フロイトとユング 精神分析運動とヨーロッパ知識社会 の商品レビュー
フロイトとユングというタイトルだが、フロイトの精神分析に挑んだ自伝とも言われるように、ややフロイト寄りの内容。難解な語句や論理が容赦なく並ぶので、検索しながら追いついたり引き離されたり、時に置き去りになったりを繰り返す読書。 ー フロイトは、自身の過去を隠そうとした知能犯である...
フロイトとユングというタイトルだが、フロイトの精神分析に挑んだ自伝とも言われるように、ややフロイト寄りの内容。難解な語句や論理が容赦なく並ぶので、検索しながら追いついたり引き離されたり、時に置き去りになったりを繰り返す読書。 ー フロイトは、自身の過去を隠そうとした知能犯である。過去の偉人の自伝を素材にして、隠された記憶を呼び起こすことを精神分析の課題にし、レオナルドダヴィンチ、ドストエフスキー、シェイクスピアに関する作品を残している。秘密を追う者と思われるものの、二役を演じなければならなかった。 フロイトはユングより19歳年上であり、ユングの師匠のような関係性であったが、無意識の解釈等に相違点もあり、ユングの考える個人的無意識と集合的無意識の2つの領域が存在するという切り口に対し、フロイトにとっての無意識は、個人の持つ領域など、フロイトはまた、オカルト的な領域にも踏み込む。ユングは、フロイト性欲論において神経症の病因が性欲リビドーにすべて還元させられる点にも違和感をもつ。 専門用語の一部をメモしておく。ディレッタンティズム、ハシディズム、ユーデントゥム、マッハ主義、ハスカラ。 忘れていたり、そもそも触れてこなかった分野。こうしたものをネットで検索しながら読めるので助かるが、簡単な本ではないという印象だ。
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概して名著というものは要約を拒むものだが、まさしく本書がその例だ。プロの書いたものを含めて本書の書評をいくつか読んだが、その魅力を正確に伝えた書評に出会ったことがない。読まずに良さは解らないという他ないが、ひと度ページをめくれば、精神分析と19世紀末思想史に関心のある者なら誰でも...
概して名著というものは要約を拒むものだが、まさしく本書がその例だ。プロの書いたものを含めて本書の書評をいくつか読んだが、その魅力を正確に伝えた書評に出会ったことがない。読まずに良さは解らないという他ないが、ひと度ページをめくれば、精神分析と19世紀末思想史に関心のある者なら誰でも、一気に読み通せずにはおれないスリルと興奮に満ちた本と解るだろう。 著者が本書でやろうとしたことは、フロイトの方法をフロイト自身に適用すること、言わば「フロイトを精神分析する」ことだ。それにはフロイトの個人史を世紀末ウィーンの知的パノラマの中に置いてトータルに検討しなければならないが、動員される知識の量と範囲は半端ではない。ユダヤ神秘主義、物理学、法学、進化論、果ては悪魔学にスピリチュアリズムと、目次を見るだけでも眩暈がしそうになるが、あたかも推理小説のように読者をぐいぐい引き込む手捌きは名人芸の域に達している。 中でも評者が興味深く思ったのは進化論との共振だ。フロイトが唱えた性器以前の口唇期、肛門期という性愛段階説は、生物進化における系統発生を個体発生が反復するという、あのヘッケルの系統発生説の影響下に形成されたという。こうした性の唯物視はユングとの亀裂を決定的なものにする。またフロイトは晩年に、エディプスコンプレックスの起源が太古の原父殺害の記憶にあると主張した(『モーセと一神教』)が、そこには獲得形質が遺伝するというラマルク主義が働いている。 そしてフロイト理解で避けて通れないのが「フロイトにおけるユダヤ的なるもの」をどう見るかだ。フロイトの無意識はユングのそれとは対照的にどこか暗い陰を伴っている。それはユダヤ社会においてすらマージナルな存在である東方ユダヤの出身でありながら西欧社会に同化していた彼が、父祖の伝統に対して抱いた離反と執着のアンビバランスを念頭におく時初めてよく理解できる。上述の晩年の原父殺害仮説は、父祖のアイデンティティを抹殺した彼の個人史における「原罪」とオーバーラップするのだ。 本書の初版は1989年、上山先生の定年退官の年である。この年リアルタイムで本書の内容を講義で聞くことができた幸運は、評者にとって一つの奇跡であり、懐かしい青春の思い出である。法学部の専門科目「比較法概論」で大真面目にフロイトを論じることが許された大らかな時代である。ともあれ続刊(『宗教と科学』『ブーバーとショーレム』)の文庫化と先生の新作が待ち遠しい。
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長尾先生のケルゼン『デモクラシーの本質と価値』解説に参考文献として挙げられていましたので、手に取りましたが、実に凄い本ですね。
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『神話と科学』(岩波現代文庫)とならんで、ヨーロッパの世紀転換期にかんする著者の思想史的研究をまとめた本です。 フロイトの思想には、アドラーやフランクル、フロムらとくらべると、理解しがたい側面があるように思います。もちろんユングの思想も難解といえるかもしれませんが、ユングのばあ...
『神話と科学』(岩波現代文庫)とならんで、ヨーロッパの世紀転換期にかんする著者の思想史的研究をまとめた本です。 フロイトの思想には、アドラーやフランクル、フロムらとくらべると、理解しがたい側面があるように思います。もちろんユングの思想も難解といえるかもしれませんが、ユングのばあいは彼の考えていた集合的無意識へ沈潜していくことがむずかしいのであって、理論の構成そのものはむしろわかりやすいように思います。また、ビンスワンガーやボス、ミンコフスキーらの難解さは、彼らの議論の背景となっているハイデガーやベルクソンの哲学の難解さに由来するもので、フロイトのむずかしさとはかなり種類が異なるように感じます。 本書は、かならずしもフロイトの思想のそうした難解さを主題としているものではありませんが、フロイトを取り巻く世紀末ウィーンの思想風土を広く紹介することで、フロイトを理解するためのさまざまな視点を提示しているように感じました。現代では多種多様な夾雑物を除いたかたちで理解されているダーウィニズムが、当時においてはヘッケルやゲーテの形態学と複雑な関係のなかに置かれていたことが指摘されていたり、あるいは、当時のユダヤ思想の展開を参照することでフロイトがエディプス・コンプレックスを発見することになった道筋が照らし出されていたりと、いくつもの興味深い論点が提出されています。科学者としての立場を守りつづけたフロイトですが、その思想が一筋縄では理解できないようなものになったことの理由が、同時代のさまざまな文脈を見ていくことでしだいに明らかになっていくようで、たいへんおもしろく読みました。
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精神医学でも臨床心理学でもなく社会思想史の本。科学と宗教の揺らぎのなかで二人がどう時代とかかわってきたか。彼らはまぎれもない時代の子であるが継子だったかもしれない。大学や医学の主流から逸脱しながら諸学に通暁し考古学、人類学、神話学を鍵とする。学問への尽きせぬ探求心は本書そのものの...
精神医学でも臨床心理学でもなく社会思想史の本。科学と宗教の揺らぎのなかで二人がどう時代とかかわってきたか。彼らはまぎれもない時代の子であるが継子だったかもしれない。大学や医学の主流から逸脱しながら諸学に通暁し考古学、人類学、神話学を鍵とする。学問への尽きせぬ探求心は本書そのものの有り様でもある。あらゆる資料の渉猟と考察、想像力。ボリュームも内容も手応え十分な一冊。しかもこの先生法学者なんだよね。
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学術的考察が微視化されたことで見えなくなった「森」を鳥瞰するためには、これだけの資料を読破し、アタマで整理し、著述していかなければならないのだなぁ。 まさに知的巨人と呼ぶにふさわしい。 法学者だからこそできたことかもしれない。
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