中国の歴史認識はどう作られたのか の商品レビュー
読み終わってから、少し時間をおいて書評を書く。その為、先ずどんな本だったかを思い出す必要がある。その時真っ先に考えるのは、タイトルに対しての回答だ。つまり本書では、中国の歴史意識はどう作られたのかということ。 端的に述べられ、すでに通説としても認識されているだろうが、改めて、中...
読み終わってから、少し時間をおいて書評を書く。その為、先ずどんな本だったかを思い出す必要がある。その時真っ先に考えるのは、タイトルに対しての回答だ。つまり本書では、中国の歴史意識はどう作られたのかということ。 端的に述べられ、すでに通説としても認識されているだろうが、改めて、中国生まれの著者から確認することで理解を固める。つまり、以下の内容だが、1992年以降に公認された新しい教科書で、公式見解だった従来の毛沢東的な「勝者の物語」にとって代わったのは、自分たちの苦悩を西洋のせいにする「被害者としての物語」である。ナショナリズムの論法が、「勝者としての中国」から、徐々に「被害者としての中国」へと様変わりしていったのである。何より、その加害者側のシンボル的存在が日本である。 ー 外国による侵略や敗戦といった体験は、民族集団の「選び取られたトラウマ」の重要な源泉となる。中国が恥辱の一世紀の間に被った外国による主要な侵略としては、第一次アヘン地争、第二次アヘン戦争、中日戦争[日清戦争]、八か国の連合軍による侵略[義和団事件]、日本による満州侵略[満州事変]、そして抗日戦争[日中戦争]などがある。領土の割譲、賠償金の支払い、国権の一部放棄などは、すべて諸外国との「不平等条約」と関連していた。「恥辱の一世紀」は別名「条約の一世紀」とも呼ばれるが、それは多くの列強諸国が、軍事的勝利に引き続き、中国に壊滅的な打撃を与えるような一連の合意を強要したからである。そうした条約は、おおかた中国に多額の賠償金の支払いを命じ、開港、領土の割譲、あるいは外国勢力の影響力を容認するような種々の譲歩を押しつけるもので、中国側からすれば不平等だった。 現在の中国の横暴を正当化するわけではないが、述べられる事は事実である。にも関わらず、今の中国が単純化された勧善懲悪の二元論で悪者側として語られるのは、中国に対する後ろめたさと恐怖感ゆえに抑え込んでしまいたい戦略であるし、私自身もそうすべきだと考える。また、当然、過去があるからと今が許される訳でもない。しかし、この感覚は恐らく日中で乖離するはずだ。 「勿忘国恥」(国恥を忘れることなかれ)という漢字四文字。集合的なアイデンティティは常にある程度は相対的なものだ。他の集団の集合的なアイデンティティと比較したりそれに言及したりすることで、自分たちの集合的なアイデンティティが作られていく面もあるのだ。そこには、他の集団に対する「排他性」、自分たちの「地位」、他の集団に対する「敵意」が含まれる。 ー 抗日戦争を記述する「物語」にも見直しが施された。かつては共産党対国民党という国内の階級闘争に重点が置かれていたが、日本と中国との間の国際的、民族的な紛争の面が強調されるようになった。一九八〇年代初頭の歴史教科書では、国民党の腐敗、無能、そして無抵抗政策などが事細かに書かれていたし、抗日戦争を戦ったのはもっぱら共産党軍ということになっていた。ところが新しい教科書が語る歴史では、日本軍に対する国民党軍の抗戦もかなり評価されている。 愛国主義教育キャンペーンは歴史の語り方を変えたわけだが、もうひとつ大きな変化が起きているのが、「勝者」から「被害者」へという転換だ。 731部隊の映画が作られ、来年公開予定。堂々とコマーシャルを打って中国のSNSで盛り上がっていたそうだ。9月18日は柳条湖事件の日、これの影響かは知らぬが、深圳で日本人児童が刺殺された。慌てた政府はSNSを規制したようだが、映画はどうなる。敵意を頼りに集結させたなら、その指揮棒をどう振るうのか、やはり国の責任である。
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【由来】 ・ 【期待したもの】 ・ ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。 【要約】 ・ 【ノート】 ・ 【目次】
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中国共産党の公式党文書、江沢民・胡錦濤らの演説などを豊富に参照し、中国の恥辱の過去100年(アヘン戦争から第2次大戦まで)史からの復興の指導的立場に立つのが党であることを強調し、「愛国」党へ変身したことを説得力に溢れ論証。「勿忘国恥」がキーワード。今やプロレタリア代表ではなく、国...
中国共産党の公式党文書、江沢民・胡錦濤らの演説などを豊富に参照し、中国の恥辱の過去100年(アヘン戦争から第2次大戦まで)史からの復興の指導的立場に立つのが党であることを強調し、「愛国」党へ変身したことを説得力に溢れ論証。「勿忘国恥」がキーワード。今やプロレタリア代表ではなく、国民の利益を代表するとの表現が随所に溢れる。事実上、資本主義化した中国社会を統一して行くために、今や毛沢東の功績を、「共産国家設立」ではなく、「統一と誇りの回復」に絞るのは、考えれば必然の流れかもしれない。2008年は北京五輪だけではなく、同年5月の四川震災対策が大きな意味があり、古代より大災害に繰り返し襲われ、統一王朝の力が試されてきた。それ故に震災と当日にすでに温家宝首相が四川入りしたこの行動の早さ!。素晴らしいが唯一党の正当性、存在意義が問われた場面だった!心の傷を負った忘れがたい国民的体験は政府が利用するまでもなく、ストーリーとして国民に染みついているものだろうと思う。20世紀初頭に当時随一のインテリ梁啓超が「中日戦争が4000年の長き夢からわが国を目覚めさせた」と語ったとは意味深い。五輪で中国が金メダルだけを評価するということも「東亜の病夫」との侮蔑の言葉への反動から来ているということも面白い。このような中国の誇りを傷つけることが、日本にとって如何にマイナスかを知る必要性が高い。靖国は過去ではなく、現在の中国の威信問題なのだ。「黒い記念日」は、いかにも中国らしい。1999年のベオグラード大使館の誤爆事件の際の、政治局常務委員7名の意見が紹介されていることは実に興味深い。米国の陰謀を主張する指導者たちの強い声に根の深さ、危険性を感じる。
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中国系米国在住の国際政治学者が、なぜ「日本」は「中国」から憎まれるのか、中国人は歴史をどのように認識してきたかということについて分析する。 歴史認識、歴史的記憶と史実(実際に起こったこと)は、必ずしも同一ではないということを理解する必要がある。 為政者は、国民を意のままに動かす...
中国系米国在住の国際政治学者が、なぜ「日本」は「中国」から憎まれるのか、中国人は歴史をどのように認識してきたかということについて分析する。 歴史認識、歴史的記憶と史実(実際に起こったこと)は、必ずしも同一ではないということを理解する必要がある。 為政者は、国民を意のままに動かす手段として、歴史的認識を利用する。歴史的認識では歴史的事実は取捨選択され、方向付けられている。不都合な史実は削除あるいは無視され、場合によっては都合のよい歴史が作られる。 歴史的認識は、為政者が目指すべきゴールを示す道しるべとなりうる。 そして、紛争などの障害は、国が結束するための拠り所を与える。さらに、その集団に深く根付いた観念や、信念となりうる。 また、歴史的記憶は、人間が持って生まれたものではなく、意思を持って忠実に教え込まれていく。 たとえば、イスラム圏で起こっている民族対立など、丹念に教え込まれた教義によって、憎悪が増幅されていく。 これらの前提を理解したうえで、アヘン戦争以後、中国ではどのような史実があり、そして、どのように歴史認識が作られていったか、そして現在の中国の歴史観があるかということについて分析している。 中国の実例についての研究であり、非常に具体的で理解しやすいのと同時に、同じ考え方を隣国、その他の国に準用することによって、彼らの考え方を理解するヒントになると思う。 隣国が、自国経済崩壊局面にあって、自国民を結束させる手段として作り上げ騒ぎ立てる彼らの歴史認識について、それは国内的なものだと理解していらばよいが、国際社会の中で捏造した歴史を押し付けようとするときは、毅然とした対応を取るべきだと思う。
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なぜ中国がこれほどまでに反日感情を高めているのかを理解するのにお勧めの1冊。アヘン戦争に始まる、外国による中国侵略は、それまでの中国民族の認識を改めさせる結果となった。国民が中国と諸外国との軍事力や経済力の差を認めざるを得なくなった、アヘン戦争から100年以上が経過して、いよいよ...
なぜ中国がこれほどまでに反日感情を高めているのかを理解するのにお勧めの1冊。アヘン戦争に始まる、外国による中国侵略は、それまでの中国民族の認識を改めさせる結果となった。国民が中国と諸外国との軍事力や経済力の差を認めざるを得なくなった、アヘン戦争から100年以上が経過して、いよいよ対等な立場、もしくは逆の立場で諸外国と対抗できるようになったのだ。これまでの歴史を国恥ととらえ、それを忘れないように教育されてきた国民は・・・と考えれば現状は理解しやすい。
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表紙の写真、「国恥を忘れることなかれ」という横断幕を手にしているのは、女子大生だろうか、すべて年若き女性たちだ。なぜ中国の若者たちは、こんなにも「国」が好きなのだろうか? 中国はあるときから明確に愛国教育に舵を切った。それまで「共産主義」的な立場から、日本に対しても「軍国主義...
表紙の写真、「国恥を忘れることなかれ」という横断幕を手にしているのは、女子大生だろうか、すべて年若き女性たちだ。なぜ中国の若者たちは、こんなにも「国」が好きなのだろうか? 中国はあるときから明確に愛国教育に舵を切った。それまで「共産主義」的な立場から、日本に対しても「軍国主義が悪いのであって、日本の労働者とは連帯できる」という物言いであったのに、一夜にして日米を敵視しはじめ、ナショナリズムを盛大に国策として称揚するようになった。そうした方向転換に、理路整然とした説明をしてくれるのが本書だ。 著者は雲南省出身で、現在はアメリカの大学で教鞭をとると同時に、シンクタンクなどでも働いている研究者。中国を「敵視」するためではなく、「理解」するために必要な枠組みを丁寧に解説してくれている。 中国は共産主義の楽園として、階級闘争の勝者として、自らを定義していた。しかし、共産主義の夢破れたとき、結党以来の危機に陥った共産党は、イデオロギーの大転換を試みる。共産党の一党支配を正当化しつづけるためにとられた方策は、中国を「勝者」ではなく「被害者」として再定義することだった。共産主義を奉じていたとき、中国は自国の歴史・文化を称揚することはなかった。そんな必要はなかったからだ。栄光の過去、それを踏みにじられた100年間、英米日に与えられた「国恥」、そしてそのみじめな状態から国を救ったのが共産党だという「物語」が、共産主義に替わる国是になった。中国共産党は、党の使命を、「共産主義の実現」から「中華民族の偉大なる復興」へとすっかり変更したのだ。つまり、中国共産党はすでに「中国ナショナリズム党」に変わってしまったのだ。 愛国教育は、共産主義に替わる中国の「背骨」だ。この方針を捨てることは共産党一党支配を崩壊させることになる。懸念と言えば、共産主義から愛国主義への転換が、あまりにうまく行き過ぎたことだろうか? 本書は外交問題に対して自国民に「メンツ」を立てなければならない中国共産党指導者の苦しい立場にも言及している。中国の新しい「物語」を念頭に置けば、中国が外交的に強気に出ざるを得ない問題、そうではなく穏便に解決できる問題を切り分けていけるという本書の主張には納得が出来る。 本書を読んで、中国と「歴史認識」を合わせるのは、少なくとも共産党が政権にある間は絶対に無理だという思いを新たにした。同時に、日本でも「歴史教育」を自国に都合のいいように教えるべきだと考える政治家に対してますます疑念が強くなった。 多少くどいというか繰り返しが多いところもあるが、中国がなぜ「愛国教育」を施すのか、それをやめられないのかについて、きちんと四つに組んで、がっつり寄り切っている、希有な本。
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※このレビューにはネタバレを含みます
20140817-0901 非常に興味深い本。中国の現在の指導者(党)が、何を考えて歴史教育を行っているのか、その背景にある中国国民の歴史観「CMTコンプレックス」「選び取られたトラウマ」等、わかりやすく説明。では私たち日本人はどうなのだろう、中国が列強に支配されてからの我が国の対応、日中戦争、等々、一般的な国民感覚では『昔はいろいろひどいことしてごめんなさいねー』くらいにしか思っていないような(私もそうだけど)。経済上も地政学的にも密接に関わっている国なのに、相手(中国)がこちら(日本)を思うよりも無知・無関心なのがむかつくのだろうなあ・・・
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今日の中国の政界や国民の考え方の多くは、「恥辱の一世紀」の間の出来事に大きく影響されている、と著者は述べる。それは、中国の若者が「勿忘国恥」というスローガンを叫び続けることによっても明らかだ。中国は古代から世界の中心であり、技術開発と人類の知識の発展に寄与してきたと自認してきたが...
今日の中国の政界や国民の考え方の多くは、「恥辱の一世紀」の間の出来事に大きく影響されている、と著者は述べる。それは、中国の若者が「勿忘国恥」というスローガンを叫び続けることによっても明らかだ。中国は古代から世界の中心であり、技術開発と人類の知識の発展に寄与してきたと自認してきたが、アヘン戦争や日中戦争によって、その誇りをずたずたにされたのである。彼らの恨みや憎しみは骨の髄まで浸み込んでいるのだ。その感情を煽るものが共産党が行う愛国主義教育キャンペーンだ。日中友好への道は限りなく厳しいと言わざるを得ない。
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中国の「国恥」という感情の原点とそれが伝承されるメカニズムへの理解は深まった。 CMTコンプレックスと政治への影響というフレームは日本の現在の集団自衛権問題の考察にも適用可能か。
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