不良になりました。 の商品レビュー
相変わらずの東京日記。だけど震災の時期を挟んでいることで、フィクションにノンフィクションが入り込んで来る不思議な感じ。
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川上弘美のエッセイを読むのは初めて。ユーモア溢れる文章に笑いが止まらなくなる。単なる自分語りではなく、人に読ませるところがすごくいい。日常の一部をこんな風に書ける文才が私も欲しい。
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東京日記4作目。 最初の『十七回め』からくすくす笑ってしまう。 震災以前以後って世間で言われるけれどこの連載もそれを挟んでいて、でもあからさまな変化がなくてよかった。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
大好きなシリーズ。 ひょうひょうとした語り口で、ちょっと変な視点での日常を短いセンテンスで書いている。 布団の上で日向ぼっこしているどこぞのイグアナに恋をしたり、失恋したり、また再開したり、やっとパソコンに買い替えたはいいけれど、ソリティアに延々とはまったり、と時々吹き出しそうになりながら読み進むと、忘れられない『あの日』がやってくる。 この作品のスタンスは崩れず、淡々ひょうひょうと日常は続く。 けれど、ここかしこに作者の気持ちはちりばめられている。 願わくば、作者が一日でも早くソリティアができることを。
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太田和彦著『みんな酒場で大きくなった』のレビューで「以前と較べ少々腫れぼったいお顔であられたことに二重のショックを受けたのでした。」としていたのでしたが、川上女史はこのエッセイ(P112)で「「なんか、顔がむくんでない?病気?心配だよ」ぜんぜん病気ではないし、顔のむくみも、五十歳...
太田和彦著『みんな酒場で大きくなった』のレビューで「以前と較べ少々腫れぼったいお顔であられたことに二重のショックを受けたのでした。」としていたのでしたが、川上女史はこのエッセイ(P112)で「「なんか、顔がむくんでない?病気?心配だよ」ぜんぜん病気ではないし、顔のむくみも、五十歳過ぎてからはいつものことである。」とある。三重のショックを受けたのでした
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『そ、それはもしかして、「かしこまりました」の間違いでは。と思うのだけれど、聞いているうちに、「かしこまいりました」の方が正しいように思えてくる』ー『うふびたにさん』 ホンの何行かの、日記の体裁の文章に毎回ぐうとなる。何か訴えるようなことが書いてある訳でもないし、深淵なテーマが...
『そ、それはもしかして、「かしこまりました」の間違いでは。と思うのだけれど、聞いているうちに、「かしこまいりました」の方が正しいように思えてくる』ー『うふびたにさん』 ホンの何行かの、日記の体裁の文章に毎回ぐうとなる。何か訴えるようなことが書いてある訳でもないし、深淵なテーマが語られる風でもない。その多くは眉唾な話ですらある(デスラーある、と変換されて顔が青くなりました)。もちろんこの東京日記が創作でない訳はない。だから、眉唾な話、当たり前。と思いながら(わざわざ自分自身に断りながら)読むのだけれど(野田蹴れど、と変換されて今度は顔が赤くなりました)、ここに書き付けられた言葉に、どうしても川上弘美の声を聞いてしまう。それだけなら、ぐうとなるようなことではないのだけれど、毎回ぐうとなるのは、眉唾な話が絶妙なオチにつながるからで、そのオチの向こう側にも薄らとぼけた川上弘美のすました顔を見てしまうからで、いやいや自分は騙されまいぞ、と別に騙されている訳でもないのに、いちいち自分自身に言い聞かせずにはおられない。なので、急にまっさおなブラジャーの話が出てきたりすると、へどもどしそうになりながら、いやいやこれこそ川上弘美マジックなのだから、騙されまいぞ、騙されまいぞ、とお経のように繰り返しつぶやく羽目におちいる。 だいたいが、単行本になる前に、収録されている日記は毎月こつこつ読んでいる訳だから、今更へどもどすることもない筈なのだけれど、この薄らとぼけた川上弘美マジックは、読むものを妙に無防備にさせる作用があるのである。そして時々、ソリティア断ちの話のようなどきっとするようなことも語られたりするので、急に神妙な気分におちいったりもして、少し厄介なのである。 断っておくけれど、自分は川上弘美のファンである。まあ、断っておく必要はどこにもないのだけれど、ファンだから川上弘美がヒロミイズモンキーだったことも知っているし、新婚旅行でマダガスカルに行き猛烈に英語でまくし立てられるくらい英語で会話ができることも知っている。なので外国でぎゅっと目をつぶってやり過ごす話の七割くらいは川上弘美のサービス精神なのだと割り引いて読んではいるのだが、やっぱり残りの三割くらいは本当のことなんだろうなとも同時に思ってしまうのだ。イグアナを頭に巻いた女の人の話を読みながら、そんなことあるわけないだろう、とツッコミをいれつつも、腕にカメレオンを止まらせて笑みを浮かべていた川上弘美の写真を思い出したりして、まあきっとそう見えたということなんだよね、と気持ちを整理したりしながら読んでいるのである。それなのに、イグアナの本名が「ゆき」だったなどと、あとがきに書いてあったりするので、ええっ、じゃあ本当にあった話だったの?、と再び訳が分からなくなる。 ここに至って、つまりこの訳が分からなくなってしまう感じこそ、東京日記を読むことの最大の魅力なのだな、と気づく。というか、川上弘美を読むことの魅力なのだ、と。もちろんセンセイの鞄も好きだけれど、やっぱり自分は蛇を踏んだりクマと河原にいく話のような、川上弘美にしか書けないような話が好きなのだ。そしてそういう寓話的な話の根源に、世の中が少しいびつに見えてしまう川上弘美の視線を読み取ったりして、何故かへどもどしたりする。高校の一年先輩で、背が高く髪がまっすぐ腰くらいまで伸び、弓道部所属で凛々しく袴をはいていて、選挙管理委員会ではなんだかとても大人に見える発言をしていた人のことを思い出したりするのである。そういえば、体制とか教師側とかそんな物騒な言葉を覚えたりしながら、全体主義に対する忌みを覚え始めたのもあの頃だったな、と思い出したりするのである。 だから、クマの話が再び少し違った形で出版されることに必要以上に動揺する時、やはりあの高校の古い建物の中でガリ版を切っては何枚も檄文のようなものを刷っては配ったりしたことと川上弘美のファンであることには、きちんと繋がりがあることなのだと自分自身を整理できたりして、妙な安堵を覚えたりする。ただ、あわあわとした文章を読んで、にへらにへらしている訳じゃないのだ、と自分自身を肯定できたりする。 でも、川上弘美の左右の視力が随分と違うことを知り、川上弘美の、そして自分自身の、世の中を少し斜に構えて見てしまう癖は、ひょっとしたら同じ理由があってのことなのかな、なんて考えて、やはりへどもどするんですけれどもね。
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ほんと面白い。なんでこんななんてことない日常をこうも面白おかしくかけるんだろう。そしてなんてことなくない非日常を過ごしているのだろう。 わたしも普通でなかった日常の一コマをメモるくせつけようかしら。吉祥寺の三菱東京UFJで電話越しにニューヨークにいると言っている女性とか。あるなー...
ほんと面白い。なんでこんななんてことない日常をこうも面白おかしくかけるんだろう。そしてなんてことなくない非日常を過ごしているのだろう。 わたしも普通でなかった日常の一コマをメモるくせつけようかしら。吉祥寺の三菱東京UFJで電話越しにニューヨークにいると言っている女性とか。あるなーと思うけど川上さんが文字にするとこんなにもふわふわとなるのか。デスソースのくだりもオチが素晴らしい。ほんとにこんな店あったのかな、と疑いたくなる、創作なのかな、と。 隣の家の干してある布団にくっついたイグアナにアイドリングと名付けたり、イグアナ一家が引っ越しだと思ったらのちに近所でイグアナをマフラーのように首に巻きつけた婦人を見かけたり、前髪作ったらムーミンのノンノン言われて落ち込んだり、海外で白く大きなパンツを忘れ、まっさおなブラジャー。 どうやらわたしの近所にお住まいみたいであってみたいなーと思う。イグアナとかその他もろもろに。
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