東大で文学を学ぶ の商品レビュー
谷崎はどうしても好きになれないんだけど,こういう解釈を聞くと,読んでみようかと思う. 何よりすごいと思ったのは,巻末の東大生のレポート.
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芥川賞や紫綬褒章を受賞(章)している一流小説家の東大での講義録。「近代小説とはなんぞや」ということを大テーマに、ドストエフスキーの『罪と罰』や、『源氏物語』、谷崎潤一郎の『夢の浮橋』などを取り上げ、著者独自の分析を試みている。 なかなか難解な内容で、「ほんまかいな」と思うような解...
芥川賞や紫綬褒章を受賞(章)している一流小説家の東大での講義録。「近代小説とはなんぞや」ということを大テーマに、ドストエフスキーの『罪と罰』や、『源氏物語』、谷崎潤一郎の『夢の浮橋』などを取り上げ、著者独自の分析を試みている。 なかなか難解な内容で、「ほんまかいな」と思うような解釈もあったりしたが、小説家が小説を分析するというのは面白い試みだと感じた。最後に、東大生の本授業を要約したレポートが16篇収録されているが、同じ授業を要約しているのに、それぞれに個性があり、かつ、本質を突いている内容で、東大生の知性が垣間見えて興味深かった。
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小説とは何か、文学とは何かと今までに問われ答えに窮していたが、この本のおかげで少しは答えられるようになったと思う。名作の名作たる所以はそのオリジナリティにあるのではなく、古典から脈々と受け継がれる人間の内面の物語、筋書きのパスティーシュの巧みさにあるのだ。
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谷崎潤一郎が好きな私は,この表紙の顔に出会えば買わざるをえない.最後の谷崎潤一郎の「夢の浮橋」論だけ読む.「夢の浮橋」は源氏物語の最後の帖だが,その題に込められた源氏物語との二重構造を読み取る手際はさすがプロ.感心させられた.
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『東大で文学を学ぶ』 辻原登 ……小説の中から何かを教えてもらうとか、教訓を得ようとか、そういうことをしてもほとんど意味がありません。……小説は、われわれの見る夢である。たとえそれが現実と似ていても夢である。……ですから、小説というものは頭で読んでもわからない。背筋で読む。(p...
『東大で文学を学ぶ』 辻原登 ……小説の中から何かを教えてもらうとか、教訓を得ようとか、そういうことをしてもほとんど意味がありません。……小説は、われわれの見る夢である。たとえそれが現実と似ていても夢である。……ですから、小説というものは頭で読んでもわからない。背筋で読む。(p78) 小説に意味を求めない。頭で理解しようとしない。背筋、それはプロットとも考えられる。夢を見る器官と同じところで小説は読むということ。 ここで、『古事記』を『旧約』に、『源氏』を『新約』になぞらえてみるのも面白い。(p225) はっとさせられる。なるほど。
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古代中国の「志怪」と言われる伝奇小説群、「遊仙窟」、「古事記」、ドストエフスキーの「罪と罰」、源氏物語、谷崎の「夢の浮橋」を解題。小説が何ゆえ、通俗小説ではなく、文学作品なのか、ルカーチ「小説の理論」、横光利一の小説論「純粋小説論」などからの展開も興味深い。「純文学とは偶然を廃す...
古代中国の「志怪」と言われる伝奇小説群、「遊仙窟」、「古事記」、ドストエフスキーの「罪と罰」、源氏物語、谷崎の「夢の浮橋」を解題。小説が何ゆえ、通俗小説ではなく、文学作品なのか、ルカーチ「小説の理論」、横光利一の小説論「純粋小説論」などからの展開も興味深い。「純文学とは偶然を廃すること!」(横光)とは確かに通俗小説化の印象を避けるためには重要だと思う。「偶然はたちまち感傷に変化してしまう」そして「純文学作家達は真理性とか必然性という概念にしばられ、客観的世界と思いながら実は不具な抽象的世界に這入りこんでいる」(小林秀雄)とは言いえて妙。感傷の何が悪いの!ということか。大賛成。現実に世の中では偶然は多くあり、それが感動を多く招いている。そして文学では父殺しが隠された共通のテーマだという。なんと源氏物語でさえ。それを谷崎「夢の浮橋」を対比させることにより、納得できる。最後に和歌を「五 七五 七七」ではなく、「五七 五七 七」と詠むことで歌の力が出てくるとの言葉。(P242)これからはぜひ試してみよう。
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