失われた時を求めて(7) の商品レビュー
「私」はすっかり忘れていたアルベルチーヌを手に入れるが、そこに恋愛感情は生まれない。 また、興味を失っていたゲルマント公爵夫人のサロンに突然招かれる。 憧れが消え失せた眼で、夫人やサロンに集う人々を見る「私」に、貴族たちの虚栄心や俗物ぶりが露わになる。 『その後1度だけ彼女を...
「私」はすっかり忘れていたアルベルチーヌを手に入れるが、そこに恋愛感情は生まれない。 また、興味を失っていたゲルマント公爵夫人のサロンに突然招かれる。 憧れが消え失せた眼で、夫人やサロンに集う人々を見る「私」に、貴族たちの虚栄心や俗物ぶりが露わになる。 『その後1度だけ彼女を見かけた。空港の乗り継ぎロビーで全くの偶然だった。 彼女は私に気づかず、昔の恋人と一緒で子供を抱いていた、ごく普通の女だった』 (ルイ・マル監督「ダメージ」) 『かくして今や私は、ふたりをゲルマントという名から切り離して見つめていた。昔はゲルマントという名から想いも寄らぬ暮らしを送る夫妻を想像したものだが、今ではそのふたりが他の男や女となんら変わらぬ存在になってしまった。』(ゲルマントのほうⅢ(2-2)以下同じ。) 『晩餐会の会食者のひとりひとりは、かつては神秘的な名をまとい、私はその名を頼りに遠くからその人を知り夢みるだけであったが、いまや私の知るあらゆる人と同等かそれよりも劣る肉体と知性を備えるにいたり、平凡なありきたりの印象を私にもたらした。』 最後に、スワンが余命数か月の身となって登場する。 彼が、死とどのように向かい合ったのかに強い興味が沸いたが、それは次巻以降に期待。 『「で、どうでしょう、私たちとイタリアにいらっしゃいません?」 「奥さま、それが行けそうにありません。」 ― 中 略 ― 「それにしてもお訊ねしたいですわ、」とゲルマント夫人はそのスワンに訊ねた。 「どうして十ヵ月も前から行けないとおわかりになるのかしら。」 ― 中 略 ― 「いや、それは、親しいおかたですから申しあげましょう、その何ヵ月も前に死んでいるからです。」』 これは、スワンの最後の挨拶だろうか?
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3/4ぐらいまでひたすらの主導権争いと追従。ゲルマント公爵夫人を巡って。 シャルリュスの言動は滑稽だが現実には侮れない。支配欲。 最後にスワンの登場で全てが一種の茶番であることが暴露される。死をなきものにする、死をも愚弄する文化がゲルマント公爵に象徴される。
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俗に「ゲルマント越え」などと言うが、この巻を読むのは結構しんどかった。始終社交界の見聞録と噂話でストーリーに大きな進展はない。 とはいえ、この巻から主人公は何故か人気者になっている。 「次世代を担う新鋭作家」と言った噂が流れていたのかもしれない。 会った事もない人の親戚にされたり...
俗に「ゲルマント越え」などと言うが、この巻を読むのは結構しんどかった。始終社交界の見聞録と噂話でストーリーに大きな進展はない。 とはいえ、この巻から主人公は何故か人気者になっている。 「次世代を担う新鋭作家」と言った噂が流れていたのかもしれない。 会った事もない人の親戚にされたり、 会った事もない人と一緒に旅行していた事になってたり、人の噂はいい加減。あなたを知ってます‥‥とアピールする割には、書いたものを読んだという人が全くいないのも可笑しな話だ。
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引き続き社交界の描写が続く第7巻。 前半部分に主人公の恋愛模様が描かれるんだけど、ひたすら女と寝たい感がすごい。セフレ作って性欲を適度に満たしつつ、本命となんとかセックスに持ち込むためいろいろ画策したのにっぽかされちゃって号泣して、でもやっぱり有り余った性欲を満たすためにその日の...
引き続き社交界の描写が続く第7巻。 前半部分に主人公の恋愛模様が描かれるんだけど、ひたすら女と寝たい感がすごい。セフレ作って性欲を適度に満たしつつ、本命となんとかセックスに持ち込むためいろいろ画策したのにっぽかされちゃって号泣して、でもやっぱり有り余った性欲を満たすためにその日のうちに食堂の女中を金で買って……どんだけやりたいんだ。いざワンチャンいこうって時の口説き方もひどい。ぼくくすぐられても平気だから、ちょっとベッドでくすぐり合いっこしようよ、ってなに。セックスのことだけ考えて生きていけるブルジョワ、うらやましい。 これが20世紀を代表する小説なんだからフランス人頭おかしい。と思ったのだが、日本には源氏物語というさらに頭おかしいのがあったことを思い出した。
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ダラダラ延々と、淡々と続く描写。脱線につぐ脱線。防腐処理を忘れて雨ざらしにされた木材のように肥大化していく細部は、事細かに描写することでリアリティーに近づくと信じているからだろうか。読者を置いてきぼりにし、見放されても、躁鬱のように書き続けるプルーストには畏敬の念がある。 この...
ダラダラ延々と、淡々と続く描写。脱線につぐ脱線。防腐処理を忘れて雨ざらしにされた木材のように肥大化していく細部は、事細かに描写することでリアリティーに近づくと信じているからだろうか。読者を置いてきぼりにし、見放されても、躁鬱のように書き続けるプルーストには畏敬の念がある。 この巻では単調な中にも少なくとも二つは大きな起伏がある。 まずは、アルベルチーヌが「女」になって語り手の前に再び現れること。“ アルベルチーヌは今やべつの顔をもっていた、というより、ようやくひとつの顔をもつに至ったというのが正しくて、身体も大きくなっていた。[p32]”しかし、ベッドに並んで腰掛ける以上に踏み込まれない。 そして、奇行のシャルリュスとの面会。これは、驚くべきことに、語り手が激しく感情をあらわにする場面がある!“衝動的になにかをぶん殴りたくなった私は[…][p473]”シルクハットをばらばらにするのである。意中のひとであったステルマリア夫人に会食をドタキャン?されてショックだったときでも[p116]、あっさりと読み流されてしまう程度なのに、シャルリュスとの接触で(ここまで我慢して読んできた)読者は、語り手の体温を感じる。熱湯と水で温度調整しなければならないホテルの部屋で入れたお風呂に入ってみると、あつすぎて飛び出してしまうように。 明らかな作者の男色趣味の気配を感じとることができるだろう。
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岩波文庫版『失われた時を求めて』、第7巻。 元々が長い話なのは理解していても、描写の重ね方、延々と続く比喩表現は、プルーストの醍醐味とは解ってはいても、ある種の『執拗さ』に、毎度のことながら圧倒される。 それにしても、古典新訳文庫の方はなかなか出ないなぁ……。
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