母がしんどい コミックエッセイ の商品レビュー
明るく楽しい母。 けれど、それは機嫌を損ねるまで、の限定。 最初からこの生活なら、これが当然、と 脱出する事ができません。 読んでいてかなりくるものがあります。 気持ちが沈んでいる時に読んだら、さらに暗くなるかと。 けれど、分かる部分もあります。 相手に合わせておけば、やり過...
明るく楽しい母。 けれど、それは機嫌を損ねるまで、の限定。 最初からこの生活なら、これが当然、と 脱出する事ができません。 読んでいてかなりくるものがあります。 気持ちが沈んでいる時に読んだら、さらに暗くなるかと。 けれど、分かる部分もあります。 相手に合わせておけば、やり過ごせる、と思う所。 立ち向かった方がいいのでしょうが もう心が折れているのです。
Posted by
実母との確執(?)を描いたコミックエッセイ。 “親といるのが息苦しい、でも決別するのには罪悪感がある……、そんなあなたにこそ読んでもらいたい、毒親との戦いの記録。「わたしの人生は、お母さんのものじゃない!」母親との戦いと決別、そして自立の物語ー。”ー帯より。 まえがき [...
実母との確執(?)を描いたコミックエッセイ。 “親といるのが息苦しい、でも決別するのには罪悪感がある……、そんなあなたにこそ読んでもらいたい、毒親との戦いの記録。「わたしの人生は、お母さんのものじゃない!」母親との戦いと決別、そして自立の物語ー。”ー帯より。 まえがき [第1章]お母さん絶好調 [第2章]家からの脱出 [第3章]親への疑念 [第4章]しあわせ あとがき かわいい絵柄に反して、内容はかなり重たかったです。このお母さん、まさに“毒親”ってやつだと思いますが、筆者が一人っ子だというのも、きっと状況を悪化させた要因の一つなのではないでしょうか。 社会人になって、一人暮らしして自立して、客観的に考えるようになれて、よかったですね。前半は、読んでいて、他人事ながら心が痛くなってくる…。 同様の悩みを抱えている人、きっと少なくないんだと思います。
Posted by
いわゆる「毒親」をテーマにしたエッセイ風コミック。家族、夫婦、親子のあり方について考えさせられる。子どもの人格を認めること、子どもを支配しないこと、子どもに依存しないこと....言うのは簡単だけど、実際はこのコミックで描かれるような毒母って、少なくないんだろうなぁ。
Posted by
可愛い絵柄だけど内容が強烈。これが実話なら、作者は良く幼少期から鬱にならなかったな……とゾッとしました。1人子ゆえか、成人になっても親に歩み寄ろうとする姿勢が見てて心痛かったです。自分ならもう一切の縁を切ると思う……結婚式に呼んだりとか、すごい。どの口が「死んでから親の有難味が」...
可愛い絵柄だけど内容が強烈。これが実話なら、作者は良く幼少期から鬱にならなかったな……とゾッとしました。1人子ゆえか、成人になっても親に歩み寄ろうとする姿勢が見てて心痛かったです。自分ならもう一切の縁を切ると思う……結婚式に呼んだりとか、すごい。どの口が「死んでから親の有難味が」と言えるのか。正直父母どちらも異常者としか…… しかし、こういう親は人前では猫を被るだろうから、いることには多くいるんだろうな……
Posted by
誰が見ても変な両親に育った娘の奮闘記。 幼少期はそれが当たり前で変とはあまり思わなかった。 思春期頃に明らかに母はおかしいと気付かされ、 如何にしておかしな母の、愛という呪縛から逃げるかの闘いが始まる。 軽く調べた程度の知識でもわかる、 母と娘の間の典型的なアダルトチルドレンとな...
誰が見ても変な両親に育った娘の奮闘記。 幼少期はそれが当たり前で変とはあまり思わなかった。 思春期頃に明らかに母はおかしいと気付かされ、 如何にしておかしな母の、愛という呪縛から逃げるかの闘いが始まる。 軽く調べた程度の知識でもわかる、 母と娘の間の典型的なアダルトチルドレンとなる要素が散りばめられていて、 アダルトチルドレンの方は当てはまる要素が多々あるのではないだろうか。 調べるほどこの漫画のようなタイプは、 母と娘に限定されがちである。 僕は言いたい。このパターンで母と息子もありえる。
Posted by
毒親の度合いに関する定義が難しいが、共感を覚えずにいられない…… 毒親はおそらく、かつて「アダルトチルドレン」と呼ばれたもの、それは「自己愛型パーソナリティ障害」であったり、表面的には仲良しな「ともだち親子」と呼ばれる関係――が招く弊害の事だろう。 自分の思い通りに子供を動かす...
毒親の度合いに関する定義が難しいが、共感を覚えずにいられない…… 毒親はおそらく、かつて「アダルトチルドレン」と呼ばれたもの、それは「自己愛型パーソナリティ障害」であったり、表面的には仲良しな「ともだち親子」と呼ばれる関係――が招く弊害の事だろう。 自分の思い通りに子供を動かすことが(毒親はそれを「自分は我が子をきちんと教え導いている良い親」だと思っている)教育だと思っている。 毒親は自分という軸を持っておらず、気分で教え、気分で怒る。 これには思い当たるものがあり、苦痛を感じる―― 「ここから逃れたい」と願う子供。 それなのに、日本の場合は儒教的な思想・文化があるせいか、「老いた親の面倒を見るのは当たり前」という世間体故に、こうした親から縁を切れない・切れなかった子の叫び声が聞こえてきそうだ。 このコミックエッセイはキャリル・マクブライド『毒になる母親』(http://booklog.jp/item/1/4864101191)で紹介されている「悲嘆のプロセス」と呼ばれる、母親からの分離を果たすための前段階に当たるのだろう。 最後の方のページには、そうした毒親の背景にも眼を向ける著者。 母親が支配的なのは、強いからではなく(癇癪は弱さ、自身の無さの表れ)、自分という軸が無く、娘(おそらくは他者すべて)と自身を同一化しているため。 だからエイコさんの人間関係に土足で上がり込み、自身の趣味を押し付ける、勝手な想像で不安になり(杞憂)見当違いな解決策を模索したり、自分は素晴らしい人間だ(本当はそうありたいという願望の混同)……という奇行に及ぶ。 「自分という軸が無い」それは先天的な疾患なのか、高度経済成長期の「性別役割分担」や「ステレオタイプのライフスタイル」「早期教育」が招いた親子の承認欲求不足では無いだろうか――
Posted by
我が母と言うよりは、今の私のことだ。 子供たちに対して、同じことをしている。 この本を反面教師にして、私を変えていきたい。
Posted by