現実脱出論 の商品レビュー
前著「独立国家のつくりかた」が面白かったので楽しみにしていた。そこでいわれたレイヤーを掘り下げる本かと思ったが、しかし、どうも違う。うまく読めない。僕としては珍しく、一日数ページずつというスローペースで読んだ。 どこまで読んだかわからなくなって行ったり来たりする。ここは読ん...
前著「独立国家のつくりかた」が面白かったので楽しみにしていた。そこでいわれたレイヤーを掘り下げる本かと思ったが、しかし、どうも違う。うまく読めない。僕としては珍しく、一日数ページずつというスローペースで読んだ。 どこまで読んだかわからなくなって行ったり来たりする。ここは読んだよな、いやはじめてかもしれないな。既視感がある。デジャブを否定されて悲しむ著者に自分を重ねたりしてみる。 「しっかりと言語化されていない叫びを人々に投げかけたとしても、誰も耳を傾けないだろう。他社もまた自分だけの空間を持っているのだから。土足で入り込んではいけないのだ。現実さんともそのように接する必要がある。」 そうだ、これは僕も通り過ぎてきたことの言語化ではないか。既視感はすなわち、うまく言えなかったこと。 だが、読後は引き続き言語化出来ない自分の思考に気持ちわりー、頭いてー、という状態である。ビバ人世(なんて言葉でごまかすからいけないんだよね、わかってるよ)。
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人間の現実は野生動物にとっての草原であり、思考は巣(つまり行為ではなく空間)である。現実という用語はあいまいに使ってあって、私が知覚する現象の世界であり、他者との関係が結ばれる空間でもある。 思考と現実という二つの空間の相互作用を促すのが振る舞いであり、思考は線をかくことで現実へ...
人間の現実は野生動物にとっての草原であり、思考は巣(つまり行為ではなく空間)である。現実という用語はあいまいに使ってあって、私が知覚する現象の世界であり、他者との関係が結ばれる空間でもある。 思考と現実という二つの空間の相互作用を促すのが振る舞いであり、思考は線をかくことで現実へと現れる。線をかき、創造することは、現実とは異なる空間があるということを現実において他者に伝えることである。 『独立国家のつくりかた』のような衝撃はなく、上記のような主張もそれほど斬新ではなかった。 しかし、現実脱出としての創造をすでにこの本の中で十分に実践して見せており、啓発的な力を持っている。 思考を空間として捉えたり、躁鬱を自分という機械の動きと捉えたりといった、独特の唯物論と比喩語法を見ることもでき、独立国家をつくるに至った道筋もすこし読み取れたように思う。
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著者・坂口恭平さんの体験をもとに、「現実」と「思考」について考える本。難解な部分も、読みやすくて楽しめる部分もあるけど、色々なことを考えさせられた。「現実は一つ、思考は無限」と考えると面白いかもしれない。
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現実逃避ではなく現実脱出について考察した作品。 ここで表現される現実とは、社会とか一般常識とかに置き換えるとわかりやすい。 ツイッター上などでも告白しているが坂口氏自身は重い躁鬱病を患っており、日々苦しい闘病生活の中でこのような考え方が確立されたのだと思う。 ただ、現実の空間...
現実逃避ではなく現実脱出について考察した作品。 ここで表現される現実とは、社会とか一般常識とかに置き換えるとわかりやすい。 ツイッター上などでも告白しているが坂口氏自身は重い躁鬱病を患っており、日々苦しい闘病生活の中でこのような考え方が確立されたのだと思う。 ただ、現実の空間を管理する多くの人々がいることで、この世の中が成立していることも忘れてはいけないのだ。でもたまには、時間や空間など現実の壁を忘れて、自分の営巣本能に従い籠ってみるのも面白いのかもしれない。
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東京0円ハウス、独立国家のつくり方など、一見して何もない空間から、別の新しい空間を生み出し、その視点から新しい社会を築こうという作者の最新作である。 今作では、目に見える現実のみが唯一の世界なのか。その常識を疑う。 ぬいぐるみ王国のトヨちゃんの話を読みながら、忘れていた記憶がよみがえってきた。 中学生の頃まで、俺もトヨちゃんと同じくぬいぐるみと話すことができていたことを。 小学生の頃、札幌への家族旅行で何故かどうしても買ってほしいと駄々をこねた。 雪印パーラーのお土産の棚に並んでいた、フクロウのぬいぐるみ。ホースケと名付けた。俺のハンドルネームの由来だ。 そのうちフクロウのぬいぐるみは増え続け、大小50匹はいたと思う。 最初のホースケはホースケ村を開拓し、ホースケは友人や家族を呼び村にはフクロウが増えていった。 そんなホースケ村に時々招かれて俺はぬいぐるみを詰め込んだ押入れの中、無限に広がるホースケ村という空想の中で遊んでいた。 いつからだろう。現実しか見えなくなってきたのは。 世界には目に見える現実しかない。思考、空想を現実が抑え込む。 今日は休日、のんびりと小金井の江戸東京たてもの園を散歩してきた。 明治の建築物から昭和中期にかけての一軒家の中まで覗いてきた。 昔の家には無の空間を無限に広げる工夫がある。 ふすま、障子を開ければ、閉じられていた空間は必要なだけ広がる。 かつての江戸は火事ばかり。箪笥一つ担いで逃げ出したという。 無機質なコンクリートで囲われた空間、物で溢れかえる部屋。 合理性を追求した現代建築は人、物とともに思考を抑え込んできたように思う。 現実がある。しかし、現実しかないのだろうか。 子供の頃の空想は、全てが嘘幻だったのだろうか。
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これはやばい!めちゃくちゃよかった! 正直、読み途中はそんなに良いとは思わなくて、ブクログでもそこまで評価を高くしたいとは思わなかった。 個人の思考と集団の意識のこととかは誰もが思っていながら言葉にできなかったことだし、それを独自の言葉と組み立て方で整理して表現したことは確かに本書の重要な成果だと思う。 だけど、行間から強烈な承認欲求が染みだしまくってて、どうしても白けてしまう!苦手だ! ……と、まあそんなことを書こうと思ってた。 なんだけど、終盤に向かうにつれて、そんな承認欲求のようなものはとても些末なことに思えてきた。 それは著者自身にすごい熱意と行動力があるからなんだよね。 新政府いのちの電話として自身の携帯電話の番号を公開し、「希死念慮に苦しむ人」と対話した、というのは本当に驚いた。誰かがツイートしてたけど、この著者は本気で世の中を変えようとしてる。そしてそのことは、本書に書かれていることに強い説得力を持たせてる。 それがとても良くて、白けは一気に尊敬にかわってしまった…すげえ傲慢だが……すいません……。 僕はこういう人になりたいなあ。 おすすめです!
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現実を一面ではなく、多方面から見た著者の思考。当たり前と思う事も、少し考え方を変えてみると様々な発見がある。現実と非現実の狭間を著者なりに記した一冊。少し哲学的な趣も感じさせられるが、読みやすい印象。
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集団の現実と個人の現実、躁鬱を自分に搭載されている機械だと考える坂口さんの現実脱出論を読むと『徘徊タクシー』や『蠅』などの小説で書かれているフィリップ・K・ディック的な多層な、幾つかのレイヤーを行き来する物語がなぜ書けるのがわかった気がした。
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誰かが突然「これから並行世界の話をしよう」といったら、あなたはどう思うだろうか。または「現実脱出の方法について、レクチャーしよう」といったら、頭がおかしいと思うだろうか。 人間が社会を形成するということは、相互扶助のシステムを作って物資の流通効率を上げ、種としての生存確率を高...
誰かが突然「これから並行世界の話をしよう」といったら、あなたはどう思うだろうか。または「現実脱出の方法について、レクチャーしよう」といったら、頭がおかしいと思うだろうか。 人間が社会を形成するということは、相互扶助のシステムを作って物資の流通効率を上げ、種としての生存確率を高めるための必然的な選択だった。 けれど、いまではその「生きるための社会システム」そのものに絶望してドロップアウトし、果ては死を選ぶ人が爆発的に増えている。これはひとえに現実社会というやつが、そもそも人間が持っていた「もうひとつの世界」を侵食し、食い尽くしてしまったからなのだろう。 それぞれ生物の時間や空間の知覚は、絶対的な尺度では計ることができない。体験の質やタイミング、自身の状態によって時間は長くもなれば、同様に空間も延び縮みする(ように体験されうる)。 アインシュタインは物理法則としての相対性理論を打ち立てたけれど、心理的作用による空間/時間の相対性というものも確かに存在する。 しかし「現実」というやつは、僕たちを絶対的な尺度をもって囲い込み、逃げ場を奪う。常に浴びせかけられる同調圧力によって「ここでしか生きられない」と思い込まされ、限界を超えてもなお、じっと耐えることを強いられる。 でも、実は今いる場所だけがすべてではない、与えられた尺度だけがすべてではないことを感じられたなら……人はもっとうまく、豊かに生きていけるはずだ。 そこで坂口は、自分の「思考の巣」に帰って「創造」をすることを勧める。 現実と対置する「もうひとつの世界」を生み出す余技。これは人類がこれまで編んできた文化のことなのだろう。音楽、文学、演劇などのアートこそ、現代における生命維持装置になりうる。 ただしそれも、承認欲求の発露としてでない場合。つまり、創造という行為そのものに価値を見いだす場合に限られるだろうけれど。 生きるために現実の社会は必要だ。けれど一方で、自分を死ぬまで追い詰めてしまうことのないよう、もうひとつの世界/レイヤーを創造し、常に片足をそちらに置いておく。これは、坂口恭平の一貫したメッセージだ。 現世的な規範や価値基準だけがすべてではない。視点を変えれば、そうしたオーダーの恣意的な、破滅的な側面も見えてくる。そうして自分自身が創造し続けることによって、僕たちはまだ生きていくことができる。 ……ビバ、妄想。でもバランスが大事。 うーん、坂口氏の幼少時代のエピソードにはどこか身に覚えがあって、なぜか追っかけずにはいられないのだよなぁ。
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