「自由」はいかに可能か の商品レビュー
能力と欲望の不均衡が不自由、と言うのはまぁ確かにと思ったが、それをどう克服するのかはありきたりというか的を射なかった。 それよりも引用されていた 知性は運命を無効にするという言葉が心に残った。 唯一、思考だけが人間を自由にするのは同意。世界は解釈次第なのだと思う。 あと、多...
能力と欲望の不均衡が不自由、と言うのはまぁ確かにと思ったが、それをどう克服するのかはありきたりというか的を射なかった。 それよりも引用されていた 知性は運命を無効にするという言葉が心に残った。 唯一、思考だけが人間を自由にするのは同意。世界は解釈次第なのだと思う。 あと、多数のコミュニティを持つとか、個人として認められる場が必要とか、そのへんは実感と一致していた
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ヘーゲル哲学にもとづいて「自由の相互承認」という思想の意義を論じている本です。 著者は、竹田青嗣のもとで哲学を学んだ教育哲学者で、本書の議論も竹田の『人間的自由の条件』(講談社学術文庫)におけるヘーゲル解釈の祖述といってよい内容になっています。それに加えて著者は、ロールズやノー...
ヘーゲル哲学にもとづいて「自由の相互承認」という思想の意義を論じている本です。 著者は、竹田青嗣のもとで哲学を学んだ教育哲学者で、本書の議論も竹田の『人間的自由の条件』(講談社学術文庫)におけるヘーゲル解釈の祖述といってよい内容になっています。それに加えて著者は、ロールズやノージック、サンデル、ローティといった現代の政治哲学を批判するとともに、「自由の相互承認」を実質的なものにするための実践的で具体的な社会構想にも踏み込んだ議論をおこなっています。 ただし、竹田のヘーゲル解釈には相当に大きな問題があり、本書にもその問題がそのまま当てはまります。カントは、スコットランドを中心とする道徳感情論の批判を通じて「理性の自律」としての自由の意義を明らかにしました。ヘーゲルの社会哲学は、こうしたカント倫理学をくぐり抜けたものであることに、留意しなければなりません。ところが竹田の解釈においては、ヘーゲルはプレカンティアンに貶められており、とりわけ市民社会と国家の原理的な差異が見落とされてしまうという問題があります。本書でも、国家は市民社会的な原理のもとで偶発的な自由の喪失を救済するものとして位置づけられており、著者の提唱する「自由の相互承認」も、けっきょくのところ功利主義的な発想にもとづくものとなってしまっています。 また、現代の政治哲学に対する批判もナイーヴな議論が目につきます。著者には、こうした議論に踏み込むよりも、むしろ著者自身の得意とする、「自由の相互承認」の実質的な条件を形成するための仕組みとしての教育のありかたについて、くわしく論じてほしかったように思います。
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おもしろかった。終始論理的で、語られている内容が難しいにも関わらず、少しずつ納得しながら読み進めることができた。 「自由」をここまで徹底的に考え抜いている本はこれが初めてで、自由のイメージを脱して本質を攻めていく過程が非常におもしろかった。
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キーワードは、「自由の相互承認」。様々な哲学理論を検証しながら丁寧に説く本書は、自由が生きる上でどれほど大切で、いかに可能であるかを考える上で重要なテキストになると思う。
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よく本を読む真面目な研究者だとは思うが、批判が尽くずっこける内容だった。批判としてはちょっと弱いものも多い。少なくともこの本での批判は、読解の甘さや粗雑さ(不誠実で不正確な読解)に基づくところがかなりある。 他に「事実と当為」の話を持ち出して批判しながら、自分で事実から当為を導き...
よく本を読む真面目な研究者だとは思うが、批判が尽くずっこける内容だった。批判としてはちょっと弱いものも多い。少なくともこの本での批判は、読解の甘さや粗雑さ(不誠実で不正確な読解)に基づくところがかなりある。 他に「事実と当為」の話を持ち出して批判しながら、自分で事実から当為を導き出したりしているのはちょっとさすがにひどい。あとがきに、「哲学デビューの本」とあるが、ちょっと批判に気張りすぎじゃないか。 「因果法則から自由」も、そういう表現でまとめるべきものではないと思う。 無駄に分厚い本。 著者の他の本はどうなんだろうか。
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ご飯とキャベツに加え、味噌汁までおかわり自由のとんかつ屋がある。しかも味噌汁は蜆である。だがいつもそこでおかわりをすると不安になる。おかわりが自由なだけで、そのフィーは別途とられても不思議ではない。だって僕には、おかわりをする自由があるだけなのだから。 と、これは本書にはあんま...
ご飯とキャベツに加え、味噌汁までおかわり自由のとんかつ屋がある。しかも味噌汁は蜆である。だがいつもそこでおかわりをすると不安になる。おかわりが自由なだけで、そのフィーは別途とられても不思議ではない。だって僕には、おかわりをする自由があるだけなのだから。 と、これは本書にはあんまり関係ないような、でも僕がこれを読んでみようと思った背景でもあるような。どう生きても自由だ、と言われれば、かえってそれがわからなくなるのだ、と。 忌野清志郎は、「自由」で、「俺は法律を破るゼ、義理も恩も屁とも思わねえ」と歌っていた。だがレヴィナスのいう自由は、他者によって任命されたときだけだ、という。 キャベツや味噌汁は、まさに他者によって任命された自由だ。だがたぶん、この自由は、自由ではないだろう。 著者にとって、とんかつを例にこの本を説かれることは本意ではないかもしれないが、それが僕にとっての自由だ。リベレイションとフリーダムの違い。だが、とんかつのそれはリベレイションではない。 人間は欲望機械なのか。どうしたら自由を感じられるのか。自由を担保するための国家が「グローバル化」でそれを担保しきれなくなるということ。など、もちろん本書はもっと高尚なことを述べているのである。誤読の自由もある、というにはちょっと恥ずかしいかなあ…。
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「なるほど」と「問いかけ」が生まれながら読める楽しみ。 検証可能性を追及する哲学の姿勢、そこから導き出される原理がすごい。その先の実践について今後に期待。 ・「欲望・関心相関性」の原理 ・「人間的欲望の本質は『自由』である」という原理 ・各人の「自由」の根本条件としての、「自...
「なるほど」と「問いかけ」が生まれながら読める楽しみ。 検証可能性を追及する哲学の姿勢、そこから導き出される原理がすごい。その先の実践について今後に期待。 ・「欲望・関心相関性」の原理 ・「人間的欲望の本質は『自由』である」という原理 ・各人の「自由」の根本条件としての、「自由の相互承認」という社会原理 ・個人の「自由」を可能とするための、「欲望を下げる」「能力を上げる」そして「欲望を変える」 ○欲望の中心点は動く。変えられる。これは人間の希望なのである。(168頁) ・欲望の中心点を見つけること。フックを持つこと。網を見つけること。そのための思考。 ・承認しやすい環境づくり ・その上で諸規定性を乗り越えること →しかし、時代や世界は複層的。 ・検証可能性=問題範囲の限定。「問うべきは何か」 ・諸規定性のある社会を泳ぐ、ヘーゲルのスタンスそのものも興味深い。 ・自由の相互承認のための、法、教育、福祉ととらえる。 →諸規定性を乗り越えることが「自由」であれば、ある種社会はそのままでも良いのか、相互承認のための環境づくりは本質ではないのか。 ・検証不可能な絶対不可侵なものに原理を置くのではない、ルールの哲学 →原理としての「自由」の可能性、それを目指す社会づくりは必要であるが、一方で、ルールの哲学において、「ルールを守らないもの」を織り込むことは必要ではないか。ルールは守られないこと前提とした原理が必要ではないのか(全てに守られて初めて機能する原理では脆弱ではないか)
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ヘーゲル論あり、米国発、政治哲学批判(思考実験批判)あり。 自由の相互承認がキーワード。 自由を捨てて機械的に生きるほうが楽なのかもしれないが、それは幸福ではない。 幸福とは積極的に難問に向かうこと。
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