1,800円以上の注文で送料無料

自我の終焉 の商品レビュー

4.4

8件のお客様レビュー

  1. 5つ

    4

  2. 4つ

    3

  3. 3つ

    1

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2024/10/21

クリシュナムルティの本は同じような内容の繰り返しなので、2、3冊読めば十分のような気がします。 この本は人気がありプレミアがついています。 新訳復刊版の『最初で最後の自由』もあります。

Posted byブクログ

2018/07/06

20歳前後に何度も読んだ本です。 父の本棚にラジニーシの本が多数あり、面白くて読んでいましたが、ふと片隅にあった地味な表紙の「自我の終焉」が気になり手に取りました。 ストイックで清い水のように、心理に溢れた本です。

Posted byブクログ

2014/01/24

非常に簡単な言葉で綴られているのに、 なかなか先に進まない。 何度も挫折しかける、止まる。 書いてあることは、一貫してひとつ。。 自分の戦いが終われば、 世界の戦争は無くなる。。と。 本当の意味で、 私がスピリチュアルに目覚め始めた本。 副作用:1ページ読んだだけで、も...

非常に簡単な言葉で綴られているのに、 なかなか先に進まない。 何度も挫折しかける、止まる。 書いてあることは、一貫してひとつ。。 自分の戦いが終われば、 世界の戦争は無くなる。。と。 本当の意味で、 私がスピリチュアルに目覚め始めた本。 副作用:1ページ読んだだけで、ものすごく眠くなる。       不眠がちの方におすすめ。

Posted byブクログ

2011/06/06

定価2100円。1980年発売で現在絶版。 2011年6月現在のアマゾンの中古価格は5500円。 原題は「The First and Last Freedom」 公開講話という特性上、ネット上にビデオや音声データが多数ある。 日本語訳も「クリシュナムルティ学友会」と「新しい芽」と...

定価2100円。1980年発売で現在絶版。 2011年6月現在のアマゾンの中古価格は5500円。 原題は「The First and Last Freedom」 公開講話という特性上、ネット上にビデオや音声データが多数ある。 日本語訳も「クリシュナムルティ学友会」と「新しい芽」という、 読者団体の有志によって行われ公開されている。 http://homepage1.nifty.com/spr/index.htm http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/ 三つの訳の印象を述べると(冒頭少ししか読んでないが)、 篠崎書林版は、カタカナ英語を避けて無理矢理、 熟語に訳している印象。言い回しが古臭い。 学友会版は、現代的なカタカナ語を取り入れられているが、 直訳的で英語的に言い回しがそのまま。 新しい芽版は、三つの中では一番お勧め出来るかも。 ただ素HTML公開なので電子書籍リーダーで公正し直さないと、 非常に読み難いかもしれない。

Posted byブクログ

2019/01/16

クリシュナムルティの1953年の著作(原題は、The first and last freedom)。クリシュナムルティの本は講演録が多いのですが、これは珍しく自身による著作であり、クリシュナムルティの思想がよくまとまっている良書です。 私が最初に手にしたクリシュナムルティ本で...

クリシュナムルティの1953年の著作(原題は、The first and last freedom)。クリシュナムルティの本は講演録が多いのですが、これは珍しく自身による著作であり、クリシュナムルティの思想がよくまとまっている良書です。 私が最初に手にしたクリシュナムルティ本です。最初に読んだのは20年以上前ですが、インパクトがありました。平易な言葉ですごいことをいっているな、という印象でした。最近久しぶりに読み返しましたが、やはりこの本は色褪せません。クリシュナムルテイの本はいろいろ読んでますが、お気に入りは本書と、生と覚醒のコメンタリー、子供達との対話、です。

Posted byブクログ

2020/07/15

かなり、衝撃的にとんでもない本だと思う。 著者のクリシュナムーティは、宗教や書物によって出来上がった観念を取り払って、純粋に自分の感覚によって「現在」の自分自身の中にあるものを見つめることによってしか、真理を理解することは出来ないという。 そのことと、著者自身が書物によって、人に...

かなり、衝撃的にとんでもない本だと思う。 著者のクリシュナムーティは、宗教や書物によって出来上がった観念を取り払って、純粋に自分の感覚によって「現在」の自分自身の中にあるものを見つめることによってしか、真理を理解することは出来ないという。 そのことと、著者自身が書物によって、人に考えを伝えようとすることは矛盾しているように思えるけれども、この本の中では回答を教えているのではなく、物事の見方を教えてているのだ。 この本を認めるということは、これまでに蓄積してきた知識や経験に一切を否定するということに等しい。そのことは、過去に多くの知識や経験や実績を積んできた人であるほど、難しい選択であるはずだ。 現在刊行されているビジネス書のほとんどは、まず目的を設定して、その目的を達成する方法について説明をするということが当然の前提になっている。そういう、将来のビジョンと目標達成意識を持つことが絶対的に不可欠なこととされている。 しかし、クリシュナムーティの語っていることは、それとはまったく正反対のベクトルのことを言っているのだ。彼は、知識も努力も、不要なものとして完全に否定している。 この本が真理をついているのだとしたら、そのことに早い段階で気づいて、方向習性をする必要がある。もし、もともとのスタート地点から目指す方向が見当違いのものだったら、先に進むほどに、取り返しのつかないくらい真理からは遠く離れた場所に漂着することになってしまうだろう。 感覚的には、この、クリシュナムーティが伝えようとしていることは正しい気がしている。論理的にも、おそらくそうなのだろうと思う。 人は、本や人から聞いた言葉によって影響されやすい。影響された後は、それが果たして元々自分の中にあった考えかどうか、区別することも出来なくなってしまう。人生の答えは、他人の考えた言葉の中には用意されていないのだ。 いったん、これまでのすべての知識をまっさらに戻して、本当の本当のところから自分の頭で物事を見る、ということをやってみるべきなのだと深く思った。この本に出会ったことは、後から振り返ったとき、大きな分岐点になるかも知れない。 真面目な人間というのは、特定のゴールにどのようにして達するかを考える人ではなく、最初に「自分自身を理解すること」に徹底して取り組む人であると私は考えます。なぜなら、もし「あなた」と「私」が自分自身を理解していなければ、実際に行動するときに、一体どうして社会や人間関係や、私たちの行為を変革しうるのでしょうか。(p.24) 外面的な技術の場合は、ある程度の模倣や真似が必要です。それに対して、内面的、心理的模倣が始まると、確実に、私たちは創造的でなくなってしまうのです。私たちの教育や社会や、いわゆる宗教的生活というものも、すべて模倣に基づいています。つまり、「私」はある特定の社会的、または宗教的な形式に、私を適合させてゆくのです。その結果、「私」は真の個人であることをやめてしまいます。(p.37) コップというものは、空の時に初めて役に立つのです。これと同じように、信念、教義、主義、引用句などを一杯詰め込んだ精神は、実際には非創造的な精神なのです。それは与えられたものを反復する精神に過ぎません。(p.67) 努力とはあるがままのものから目をそらすことなのです。「私」があるがままのものをあるがままに受け入れてしまえば、即座に闘争は終わるはずです。(p.83) 関係というものは、あなたがその中で自分自身を発見できる鏡なのです。関係がなければ、あなたは存在しません。生きるということは関係することであり、それが生活にほかなりません。(p.144) 宗教的な人たちは、「神」とは何かという問題を想像したり、熟慮しようとします。彼らは無数の本を読み、いろいろな聖人や師や大聖などの経験について書かれた本を読んでます。そしてその経験がどのようなものか想像し、それを感じようと努力しているのです。つまり、既知のものによって未知のものに近づこうとしているのです。そのようなことができるでしょうか。(p.224) あなたは今までに一人になろうとしたことがありますか。あなたが一人になろうと努力してみたとき、あなたはそれがいかに難しく、またそうするためには並み外れた理解力を持っていなければならないことに気づくでしょう。なぜかと言いますと、精神が私たちをなかなか一人にさせてくれないからなのです。精神はすぐにそわそわし始め、絶えず逃避することに忙しいのです。(p.240)

Posted byブクログ

2009/10/04

今、読んでいる途中。衝撃的! 「あるがまま」ということはよくわかっているつもりだったが、「何かになろうとする努力」=「あるがままの否定」ということにようやく気づいた。受動的な凝視。ウーム…。2006.10.1

Posted byブクログ

2009/10/04

クリシュナムルティー。その深遠さに感服します。本当に宗教的であること、真の愛は自我のないところ、観念と思考のないところにあるいうこと…

Posted byブクログ