貧困の哲学(上) の商品レビュー
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マルクスよりもプルードンのほうがプロレタリアートへの視線が厳しい。貧困の哲学からそう感じる。 プルードンは「人間主義」的な見方をしている。いわば文芸かな。 プルードンは、価値には使用価値、交換価値、そして総合的価値ないし社会的価値だと述べている。 プルードンの考えでは、総合的ない...
マルクスよりもプルードンのほうがプロレタリアートへの視線が厳しい。貧困の哲学からそう感じる。 プルードンは「人間主義」的な見方をしている。いわば文芸かな。 プルードンは、価値には使用価値、交換価値、そして総合的価値ないし社会的価値だと述べている。 プルードンの考えでは、総合的ないし社会的は、使用と交換の、アウフヘーベン(小池百合子が使ったから、流行に私は乗ってみた)なのだ。この辺りがヘーゲルの弟子・マルクスが噛みつきたくなったのか。 貧困の哲学の問題点は、あまりにも「人間主義」的であることだ。 マルクスは、資本家やそのイデオローグを非難、批判、罵倒をするが、マルクスは人間主義的な観点から非難、批判、罵倒をしていない、ただ、興奮して書いただけだろう、なにしろジャーナリストでもあるから「スキル」のようなものではないか、それはともかく、マルクスは人間は諸関係のアンサンブルというようなことを述べているから、マルクスは人間が変われば社会が変わる、ということを露だにも思わず、そこが人間主義のプルードンとの決定的な差ではないのか。 プルードンが貧困の哲学で書いてある、プロレタリアートは、単一の仕事をして一生を終えるから無能だというような記述は、日本の経営者が泣いて喜びそうなフレーズではないか。 人間主義は、だめなのだ。プルードンは職業教育が重要だみたいなことを言っているが、それが後の知識人による知識人とは何か、というようなテーマに結びつくんだろう。 人文学の伝統的な流れの知識人がプルードンではないのか。
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