本が第二次世界大戦を始めた日、昭和89年12月8日に。
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冒頭で書かれてあるとおり。今年1年くらい著者の 出版本の数は驚異的というか、少し出しすぎと思います。 そうなると書いてある内容は以前に読んだ内容 ばかりかと。確かに以前からの内容と同じ内容も多く あるのですが。今回初めての内容もあり、逆に著者の意見がぶれていないという 感じがしま...
冒頭で書かれてあるとおり。今年1年くらい著者の 出版本の数は驚異的というか、少し出しすぎと思います。 そうなると書いてある内容は以前に読んだ内容 ばかりかと。確かに以前からの内容と同じ内容も多く あるのですが。今回初めての内容もあり、逆に著者の意見がぶれていないという 感じがします。そのこともあって、やはり面白い。 最後のあとがきのところで、もしかしたら私が ハマっている根幹というか、内田さんの一番 ベースの面白さをなしているような気がします。 『僕が訴えているのは、「想像力を広く深く使う」 ということでした。当面する問題に取り組むとき、 僕がよく採用するのは、「まったく違う文脈の中で 眺める」というやりかたです。』 『「非常用人材」「バカ枠」』
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【何故読みたい?】 日本の将来が不安だから 内田樹さんの本だから 視点を変えて世界を観たいから このままじゃダメだと思うから 【ファーストインスピレーション】 ぐいぐいと引き込まれる内容。 今月の熟読本にする。 [編集中] 第一章 過去についての想像力
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僕とミシマ社との付き合いは2008年の「謎の会社、世界を変える。~エニグモの挑戦」に遡る。当時の勤務先が表参道だったため、よく青山ブックセンターや山陽堂書店に通っていた。そこでよく平積みになっていたのがミシマ社というよくわからない出版社の本だった。今では書店の必須アイテムになった...
僕とミシマ社との付き合いは2008年の「謎の会社、世界を変える。~エニグモの挑戦」に遡る。当時の勤務先が表参道だったため、よく青山ブックセンターや山陽堂書店に通っていた。そこでよく平積みになっていたのがミシマ社というよくわからない出版社の本だった。今では書店の必須アイテムになった手書きPOPの走りだったかもしれない。 次いで新潮新書「日本辺境論」で内田氏の著作に出会い、読み進むうちに気がついたら合気道多田塾に入門するほどに傾倒してしまった。(ミシマ社代表の三島邦弘さんも多田塾生なのでおふたりとも僕の兄弟子というわけ) そんなわけでミシマ社から出る内田先生の本はちょっと襟を正して読むのだけれど、これはいつもとちょっと雰囲気が違った。ミシマ社と内田先生に底通しているのは、真面目ななかにもどこか(いやかなり)楽観的なところがあって、世の中の問題を真っ向から見据えて取り上げながらも最後はなにか希望を抱かせてくれる、そんな空気ではないかと思う。しかし、現在の第二次安倍政権が向かっている先にはかなりきな臭く、悲惨なものを見ているようで、すこし筆致が重いように感じる。 日本が60年間忌避してきた「戦争」というものを、わざわざたぐり寄せようとしている人間が、少なからずいるという事実。彼らはもちろん自分自身が戦場に行って危険にさらされることも、自国が戦場になって自分や家族が殺されることも想定していないだろう。「自衛隊員のいくらかは死ぬかも知れないが、その損失を補ってあまりある利益、国益があれば良いだろう」と考えているはずだ。あるいは「戦争ができる能力を高めるだけで、まさか戦争にはならないだろう。万一そうなったら、自分と家族は安全な国に逃げることはできるだろう」か。 そうした人間が政治や経済を動かしている現状。そしてそんな政治家を選んでしまう(あるいは投票すらしない)国民。 そこへの諦観が、本書では少しずつ強まっているような気がする。 東日本大震災と原発事故。 あれほどの災害と事故があってなお、そこから何も学ぼうとしない日本人に、やや絶望的な気分になってしまうのは僕だけではないと思うけれど。 微力だけれど、ひとりひとりの意識が変わっていくことがただひとつの方法だと思う。そのために理想を掲げること。文芸や芸術にできることはそれしかないのかもしれない。
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※このレビューにはネタバレを含みます
カタストロフを経由し、政体が変わっても、支配的なイデオロギーが変わっても、それでも揺るがないものの上に立っていたい。そのような堅牢な地盤を探り当てるための知的なエクササイズとして、僕は「歴史に『もしも』を導入する」ということをご提案しているのです。(p.36) 緊急事態についての法整備をする場合に最優先で配慮すべきことは「緊急事態宣言が恒久化するせいで国民が受ける被害」が「緊急事態に対処できないせいで国民が受ける被害」よりも決して大きくならないようにするためにはどういう仕組みを作っておくか、ということなのです。(p.129) 憲法の主務は国のかたちを急には変えないということです。それに尽くされると言ってよい。民主制では選挙による政権交代の可能性がつねにあります。その場合に、政権与党が変わるごとに統治システムが大きく変わっては困る。制度には、社会の変化に即応して変えてよいところと、簡単には変えてはならないところがある。「国家の骨組み」の部分は勝手には変えてはならない。国家の惰性を担保すること、それが憲法の役割である。いくら操舵手が懸命に舵輪を回しても、船が簡単には航路を変えて急旋回できないようにする安定装置、それが憲法です。(p.132) 原理的なことを再び確認しますが、民主制も立憲主義も意思決定を遅らせるためのシステムです。政策決定を個人が下す場合と会議で決めるのでは所要時間が違います。それに憲法はもともと行政府の独創を阻害するための装置です。民主制も立憲主義も「ものごとを決めるのに時間をかけるための政治システム」です。だから、効率をめざす人々にとっては、どうしてこんな「無駄なもの」が存在するのか理解できない。(p.141) 念押しするまでもないことですが、国民国家の目的は「成長すること」ではありません。あらゆる手立てを尽くして生き延びることです。あらゆる手立てを尽くして国土を守り、国民を食わせることです。(p.162) 弟子の立場にあるときには、自分が稽古している技術について「自分がどれくらいできるか、わかっている」「どのレベルであるか、知っている」ということはうかつに口にしないほうがいい。自分が修行のどの段階にいるのか、自分の才能や実力について、客観的に語ろうとしないほうがいい。(p.186) 戦争というのはどちらが正しく、どちらが間違っているから始まるわけではなく、「どちらも正しい」から始まる。だから、戦時国際法は戦争行為そのものについては正否を論じないのです。(p.246) 「非常時対応」の能力というのは、システムが崩れるときに局所的に生き残っている「条理の通った場」を見つけ出す能力のことである。絵画的に表象すれば、宮殿が瓦解するときに、「こっちだ」と言ってそこだけ石柱や岩盤が崩れ落ちてこない一本道を走り抜けることができる才能のことです。(p.259) どの論件についても、僕が訴えているのは、「想像力を広く深く使う」ということでした。当面する問題にn取り組むとき、僕がよく採用するのは、「まったく違う文脈の中で眺める」というやり方です。これまでそんなことばかりしてきたような気がします。(p.281)
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14/10/26。すぐに読み始めた。いつもながら、やっぱ内田さんは、すごい。歴史のifからして、ぶっ飛び。しかもミッドウェイ海戦後に日本が降伏していたらというifが。 10/31読了。
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