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月と蛇と縄文人 の商品レビュー

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6件のお客様レビュー

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2023/01/30

月や蛇のレトリックから、死と再生をテーマにした縄文の信仰仮説を展開する。 初めに仮説の概略を述べた後は例示が続く。 同じ仮説の裏付けがほとんどなので、概略だけ知りたい人は初めと最後の岡本太郎の話だけでも十分。 縄文史料に興味があれば、新しい視点をえられるので、一読の価値はある...

月や蛇のレトリックから、死と再生をテーマにした縄文の信仰仮説を展開する。 初めに仮説の概略を述べた後は例示が続く。 同じ仮説の裏付けがほとんどなので、概略だけ知りたい人は初めと最後の岡本太郎の話だけでも十分。 縄文史料に興味があれば、新しい視点をえられるので、一読の価値はあるかと思います。

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2018/09/17

大島直行 著「月と蛇と縄文人」、2014.1発行。表紙は廣戸絵美氏の写実的な油絵「妊婦」と国宝土偶で誇張というレトリックの手法が観察される「縄文のヴィーナス」です。なぜ土偶の口はポカンと開いているのか? なぜどの土偶も裸の女性なのか? この本は「シンボリズム」と「レトリック」から...

大島直行 著「月と蛇と縄文人」、2014.1発行。表紙は廣戸絵美氏の写実的な油絵「妊婦」と国宝土偶で誇張というレトリックの手法が観察される「縄文のヴィーナス」です。なぜ土偶の口はポカンと開いているのか? なぜどの土偶も裸の女性なのか? この本は「シンボリズム」と「レトリック」から縄文人の「こころ」、縄文人の「世界観」を見つける旅です。月の満ち欠けに死と再生をイメージした縄文人、9月24日は仲秋の名月、古代人の暮らしや考え方に思いを寄せるのも一興ですね(^-^)

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2016/03/13

はじめにの文章の最後の一部を紹介します。 「人間とは何か」――その研究により長い間取り組んできた学問は、心理学や宗教学、民族学(文化人類学)、民俗学、言語学、神話学、そして哲学などではないでしょうか。  だとしたら考古学(縄文研究)にもその研究成果を取り入れることが必要だと考え...

はじめにの文章の最後の一部を紹介します。 「人間とは何か」――その研究により長い間取り組んできた学問は、心理学や宗教学、民族学(文化人類学)、民俗学、言語学、神話学、そして哲学などではないでしょうか。  だとしたら考古学(縄文研究)にもその研究成果を取り入れることが必要だと考えます。・・・・・・ もっともなことだと理解します。 ネリー・ナウマンというミルチャ・エリアーデの象徴理論を基盤とした研究成果をもとに縄文研究をした研究者との出逢いが、著者の研究意欲を掻きたてたのです。 内容は 第1章 縄文人のものの考え方  1縄文の謎はなぜ解けない  2ユングとエリアーデ  3ネリー・ナウマンの研究  5異分野からのアプローチ  6読み解きの鍵はシンボリズムとレトリック 第2章 縄文人のものづくり原理  第1節 縄文土器は本当に鍋か  第2節 土偶のワキはなぜ甘い  第3節 石斧の色はなぜ緑なのか  第4節 貝輪をはめるのはなぜ女性なのか 第3章 縄文人の大地のデザイン原理  第1節 死者をなぜ穴に埋めるのか  第2節 竪穴住居になぜ住むのか  第3節 ストーンサークルはなぜ円いのか  第4節 感情土竹籬は土木工事か  第5節 貝塚はゴミ捨て場なのか  第6節 水場遺構で何が行われたのか  第7節 火災住居は単なる家事か 第4章 縄文人の神話的世界観  第1節 縄文人の世界観  第2節 月のシンボリズムの行方  第3節 縄文文化の本質 著者が一貫して主張する、月のシンボリズム、死と再生。仮説ではありますが、とっても説得力がありました。 縄文は、蛇が交合する姿を土器に印したもの。 カエルの脱皮、熊の冬眠などなど。 ただ、出土した縄文土器を選別する作業に終始する考古学者ってなんだろうって思ってしまいました(笑)。

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2015/12/28

今までの考古学の視点とは、一線を画す、シンボルとレトリックで縄文人の心性に迫ろうとする画期的な一冊。現代人の合理的、経済的な観念では縄文人の心は解き明かせない。目から鱗の思いがした。

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2014/11/09

「月(子宮)と蛇(男根)は、「死なないもの=再生」の象徴の中核に置かれ、それにまつわるさまざまな事象とも関連づけられています。一つの体系をなしているのです」(月と蛇と縄文人」)

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2014/05/23

この本のカバーに使われているのは、廣戸絵美氏の油絵「妊婦」である。科学的な認識に基づいた写実絵画であり、作者の思想性さえ込められている。一方その下には国宝土偶の「縄文のヴィーナス」がある。これは、科学的な認識どころか思想性さえない。もっぱら「誇張」というレトリックの手法を全面に出...

この本のカバーに使われているのは、廣戸絵美氏の油絵「妊婦」である。科学的な認識に基づいた写実絵画であり、作者の思想性さえ込められている。一方その下には国宝土偶の「縄文のヴィーナス」がある。これは、科学的な認識どころか思想性さえない。もっぱら「誇張」というレトリックの手法を全面に出して作られている。しかし、大きな意味があり、それが縄文時代全てにおいて貫かれているのだと、著者はいう。フロイトの心理学、ネリー・ナウマンの象徴研究に学んだ著者は、縄文人のものつくりの原理には必ず性と再生がつきまとうという。この土偶には、雨やせい液を「月の水」になぞらえ、それを集める容器としての「隠喩」があるという。また、縄文も蛇を模した。脱皮や冬眠が不死や再生のシンボルとなりうるという。また、女性が身籠るための水(せい液)を月から運ぶと考えられていたらしい。かくして、土器の尖底も月に、異形土器も子宮、蛇、蛙に、土偶のワキの甘さは闇を避けるため、幼子の姿を模して勾玉に、緑の生命力をシンボライズしてヒスイへ、貝殻と女性生殖器との類似、等々と全ては「性と再生」に集約化しているという。 認知考古学とは一線を画している。無意識的な思考までを学問の対象にしていないからだ。この辺りの判断は、私には出来ない。 ふたつの疑問がある。 一つは、石鏃の形から家の形まで、全ての遺物を性と再生で説明しようとしているが、人類の生産や生きがいとは、それだけに支配されるものだろうか。しかも、この方法は「そうだ」とも「そうでない」とも証明する手段がないのではないか?つまり言ったもん勝ちなのではないか? 一つは、月の水がせい液になるのだとしたら、縄文人は明確にせい液と妊娠との因果関係を把握していたということになる。長い間、古代人は母系社会であると言われて来た。それは、その因果関係に気がついていなかったからだと私は理解していたのだが、違うのだろうか? これらの伝統文化は多くは弥生文化にも引き継がれたと著者は言う。そうだとしたら、弥生文化によく出てくる龍は、蛇の進化形だと見ることも出来るだろう。龍が「王」の証しなのは、そこに物語があるからなのかもしれない。 全体的に著者の主張は、話半分としてのみ読めた。私は学者ではないので、こういう「解釈」は、それはそれで面白い。 2014年5月18日

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