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贈与論 他二篇 の商品レビュー

3.8

16件のお客様レビュー

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2020/03/23
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

前半は贈与が歴史的にどうのように変遷をしてきたかをまとめてくれている。 贈与が人類にどのような影響や意味があるのかを第4章の結論でまとめてくれている。 忙しい方は第4章のみを読めば良いと思う。それでもこの本の価値は、極めて高いと思う。 贈与=契約▶贈与=交換、義務、かけ、礼を礼で返すもの 贈与は他者を支配する志向のもとにある≒相手を自分の意のままに操る 社会システム(政治・経済)=お互いに贈与をしあっている社会形態 有機的連帯(統一性と統合性が備わっている)=社会の発展に与え、受け取り、お返しをする。 幸せ、平和を定立させるために、労働として適切に秩序づけられたものがある。富として蓄積され、次いで再分配されたものがある。互いに尊重し合い、互いに寛容になり合うこととして、教育が教えるものがある。善も幸福もそこにある。

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2018/10/30

著名なフランス人社会学者マルセル・モースにより100年ほど前に書かれた著作を現代語訳したもの。贈与や交換について、ポリネシア、北米、ヨーロッパ、インド等の当時の事象や歴史的考察、宗教的考察を行い、意見を述べている。研究が深く、脚注が充実している。訳もわかりやすく読みやすい。 「...

著名なフランス人社会学者マルセル・モースにより100年ほど前に書かれた著作を現代語訳したもの。贈与や交換について、ポリネシア、北米、ヨーロッパ、インド等の当時の事象や歴史的考察、宗教的考察を行い、意見を述べている。研究が深く、脚注が充実している。訳もわかりやすく読みやすい。 「友に対しては、こちらも友であらねばならない。贈り物をもらったら贈り物でお返しせねばならない。笑いに対しては、笑いを返さねばならない」p56 「贈り物は、建前上は自発的に贈られるけれども、実際上はそれを贈り、またそれを返すことが義務として課されているのである」p58 「首長の個人的な威信や、その首長のクランの威信が、自分が受け取った贈り物以上の物をきちんとお返しすることに結びついている。自分が受け取った以上の物をお返しすることによって、自分に返礼の義務を負わせた当の相手が、今度は逆に自分に対する返礼の義務を負うようになる」p213 「その場でただちに利益をあげることを目論むというのは心得違いであって、そのようなやり方をしようものなら、きわめて強い侮辱を浴びせられるのである」p215 「贈り物なら人はいつでも受け取るし、その物を褒め称えさえする。自分のために用意された食べ物を、人は声を大にして褒めなくてはならない。だが、それを受け取ることによって、自分が義務を負う立場に立つということも心得ている。贈り物を背中にしょい込むのだ。物や祭宴でもてなしを受けるというのは、たんにもてなしを受ける以上のことである。挑戦を受け入れたということなのだ」p247 「贈り物というのは、与えなくてはならないものであり、受け取らなくてはならないものであり、しかもそうでありながら、もらうと危険なものなのである」p369 「贈り物を受け取ったにもかかわらずお返しをしないでいれば、その人が劣位に置かれるということは昔とかわりない」p394 「招待というのは、されればお返しをしなくてはならないものである。それは礼に対して礼を返すのと同じである」p395 「借りを返さないままでいる、というのは、こうした表現が今なお使われていることから分かるように、許容されえないことなのだ」p395 「与えるということ、それは自らの優位を表明することである。それは、より大きくあることであり、より高くあることであり、マギステル(人主)であることである。これに対して、受け取っても何もお返しをしないということ、もしくは、受け取っても受け取った以上のものを返さないということは、従属的な立場に身を置くということである。それは、相手の子分、従僕になることであり、より小さくなることであり、より低い地位に身を落とすことなのである」p425 「富というのはもっぱら他人を動かすための手段である」p427

Posted byブクログ

2018/10/08

たぶん20年ぶりぐらいで買った岩波文庫。 そして相変わらず難しくてよく分からない。 貨幣が登場する前から,人類には贈与というかたちで モノのやりとりがあり,そこには「贈与する義務」 「受け取る義務」「お返しをする義務」という,通常の 売買とは異なるルールがあって,という話。 ...

たぶん20年ぶりぐらいで買った岩波文庫。 そして相変わらず難しくてよく分からない。 貨幣が登場する前から,人類には贈与というかたちで モノのやりとりがあり,そこには「贈与する義務」 「受け取る義務」「お返しをする義務」という,通常の 売買とは異なるルールがあって,という話。 分かりやすいのは香典とか,お歳暮とか,冠婚葬祭的なものなんだろうけど, 著者によれば社会保険とか協同組合の考え方にも通じているらしい。 なるほど……?

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2018/08/15

マルセルモース 「 贈与論 」 贈与を 集団間における給付と定義し、お返し(反対給付)を義務としている。集団間の贈与が 集団の規範、宗教儀礼、交換経済に組み込まれている 「贈与により 人、物、霊魂が混じり合う」感覚は 集団の感情を理性的にコントロールする手段だったのではないか...

マルセルモース 「 贈与論 」 贈与を 集団間における給付と定義し、お返し(反対給付)を義務としている。集団間の贈与が 集団の規範、宗教儀礼、交換経済に組み込まれている 「贈与により 人、物、霊魂が混じり合う」感覚は 集団の感情を理性的にコントロールする手段だったのではないか? 全体的給付の体系→交換(集団から集団へ) *法的、政治的、経済的、宗教的な体系 *給付と反対給付を繰り返すことにより 相互に結びつく *交換するのは 財、ふるまい、饗宴、女性、子供、踊り ポトラッチ=競覇型全体的給付(相互に対抗し合う) *お返しは 絶対的な義務 *富によって授けられる名誉、権威→義務を果たさなければ 権威と富を失う〜暴力や敵対関係を生む 3章の古典ヒンドゥー法は 宮沢賢治「なめとこ山の熊」の世界観と同一 *物の真の所有者=死者の霊、神々〜食糧が神格化 *人間と神々との契約、交換→目的は 平和的関係を手に入れること

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2016/10/22

(01) 最終章では、政治、社会、経済、倫理の各側面から現代における贈与のあり方を示唆しており、著者が過去や他の民族を生きられている世界としてとらえている点は重く受け止める。 贈与は、決して一方的な(*02)ものでもないし、贈与が非対称である場合は、社会全体としてバランス(*03...

(01) 最終章では、政治、社会、経済、倫理の各側面から現代における贈与のあり方を示唆しており、著者が過去や他の民族を生きられている世界としてとらえている点は重く受け止める。 贈与は、決して一方的な(*02)ものでもないし、贈与が非対称である場合は、社会全体としてバランス(*03)が図られるように機能することをも示している。物々交換や自然経済といった概念が一般的に流布している未開の単純さといった認識を批判し、贈与や交換が単なる経済の範疇にとどまらない拡散や集中を現象することを捉えている。 (02) 売買がバイバイとして、売ることと買うことが等価というよりも同義であること、担保や保証や分割や賃貸などの現行の制度にも残る物のやりとりをめぐる諸々の契約も贈与が示すある点で統合されることなどは目から鱗の視点かと思う。 語源をあたり語幹を見出すことで贈与の諸関連を暴くという方法論も、まだまだ適用できる範囲が広いように感じた。 (03) 賭けとその賭場、シャーマニックな呪術、名前と言葉、性と結婚といったテーマも贈与をキーとすることで、そこにある問題に新たな視野を開いており、非常に冴えた論考として読める。富の集積や蓄積(*04)といった権力集中にも、権力の停止や廃棄すら予感させるポトラッチというバランサーを与えることで、贈与システム(*05)の有効を説いている。 (04) 考古学的な対象となる、何らかの理由で図るも図らざるも埋設されたモノについてもこの贈与論によることで理解が進む。意図的に壊され埋められたモノ、保存と伝授のために埋められ伝えられたモノ、それらの聖性が拠るところを本書からはうかがい知れよう。 (05) レヴィ・ブリュルの未開社会の心性との関連、柳田國男が説いた「おつり」との関連も、この贈与論から改めて考えてみたいものである。

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2014/10/29

個人が個人の利益の追求に走る社会に警鐘を鳴らし、全体に対する意識(全体給付)を向け、円満な社会(アーサー王の円卓[p]のような)を目指そうという論。社会主義的か?成功した富裕層が、被災者に多額の寄付やNPOなどを組織をしたり、匿名で学校などに何かを寄付したりするようなことについて...

個人が個人の利益の追求に走る社会に警鐘を鳴らし、全体に対する意識(全体給付)を向け、円満な社会(アーサー王の円卓[p]のような)を目指そうという論。社会主義的か?成功した富裕層が、被災者に多額の寄付やNPOなどを組織をしたり、匿名で学校などに何かを寄付したりするようなことについての考察。 一方的にお返しもせずに、贈り物をもらうことはどういうことなのか、部族などのトップたるものがなぜ贈り物などを与えなければ威信を保てないのか[※ポトラッチ]というのはおよそ信仰(迷信)と結びついている[p100、p231など]。類似した例が世界各地にみられる。例示内容は興味深い。 個人と個人が契約を履行するとしても、それは個人ではなく集団と集団(の連盟関係(アリアンス))である。集団はクランや部族や家族のこと。過去はいまほど「個人」が際立つことはなかったらしい[p446]。従って、あるまとまった集団のなかで権力を持つには、ポトラッチは欠かせなかったのであり、それが下位集団との信頼関係、自分の身分の明示。 誰かから何かを一方的に貰う(贈与される)、ということは従属である。ただし、例えば、返済能力のない被災者が寄付を受け取るのは、しっかりとした生活を取り戻すということなどによって返済できるといえるだろう。 ポトラッチ(競覇型の全体的給付)[p74] 贈与[p212] ネクスム(法的な縛り)[p304、307など]

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