特攻体験と戦後 新編 の商品レビュー
戦後30年経ってからおぼろ気に語られる戦争を、戦後80年の現在地点からは、簡単には理解させてくれない。
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※このレビューにはネタバレを含みます
元の対談は1977年文藝春秋対談企画。つまり戦後30年くらい。 対談の後には、ふたりの一文(おそらく単行本の巻末収録)と、最初の文庫化1981年に際しての島尾敏雄の解説があり、その時点で吉田満とともに文庫化を祝えなかったと弔意を示している。 で、この中公文庫は、2014年刊行。 読んだのは2025年。 中村草田男が、「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだのは、明治が終わって約20年後。 「戦後は遠くなりにけり」、「昭和は遠くなりにけり」と、もじって感慨に耽るのは、生き延びた者の、あるいは後に生まれた者の特権だが、数十年単位で「トぶ」ことができる本でもある。 ……このフレーズ、いかにも知っていたかのように引用したが、ぼやっとしか知らなったのを検索して特定し、したり顔していたら、ニコニコ大百科にて、 >昭和は遠くになりにけりとは、ノスタルジーである。 https://dic.nicovideo.jp/a/%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AF%E9%81%A0%E3%81%8F%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%81%91%E3%82%8A とズバリ言われており、あー自分の連想って依拠するのは教養じゃなくネットジャーゴンで、しかもぼんやり引用でいいこと言っちゃいたい欲望まで言い当てられた、とひとりタジタジした次第。 本に戻るが、この対談だけファサッと投げ出されても若干わかりづらかったかもしれないが、そこはさすがの加藤典洋、解説にて、百田尚樹の「永遠の0」を持ち出して、読者のトぶジャンプボードを用意してくれた。 私は吉田満の本「戦艦大和ノ最期」は未読だが、終戦直後に書きつけられた手記をもとにした、きっと凄まじい文章なんだろう。鎮魂の書とでもいえるような。 島尾敏雄のほうは集中的に読んでいるので、このふたりの相違が、むしろ対談を読むにつれて浮き彫りになるのが、面白いと思った。 全員が同じ戦争を経たのに、全員違う経験をしている。 まあ、当たり前だが。ヒトはヒトなのにボクはキミじゃないから。 水木しげるの漫画で、ほう、あんたはナニナニ連隊でソコソコに出兵ですか、フハーッ、みたいな会話を読んだことがあるが、体験者は、「あの戦争」を巡る「同じ」と「違う」で、ずっと話し続けられるんだろう(、あるいは、同化と異化の浸透圧で、目の前の他者をないがしろにする心理機制が働くのか……このへんは太宰治にありそうな)。 それこそ「大きな物語」と、「生の一回性」の振幅差として。 それを島尾敏雄が、「自分のは特攻体験ではなく、特攻"隊"体験だった」と言うのに、一回性のクサビを打とうとする作家としての意識がある、と見た(特権化と、謙譲と)。 もちろんこの対談、ふたりそれぞれ物腰柔らかで、ジェントルで、そりゃ文芸の側に立つ大人同士ってこういう温度感だよなという、表面はそうなのだが、どちらも一個の作家として主張しているので、対談における小さな渦が、書籍になって読者に届くころには巨大な渦になっているような、気がした。 その上、橋川文三、吉本隆明、鶴見俊輔、加藤典洋といった渦の作り手(扇動者?)を一冊に収めているあたり、文庫担当者の編集力(扇動能力?)グッジョブと言わざるを得ない。 特に、島尾「あれ(戦争の原則を破る特攻)をくぐると歪んじゃうんですね」、吉田「歪まないとくぐれないようなところがありますね」、前後の会話は、折に触れて参照したい。 あ、ところで、島尾の特攻中途頓挫体験を、ドストエフスキーの死刑直前恩赦体験に似ているなと思っていたら、加藤典洋がまったく同じことを書いていて、よき杖をもらった気がした。 @ 太平洋戦争で「特攻死」を目前に生き残った若者たちは、何を思い、戦後をどう生きてきたか。戦争を文学作品として記録した二人の作家が、戦艦大和からの生還、震洋特攻隊隊長という極限の実体験とそれぞれの思いを語り合う。同世代の橋川文三、吉本隆明、鶴見俊輔の関連エッセイを追加した新編増補版。 目次 Ⅰ ・特攻体験と戦後 対談 ・近くて遠い人 吉田(1923~1979) ・特攻隊体験 島尾(1917~1986) ・島尾さんとの出会い 吉田 ・旧版解説 島尾 Ⅱ ・戦中派とその「時間」 橋川文三(1922~1983) ・島尾敏雄―戦争世代のおおきな砦 吉本隆明(1924~2012) ・吉田満―戦中派が戦後を生きた道 鶴見俊輔(1922~2015) ◇解説 もう1つの「0」 加藤典洋(1948~2019)
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厚みがある本ではありませんが、対談の内容は思想的な話が多くて難解。戦時の体験談も語り口調が柔らかいためか、戦争の悲劇性・悲惨さがあまり伝わってきませんでした(あえて悲劇的な体験を語るのを避けていたのかもしれませんが)。 対談部分より、島尾氏・吉田氏それぞれによるあとがき(?)の...
厚みがある本ではありませんが、対談の内容は思想的な話が多くて難解。戦時の体験談も語り口調が柔らかいためか、戦争の悲劇性・悲惨さがあまり伝わってきませんでした(あえて悲劇的な体験を語るのを避けていたのかもしれませんが)。 対談部分より、島尾氏・吉田氏それぞれによるあとがき(?)の方が分かりやすく、戦争のシリアスさも感じられたように思います。特に、実際に大和での特攻に参加した吉田さんのあとがきからは、生き残ったことの苦しみなどが垣間見えたような気がします。 あとがきでは、発言の元となっている著作等について引用があるため分かりやすかったのですが、対談部分はそれがなかったので理解することが難しかったのかも? だとすると、対談部分をより理解しようとするなら、あらかじめ二人の著作を読んだうえで対談部分を読み始める必要があるように思いました。
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「特攻」を違う形ながらも体験した御二方による対談。 吉田満さんは戦艦大和に乗り、壮絶な戦いで多くの仲間を失うなか、自分はなんとか生き残る。 一方で島尾敏雄さんは奄美で特攻隊として駐屯するも特攻を迎えることなく終戦となった。 同世代でもこのように違う戦争体験をしてきた二人が戦後どう...
「特攻」を違う形ながらも体験した御二方による対談。 吉田満さんは戦艦大和に乗り、壮絶な戦いで多くの仲間を失うなか、自分はなんとか生き残る。 一方で島尾敏雄さんは奄美で特攻隊として駐屯するも特攻を迎えることなく終戦となった。 同世代でもこのように違う戦争体験をしてきた二人が戦後どう生きてきたか、どう戦争と向き合ってきたかについてお話ししている。 特攻体験はイデオロギーを超えている。「特攻体験ほど、イデオロギーから遠いものはない。感動から遠いものはない。」 解説が大変秀逸。
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特攻死の半歩手前を体験した、吉田満と島尾敏雄による対談。 吉田「死ぬ確率と生きる確率の間には適正配分がありまして…特攻というのは、そういう原則を破るものですね。だから、みんな止むを得ず、無理をしてその中をくぐりぬけるわけでしょう。…」 島尾「あれをくぐると歪んじゃうんですね。」...
特攻死の半歩手前を体験した、吉田満と島尾敏雄による対談。 吉田「死ぬ確率と生きる確率の間には適正配分がありまして…特攻というのは、そういう原則を破るものですね。だから、みんな止むを得ず、無理をしてその中をくぐりぬけるわけでしょう。…」 島尾「あれをくぐると歪んじゃうんですね。」 吉田「歪まないとくぐれないようなところがありますね。」 島尾「…一見美しく見えるものをつくるために、やはり歪みをくぐりぬけることが必要というふうなことが必要となると、ぼくはやはりどこか間違っているんじゃないか、という気がしますね。ほんとうはその中にいやなものがでてくるんだけど、ああいう極限にはときに実にきれいなものもでてくるんですね。そこがちょっと怖いような気がしますね。」 吉田「そういうものの全体が、これはもう非常に大きな悲劇なんですね。」 この歪んだ心境の正体とは何だろうといつも考える。実例は様々本書でも縷々述べられているものの、私には真の理解に至る確信がない。それは、心身ともに健常であるにもかかわらず、同時に死した状態を経験したものが持つ歪みだからだと思う。今に特攻体験を語る難しさばかりが読む者に染み渡る。
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特攻体験者の二人が、戦後30年を経て、その従軍経験を語り合う対談を、さらに30年を経ていま手にして読む。 島尾敏雄が吉田満の『戦艦大和の最期』を評して、「陶酔」、「極限にはときには実にきれいなものも出てくるんですね。そこがちょっと怖いような気がしますね」と言及する。非常に興味深い...
特攻体験者の二人が、戦後30年を経て、その従軍経験を語り合う対談を、さらに30年を経ていま手にして読む。 島尾敏雄が吉田満の『戦艦大和の最期』を評して、「陶酔」、「極限にはときには実にきれいなものも出てくるんですね。そこがちょっと怖いような気がしますね」と言及する。非常に興味深いくだりがある。 この文庫版新編は加藤典洋の解説が加わっており、近年のベストセラー「永遠の0」と、本対談集との決定的な違いを分析している。非常に腑に落ちる内容だった。
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特攻という極限の状況がどういうものであったのか? 共に特攻隊員でありながら異なった経験を経たお二人の話が興味深い。
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