遠野物語 の商品レビュー
岩手旅行に行くので遠野物語を深めよう第二弾。 口語訳ってすげー!と思う分かりやすさ。遠野物語は文体が魅力と言われるが、民俗学の面でも良書なのだから意味を理解できるのは大きい。 特に、出てくる人物がどこの誰かという説明や細かい解説も入っており大変よかった。柳田國男が調べ作った本を、...
岩手旅行に行くので遠野物語を深めよう第二弾。 口語訳ってすげー!と思う分かりやすさ。遠野物語は文体が魅力と言われるが、民俗学の面でも良書なのだから意味を理解できるのは大きい。 特に、出てくる人物がどこの誰かという説明や細かい解説も入っており大変よかった。柳田國男が調べ作った本を、今調べている人々がいるという、時間軸の広さを感じた。
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民俗学の祖といわれる柳田國男よる、読み継がれるべき一冊。 ザシキワラシの話は有名だが、山姥の話は昔話で読み聞かされた記憶もあり、子供の頃に感じた恐さを思い出し懐かしく感じた。 昔の日本人は自然との距離が、今より近かったとしみじみと感じさせる。
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原典の『遠野物語』は1910年、のちに民俗学の祖となる著者・柳田国男によって自費出版されたものです。その文語体の文体の美しさが本書の解説でも素晴らしいと言われていまして、こうして口語体にすることで、面白みや美しさが損なわれてしまうのですが、それでも文意をわかりやすく伝えるべく挑ん...
原典の『遠野物語』は1910年、のちに民俗学の祖となる著者・柳田国男によって自費出版されたものです。その文語体の文体の美しさが本書の解説でも素晴らしいと言われていまして、こうして口語体にすることで、面白みや美しさが損なわれてしまうのですが、それでも文意をわかりやすく伝えるべく挑んだ冒険作と評価されています。 「遠野」はアイヌ語が語源のようです。たとえば、「トオノ」の「トオ(トー)」は湖を表すのだ、と。アイヌは北海道のみならず、東北やロシアにもダイナミックに活動域を広げていたと、以前読んだことがあります。その痕跡をこうして身近に感じられると、遠い話ではないような気がしてきます。 さて。61ページのあたりなどで、いくつかの段に渡って語られるザシキワラシのお話はよく知られていると思います。それまで屋敷に宿っていたザシキワラシに逃げられた瞬間から、馬屋で大蛇が出て、主人に「そのままにしておけ」と言われたのを聞かず、下男たちが面白がっていたぶって殺してしまう。すると、馬草の中からさらに小さな蛇たちがわんさか飛び出してきて、それも下男たちがみな殺してしまう。そのあと蛇塚を作るのですが、相当な量の死骸があったそうです。それからまもなく、下男がみたことのないキノコを屋敷の敷地内に見つけ、食べれるかな、と話し合っていると、また主人が「やめておけ」というのを聞かず、おからといっしょに混ぜながら炒めれば食べられるなどという下男の中でも物知りとされている男の言葉を信じて食べてしまう。もちろん、一家は全滅。その屋敷の繁栄はあっという間についえたというお話がありました。これは、遠野物語といえば語られる代表的なお話のひとつでした。まあこの話は、下男の無知無教養が不幸につながっているわけですけれども。 明治時代の学者・南方熊楠がザシキワラシに対する解釈として、人柱で家の土台に埋められた男女の子どものに対する意識、あるいは彼らの霊だとした、という逸話も注釈に載っていました。人柱ってそんなにありふれた行いだったのでしょうか。ちょっと認識が揺らいできます。 個人的に好きな話が、143ページにある72段目のお話「子ども好きのカクラサマ」。雨ざらしになった、木彫りの神様の座像です。これを子どもたちがひっぱり出しては川に投げ、道路の上を引きずり、そのうちこの座像の目も鼻もわからなくなるほどおもちゃにされていました。この乱暴な扱われ方に一言言わずにおれなかった大人たちが、「そんなに乱暴にするもんでねえ。ちゃんと元のところさ返しておけ」と子どもたちを叱り、子どもたちは従います。すると、子どもたちを叱った大人たちは足が動かなくなるものがでたり、高熱を出して寝込むものが出たりなどしました。不思議に思って、ある者に拝んでもらうと、あの座像であるカクラサマがでてきてお告げをします。「この大人たちは、おれがせっかく子どもたちと、楽しく遊んでいたものをじゃましたがら、少し罰を与えておいた」。大人たちはお詫びをし、元の体に戻してもらったそうです。 木彫りの神様って昔はよくあったのかもしれないですね。余談ですが、木彫りの神様の座像と読んで思いだすのが木彫りの仏様の像でした。これらは円空や木喰らによるものが伝えられていますよね。このあたりもちょっと知りたくなってきます また、明治29年の大津波の話も、さらりと語られていますがすごいです。38.2メートルの津波が三陸を襲い、日清戦争の凱旋記念花火大会に来ていた大勢のひとたちが全滅したりしたと注釈にありました。溺死者は2万2千人だそうです。2011年の東北大地震時の大津波をほうふつとさせます。 あと、とある峠のお堂の話にあるのですが、その壁に、旅人たちが、盗賊にあったとか、不思議な女とすれ違ったときにニコっと微笑まれたとか、猿にいたずらされたとか書き記していくのが昔からの習わしだと『遠野物語』にある。なんだか、「今も昔も」なメンタリティーですよね。こういう風俗・習俗の源流が知れるのはおもしろいです。 本書を読んで『遠野物語』の内容を知った後は、ぜひ原典にあたってその文体の調子から丸ごとを味わってほしい、というような願いが本書には込められています。昔の文語体で読むのは骨が折れそうでハードルの高さを感じますが、ちょっと余裕が持てたときなんかに、挑んでみたいです。
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※このレビューにはネタバレを含みます
原作では普通の語りだったのを、遠野弁に変えていたと読後に知って驚いた。地の文を文語から口語に変えるだけではなく、そういうこともしていたとは。 解説で、遠野物語を柳田國男の手から遠野に取り戻す、とあり、そういうことかと思った。 今になって見れば何ともないようにみえる昔話だけれど、そこに出てくる人がどこの誰かということが分かっているということ、そしてそれを研究してきた人がいるということがすごい。 本書は本編だけだけど、これより長い拾遺があるとのこと。
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【概略】 自費出版で350部、1910年に柳田国男によって生まれ出た「遠野物語」が、文語体から口語体に、大意をそこなわずに再構成された一冊。遠野方言であらわされ、充実した注釈によって読者を迷子にさせない。 2024年04月24日 読了 【概略】 トルコでの活動のうち、日本の...
【概略】 自費出版で350部、1910年に柳田国男によって生まれ出た「遠野物語」が、文語体から口語体に、大意をそこなわずに再構成された一冊。遠野方言であらわされ、充実した注釈によって読者を迷子にさせない。 2024年04月24日 読了 【概略】 トルコでの活動のうち、日本のホラーについて語る必要があったため、妖怪・幽霊といった類の書籍を読み漁ることに。避けて通れないよね柳田国男さんは・・・と思い、購入したのが文語体のもの。ちょ、ちょ、ちょっと厳しいなぁ・・・と思い、この文語体に翻訳(?)されたものをまず先に手にとってみた。 ぶっちゃけ、口語体になった本書でも・・・なんというか・・・どういうフックを作って面白く読み進めることができるのか迷い迷いページを進めていったような感じ。明確なのだよね原因は。読者としてのバックボーンがいかんともしがたく・・・薄いの(笑)大体、民俗学の「み」の字すらかじってないからね。注釈で補完される500メートルぐらい手前にいるような感じ。 そうはいってもザシキワラシやオシラサマや河童という耳慣れた言葉が出てくると嬉しくなっちゃう。この辺りは水木しげるさんや「うしおととら」から入った、やはり民俗学の核からは離れた(というより抽出されたエキスだよね)ものなのだよね。 でもね、なんとなく思った。妖(あやかし)という言い方をしてもいいのかな?妖怪といった部類でいいのかな?こちらはやっぱり幽霊とは、違うね。よく言われる「怖ろしいのはね、人間なんだよ」の延長線上にあるのが幽霊だとするならば、遠野物語や水木しげるさんが描く妖は、(そりゃ神隠しとかあるけれど)なんというか「業」を背負ってない気がする。人の念から怨念になって俗世に残ってる感がないもの。なんというかもっと・・・自然から溢れ出たものというか。なんなら自然そのものというか。植物・動物といったものが織りなす自然というものに延長線をひいたら妖・妖怪に辿り着いて、人間に延長線をひいたら幽霊に辿り着いた、という印象だな。もっとも、もっともっと知識を増やしたらこの考えは変わるかもしれないけども。
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[一言感想] 東北山中で体験した人と自然との間に起きる少し不思議なお話 民俗学の祖である"柳田國男"先生が東北遠野の言い伝えを"佐々木喜好"くんから口伝したものを編纂・現代語訳した一冊 今となっては考えられないと一言で片付けるのは簡単で...
[一言感想] 東北山中で体験した人と自然との間に起きる少し不思議なお話 民俗学の祖である"柳田國男"先生が東北遠野の言い伝えを"佐々木喜好"くんから口伝したものを編纂・現代語訳した一冊 今となっては考えられないと一言で片付けるのは簡単であるけれども、この本の魅力はそこでは無いように感じる 当時の人たちが自然に対して恐れながらも敬意を持って接してきたことが分かるだけでなく、村の人が体験した不思議な話を自然を介して説明している想像力が垣間見える、現代の日本人が離れつつある自然との距離を近づかせてくれるような一冊であると思う
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一度は読んでおきたい「遠野物語」だが、なかなかハードルが高くて手が出ていなかった。口語訳本を古本屋で見つけたもの。原本との違いは分からないけれども、落下傘読みとしては非常に良いツールと思う。 この手の話にはもっとエロ的要素がある様に思っていたが、夜のような話は一切ないのがちょっ...
一度は読んでおきたい「遠野物語」だが、なかなかハードルが高くて手が出ていなかった。口語訳本を古本屋で見つけたもの。原本との違いは分からないけれども、落下傘読みとしては非常に良いツールと思う。 この手の話にはもっとエロ的要素がある様に思っていたが、夜のような話は一切ないのがちょっと不思議。柳田国男のフィルターがあったのではないかしら?と疑ってみたり…
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口語訳にすることによって、遠野に生きる人々の息吹が感じられる。 そして身近な物語になり、山の暮らしの自然に対する畏怖、人智を超えたものに対する敬虔な気持ちなどが生々しく伝わってくる。 柳田國男オリジナルの遠野物語はしっかりとまだ読んでないが、文語調の格調高い文章を味わいたいと思...
口語訳にすることによって、遠野に生きる人々の息吹が感じられる。 そして身近な物語になり、山の暮らしの自然に対する畏怖、人智を超えたものに対する敬虔な気持ちなどが生々しく伝わってくる。 柳田國男オリジナルの遠野物語はしっかりとまだ読んでないが、文語調の格調高い文章を味わいたいと思う。
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岩手版日本昔ばなし! 遠野郷に住む佐々木某さんから聞いたすべて現実の話とのこと。天狗、山男、山姥、雪女、河童、座敷わらし・・・とはいえ、同じ名前の登場人物(弥之助とか孫左衛門とか田尻家とか)がいて、新聞にも載った話もあり、あながち眉唾でもないのか。多少デフォルメされた箇所もあるが...
岩手版日本昔ばなし! 遠野郷に住む佐々木某さんから聞いたすべて現実の話とのこと。天狗、山男、山姥、雪女、河童、座敷わらし・・・とはいえ、同じ名前の登場人物(弥之助とか孫左衛門とか田尻家とか)がいて、新聞にも載った話もあり、あながち眉唾でもないのか。多少デフォルメされた箇所もあるが。とにかく口語体なので読みやすかった。 でも、郭公と時鳥の話は苦しいな。。 254冊目読了。
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