神隠し・隠れ里 柳田国男傑作選 の商品レビュー
自然主義と子供の頃の体験、国家公務員としての立場、ロマン主義などの柳田国男の背景は難しい。ここは長く研究している・読み込んでいる人むけかと思う。 なので、編者の意図とは違う視点での読書になったが、印象深いところを書き出すと、 不安定な子供の立場…共同体からの承認を得てはじめて生...
自然主義と子供の頃の体験、国家公務員としての立場、ロマン主義などの柳田国男の背景は難しい。ここは長く研究している・読み込んでいる人むけかと思う。 なので、編者の意図とは違う視点での読書になったが、印象深いところを書き出すと、 不安定な子供の立場…共同体からの承認を得てはじめて生存を許される、心身が定まらないがゆえに神隠しにあう・依坐となる、親子心中の犠牲者となる。そのなかで神隠しにあった柳田の恐怖心なども見え隠れする。 母衣については先に読んでいた山本ひろ子『大荒神頌』で花祭の論考でそれの答えになるような事例があった。 隠れ里への憧憬と畏れ…隠れ里の伝承とともに、現実に見つかった・外界に開かれた土地を挙げるのは、伝承と現実の接点をあえて書き留めたようにもみえる。 重力源としての柳田…親友田山花袋、遠野物語を古本屋でサルベージして喜びにうち震える折口信夫、遠野物語の住人佐々木喜善。柳田本人、その作品に影響される人々と、その重力圏内にいる人。いまだに遠野物語にとらわれている現代人がいることからも、本人が考えていた自然主義やロオマンスを超えた(ズレた?)ところに、強い力があるのかもしれない。
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旧字体は基本改められているが、全体を通して難しかった。明治生まれの人の文書はやはり気合がいる、かも。 しかしその中で柳田國男の発見したこと、考察したことを理解することが民俗学の中の気づきにもなる。 ・多くの神秘談は老衰してもう山で稼げなくなった者が、経験を子弟に伝えようとするつ...
旧字体は基本改められているが、全体を通して難しかった。明治生まれの人の文書はやはり気合がいる、かも。 しかしその中で柳田國男の発見したこと、考察したことを理解することが民俗学の中の気づきにもなる。 ・多くの神秘談は老衰してもう山で稼げなくなった者が、経験を子弟に伝えようとするついでに言い残すのが普通であること。そうでなく面白げに話すのは受け売りの誇張の多い話しと見てよいということ。 遠野物語にも出てくる、不思議で時に恐ろしい話は、老衰してもう長くないと悟ったものがやっと口を開く、経験談なのだということが印象深かった。 ・小児に「けさ」という名を与える例が全国的にあること。災難よけの意味があるとのことだが、それは子どもが生まれたらモノに命を取られないように顔を隠すもうなものと、受け取れた。 ・子供の間引きが行われていた頃にふれ、「でんぎょう祝い」という、子が生まれる前に食べ物などを親戚が持ってきて宴会をする。それをした後は子はもう殺せなくなる。子が生まれる前のこのタイミングで、子の生存権を承認されたということになると。 このような行為を見ると子の生存権がどのように扱われていたかわかるだろう、と柳田はふれる。農村などでは予算のように子供を間引くが、その理由は経済的な理由からであり、女が子を連れて心中することにも触れる。現在は子を連れて行くのは仕方ないと見られていたが、かつては子供まで連れて行く奴があるかと言われていたことに言及し、社会情勢で子供の命の扱いが左右されていること投げかける。 編者後書きも含めてみると、目の前の社会問題を解決するために柳田が民俗学を国民が学ぶ必要があると言ったその一端がわかる内容だとわかった。
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神隠しと隠れ里をテーマにしたアンソロジー。 「神隠しにあいやすき気質」では柳田國男の幼い時の体験が記される。狐の穴の話が興味深かったです。
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柳田国男は播州地方の出身だ。 「山の人生」山に埋もれた人生あることとという意味 物語では無いのだが昔の話で物語のように思える。不思議な感じである。
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テーマは興味深いのだが、ちょっと読みにくかった。天狗に未来を見せてもらう話は、こう来るとは思わなかった。過去を見る方を選んでいたらどうなってたんだろう。
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いちおう「神隠し・隠れ里」なるテーマのもとに編まれたアンソロジーなのだが、編者の大塚英志さんという方がちょっと変わった人なのか、あんまりテーマと関係ない文章もけっこう含められている。それでも、未読の柳田の文章を読めると言うだけでありがたいのだが。 異界を暗示する「神隠し」のような...
いちおう「神隠し・隠れ里」なるテーマのもとに編まれたアンソロジーなのだが、編者の大塚英志さんという方がちょっと変わった人なのか、あんまりテーマと関係ない文章もけっこう含められている。それでも、未読の柳田の文章を読めると言うだけでありがたいのだが。 異界を暗示する「神隠し」のようなテーマに関しては、柳田自身、これは民俗学の題材と言うより「心理学」のそれではないかと疑念を呈している箇所もあり、さほど深く追究する気になれなかったようだ。興味はあったのだろうけれども。 巻末には同時代の田山花袋や水野葉舟の小説、柳田『遠野物語』の話材提供者である佐々木喜善の作品、および折口信夫の詩が収められている。どれも貴重な読み物ではある。が、柳田の作品集に直接的には関係しないような他者の小説を入れるような試みについては、賛否が分かれるところだろう。
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