春の庭 の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
文体も柔らかくて読みやすくて、良かったなあ。 最後、語り手が太郎の姉の「わたし」だったことが急に現れて反転するような違和感も心地よかった。 柴崎さん、面白い。また読みたい。
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柴崎さんの作品は何気ない日常を丁寧に描かれている。そして、町の移り変わりだったり、町ができた過程だったり、専門的なことを描いているわけではないんだけど、町が作られる様子まで伝わってくる。
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『死んだら寒くないよと太郎は言いかけたが、その時唐突に、沼津が自分に向かって話しているのではないのがわかった。心に浮かんだことを口に出しているだけで、回答を求めてはいないと』 柴崎友香は新刊が出るのを待つ作家の一人。 「きょうのできごと」から読み繋いで十四年。 その頃から何も...
『死んだら寒くないよと太郎は言いかけたが、その時唐突に、沼津が自分に向かって話しているのではないのがわかった。心に浮かんだことを口に出しているだけで、回答を求めてはいないと』 柴崎友香は新刊が出るのを待つ作家の一人。 「きょうのできごと」から読み繋いで十四年。 その頃から何も起こらない小説と批評されることが多いけれど、自分にとって柴崎友香は普通の日常の中に詰まっている小さなできごとを拾って見せることができる作家で、何も起こらないことが、むしろ刺激的だとさえ思う。あるいは、ありふれた言い回しだけれど、柴崎友香は等身大の人物の描写に長けた作家であると思う。恐らく作家自身の年齢に近い登場人物を描く限りにおいては、と言い添えた方がよいとは思うけれど。 若い男女が登場すると必ず恋愛沙汰に話を展開させる小説家もいるし、それに比べれば、柴崎友香の小説では確かに陳腐で大袈裟なことは起こらない。しかし、登場人物の心の内は風景の描写に大概は色濃く反映していて、それが瞬時に変わってゆく様が描かれている。そこを読み取ると、皆が小説の中だったらこんなことが起こるのになと想像するようなことを主人公も感じていることも解る。しかし、日常茶飯事にそんなことは起こらないよなと主人公が理解していることも同時に伝わる。そんな構図があるのが柴崎友香の小説だと思う。それは多分僕らの日常の中でも起きていることで、だから優れて日常のできごとを写し取る力が作家に備わっていることの証しでもあって、何も起こらない日常の話が逆説的に自分の人生を肯定してくれる感じにも繋がり、そこはかとなく気分がよい。柴崎友香の作品の中では何も起こらないと自分は感じない。もちろん小説の中でくらい夢をみたいという気持ちの読者の居ることも解るけれども。 その基本的な態度は変わらないと思うけれど、最近の作品は主人公の心情がどんどん淡白になってきているようにも思える。風景の描写に託すような書き方が減っている。何をどう感じるかについて保留する様が描かれることが多い。それが作家の年齢に起因するものだと言ってしまうのも単純過ぎるだろうか。 人生の選択は常に自分自身の意思で選び取ることができると考える人もいる。自分の好みは自分で判っている、と。しかし重大な選択もそうでない選択も、数を重ねてみて思うのは、それが如何に偶然に左右され易いかということ。もちろん基本的な志向は誰にでもあるので、同じような選択を迫られた場合、大体は同じ結果になる。しかしこれは確率の問題だとも言える。確率的には低くても同じ選択を重ねていくと何回かに一度は別の結果になる。あれ、何故自分はこちらを選んだのかなと自身を訝しく思いつつ。そういうケースが年齢を重ねると嫌でも溜まってくる。柴崎友香の描く主人公の心情が見えにくくなっているのは、そういうことがもたらす効果なのかなと思う。柴崎友香の中でそんな微妙な変化が起きているように思う。 よう知らんけど、と言いながら若者は自分の直観を大事にして物事を判断する。年寄りは、色々と経験豊富な筈なのに判断しない。人生が五十年しかなったら惑うことなく決断もできただろうけれど、今の世の中、自分の決めたことが回り回って自身に降りかかって来る程に人生は長い。短絡的に結論を出さずいることは苦しい。ややもすれば物事を単純化して断定したくなる。その方が爽快でもある。しかしそこを我慢する。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」。そこを我慢すると見えてくる筈と信じたい。そんな道の半ばに差し掛かってきたのかと想像する柴崎友香の作品が、面白い。
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読者の文学的センスの問われる作品かもしれない。そのセンスに乏しいぼくにはなんだかちょっとピンと来なかった、ごめんなさい。
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