マタイ福音書を読もう(2) の商品レビュー
・今日の世界は、無数の出版物、テレビ、ラジオ、インターネットなどにおいて、言葉が氾濫しています。そうした中で、「言葉」は「情報」と同様、使い捨てのものになってしまいました。はたしてどの言葉が有益なのか、どの言葉を信頼してよいのかがわからない。言葉の価値、言葉の権威が失墜してしまう...
・今日の世界は、無数の出版物、テレビ、ラジオ、インターネットなどにおいて、言葉が氾濫しています。そうした中で、「言葉」は「情報」と同様、使い捨てのものになってしまいました。はたしてどの言葉が有益なのか、どの言葉を信頼してよいのかがわからない。言葉の価値、言葉の権威が失墜してしまうのです。しかしそのように言葉が信じられない時代にあって、聖書は「真実な言葉」が存在すること、私たちを裏切らない言葉が存在することを告げているのです。そしてこの二千年の歴史がそれを証ししています。 ・日本人はしばしば「人様に迷惑をかけない」ことを一人前の人間の基準としますが、私たちは多かれ少なかれ、人に迷惑をかけて生きています。むしろそのことをどれだけ自覚しているのかのほうが大事ではないでしょうか。私たちが「自分は誰にも迷惑をかけていない」と思っている限り、主イエスと触れ合うことはないでしょう。 ・「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる」 ・「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる」 ・「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」 ・主に従うことは、決して安易な道ではありません。厳しく険しい道です。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」。「自分の命を救いたいと思う者」とは、やはり古い自分にしがみついている者でしょう。失いたくないのです。自分を守るためにいろいろなことをする。自分中心になってしまいます。そうした者は、いくら守ろうとしてもそれを失う。しかし、自分自身を主に差し出すと、逆にその人生は祝福され、新しい命を得るということです。これが信仰の逆説であり、信仰生活の秘密です。そのことは、自分に固着している限り、わからないのです。
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