無名の人生 の商品レビュー
80歳を超えて、なお文筆活動をこなす著者が目の前に控える死を意識いながら、語る人生訓。戦後すぐの混乱期をを生きてきた人間の芯の強さが詰まっている。平和な時代だけを過ごした人たちにはなかなか達観できない境地だ。 著者のスタンスは、昔は皆が思うほど悪くないということ。といって、「最...
80歳を超えて、なお文筆活動をこなす著者が目の前に控える死を意識いながら、語る人生訓。戦後すぐの混乱期をを生きてきた人間の芯の強さが詰まっている。平和な時代だけを過ごした人たちにはなかなか達観できない境地だ。 著者のスタンスは、昔は皆が思うほど悪くないということ。といって、「最近の若いものは…」という結論ではない。古い時代、新しい時代、それぞれの良さを認め、到達した結論は「人間、死ぬから面白い」だ。 死があるから、生が輝き、生に喜びを感じ、生に執着する。生きてさえいれば、成功とか出世とかどうでもいいと、著者は語る。
Posted by
「無名の人生」読了。 「逝きし世の面影」を以前に読み、同じ著者の新書なので興味を持って読んでみた。 著者の生い立ちから、「逝きし世の面影」の作成の過程、人生、国家、江戸の暮らしなどについて思いを語っている。 戦中戦後の話はおやじの話を聞いているようで面白い。 あるがままに生きると...
「無名の人生」読了。 「逝きし世の面影」を以前に読み、同じ著者の新書なので興味を持って読んでみた。 著者の生い立ちから、「逝きし世の面影」の作成の過程、人生、国家、江戸の暮らしなどについて思いを語っている。 戦中戦後の話はおやじの話を聞いているようで面白い。 あるがままに生きるという生き様についての考え方は共感できるが、ふと、自分の人生が無駄ではなかったと思いたいがために自分の人生を肯定するというのであれば少しむなしい気もした。 とかくこの世は難しい。
Posted by
隠者の風のある評論家がその生き様を語ったもの。著者は幼少期から京都、大連、熊本などを点々とし、老いて後、娘夫妻の家に身を寄せるまで借家ぐらしの流転の人生を歩みます。 心情的にどこにも属さない、あるいは故郷なるものを持たないそのマージナルな生きざまは、まさしく知識人の原点に沿った...
隠者の風のある評論家がその生き様を語ったもの。著者は幼少期から京都、大連、熊本などを点々とし、老いて後、娘夫妻の家に身を寄せるまで借家ぐらしの流転の人生を歩みます。 心情的にどこにも属さない、あるいは故郷なるものを持たないそのマージナルな生きざまは、まさしく知識人の原点に沿ったものといえるでしょう。(サイードが"知識人とは何か"で語る知識人像をこの人が体現しているように思えます) 「成功」「出世」「自己実現」などくだらない、出世とは嫌々するもの、などシニカルな世界観が染みます。 ○だいたい部長になるのとヒラのままでいるのと、給料にどれほどの違いがあるというのか。大したことはないでしょう。それよりも、組織に身を置く置かないにかかわらず、清潔な生き方を目指したほうがよほどいい。 ○しかしながら、人間というのら元々肩書きのない存在だ。サルを見てみろ、サルに肩書きがついているか?職業人として肩書きにふさわしい仕事をすることも大事だけど、その一方で、肩書きのない自分が本当の自分であることを、いつも心の片隅に持っておいて欲しい。
Posted by
20141123 生きるということの究極は足るを知るという事なのだと思う。江戸時代との比較でも結局は何を持って幸せを判断するかに落ち着く。歳を重ねるうちに実感できれば良いが。
Posted by
今の世の中では氏の「無名に生きろ」はなかなか受け入れてもらえないだろう。特に若い世代の人々には。んっ、いやほとんどの人にとってもかな。私の偏見でしょうが、最近の作家に対しては、とにかく大袈裟で劇的なプロットで売っていくような印象しか持てない。素晴らしい作品を産み出すよりも、売文に...
今の世の中では氏の「無名に生きろ」はなかなか受け入れてもらえないだろう。特に若い世代の人々には。んっ、いやほとんどの人にとってもかな。私の偏見でしょうが、最近の作家に対しては、とにかく大袈裟で劇的なプロットで売っていくような印象しか持てない。素晴らしい作品を産み出すよりも、売文に走っているように思えてしまう。とにかく目立ちたいと思う人が多くなった。SNSを使って自分のことを頻繁に露出する人が増えてきた。無名どころではないのだ。ただ、読書メーターのコメント投稿はそのように捉えられたくはないのですが。
Posted by
【昔の日本人は幸福に暮らす術を知っていた】人の幸せは、生存の非情な面と裏合わせ。そのなかで「自分で自分の一生の主人であろう」としてきた孤高の思想家が語る珠玉の幸福論。
Posted by
「来山は生まれた咎で死ぬる也 それでうらみも何もかもなし」小西来山の辞世の句が紹介されている。 けれど、そう簡単に達観は出来ないだろう。 自己愛がどんどん強まる現代のみなさん。極まった自己愛の裏側には、本当はもうそういうのはやめにしたい、ひっそりしていたい、という気持ちも...
「来山は生まれた咎で死ぬる也 それでうらみも何もかもなし」小西来山の辞世の句が紹介されている。 けれど、そう簡単に達観は出来ないだろう。 自己愛がどんどん強まる現代のみなさん。極まった自己愛の裏側には、本当はもうそういうのはやめにしたい、ひっそりしていたい、という気持ちもあるのではないか。ところが社会はとにかく前に出ろ、顕示しろと急きたてる。 著者は集団に対する二つの思いの兼ね合いがあってよいという。所属したい気持ちと離れたい気持ち。極端なナショナリズムを常時持っている必要もない。 決して手を抜けとか逃げろとか、そういう話ではない。もちろん楽しみを放棄するわけではない。 生きるために精一杯やって、それが結果として有名になることもあるが、無名がベースだ。 (自分の基準で)清潔に生きて、無名で死ぬに限る。 ちゃんと読まないと誤解されそうな本であるし、自分も誤解しているかもしれないが、昨今、自分が目指そうとしてきた方向に光が灯ったようで、結構安心している。
Posted by
インタビュー形式ということで内容は取りとめがなく飛んだり戻ったり。著者の半生や死生観・仕事観・江戸についてなど。あまりにも変わり果ててしまった今の社会はもう江戸には戻れない。 自分は変わり者であるという疎外感には共感したがやはりそれは外の世界を知らないだけで別に珍しくない事なのだ...
インタビュー形式ということで内容は取りとめがなく飛んだり戻ったり。著者の半生や死生観・仕事観・江戸についてなど。あまりにも変わり果ててしまった今の社会はもう江戸には戻れない。 自分は変わり者であるという疎外感には共感したがやはりそれは外の世界を知らないだけで別に珍しくない事なのだろう。
Posted by
渡辺京二氏が、来し方を振り返り、人生について語った一冊。氏の立ち位置は、従来の「右か左か」という見方では、まことにとらえにくいものだ。それが一番よく表れているのが、5「国家への義理」の章だろう。 著者は、「ナショナリズムからの卒業こそ戦後最大の成果」とし、「この一点はしっかりと...
渡辺京二氏が、来し方を振り返り、人生について語った一冊。氏の立ち位置は、従来の「右か左か」という見方では、まことにとらえにくいものだ。それが一番よく表れているのが、5「国家への義理」の章だろう。 著者は、「ナショナリズムからの卒業こそ戦後最大の成果」とし、「この一点はしっかりと保持していかなくてはならない」とする。その上で、人は社会の中でしか生きられない(というより「人」になれない)のであり、家族・友・隣近所・同僚…と、共に生きる人たちが同心円状に広がるその最後に「国民国家」がある以上、「自分はそれとは無関係だ」という態度はとれない、と考えるのだ。 「ですから、土壇場ではその仲間たちと運命を共にする。これが最低限の倫理になってくる」「それが自分の意に染まないことであっても、ぎりぎりの場面においては覚悟を決める。それが国家と向き合う人間としての心の持ち方だと私は考えます」 さらにその上で、「それ以上は必要ないでしょう」というところに、戦争を経験し、「国家」というものに翻弄された人の強い芯があるように思った。集団や国に対して、両義的な気持ちを持つのは当然のこと。二つの思いの兼ね合いをいかにすべきか、それだけがわれわれに与えられた課題であり、それこそが難しいのだと述べられていて、ここは非常に説得力があった。
Posted by
国家と個人との関係についてはいささか意見を異にしますが、あとはまったくその通りだと思いました。「無名の人生」、理想です。
Posted by