その日本語、ヨロシイですか? の商品レビュー
以前、フリーの校閲者のワークショップに参加したことがあるが、その細かさに参加者全員お手上げだった。あらためて校閲の仕事の大変さがよくわかった。著者は違うと書いているが、やっぱり日本語のプロと言える。そして、最近は死後になる日本語も多くて、時代の移り変わりのサイクルが早くなっている...
以前、フリーの校閲者のワークショップに参加したことがあるが、その細かさに参加者全員お手上げだった。あらためて校閲の仕事の大変さがよくわかった。著者は違うと書いているが、やっぱり日本語のプロと言える。そして、最近は死後になる日本語も多くて、時代の移り変わりのサイクルが早くなっているのではないか?
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著書本人の漫画もかわいくて、話も面白い。2022年の今読むと全体的な感覚が少し古いと感じたが、分かりやすくてすぐに読めた。
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新潮社の校閲部長による日本語についての本。言葉を扱う最後の砦的な仕事をされているからこそ、言葉を大切に、そして生き物のように扱っているという印象。単純に間違えやすい言葉だけでなく、ルビをふるということや、校閲の仕事とは、といったことまで披露してくれている。特に、校閲の実例は面白い...
新潮社の校閲部長による日本語についての本。言葉を扱う最後の砦的な仕事をされているからこそ、言葉を大切に、そして生き物のように扱っているという印象。単純に間違えやすい言葉だけでなく、ルビをふるということや、校閲の仕事とは、といったことまで披露してくれている。特に、校閲の実例は面白い。おおよその検討はつく、は「見当」だったり、ご存知とご存じは統一するとか、基本的な内容デアはあるが、意識しないと間違える。神は細部に宿るとすれば、ここで勝負がついてしまうことだってあり得るだろう。そんな緊張感を感じるからこそ、引き込まれるんだろうなと思う。日本語の将来はどうなるんだろうか、電子化の波、ツイッターなどの新たなメディアの存在が、こうした言葉一つ一つの意味を深く問うことなく、誤った言葉さえも肯定し、拡散する。本当の意味など、それこそ意味がない時代が来るとすれば校閲という仕事はなくなっているかもしれない。 これはビジネスにも非常に大きく関係するところだ。校閲ではないが、文章をつむぎ、関係者へ説明することは、すなわち言葉を大事にしながら正しい言葉で正しいニュアンスをしっかり伝えるということ。プライドを持って、言葉で人を説得する仕事がビジネスだから。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
図書館の新館コーナーで手にとった本 若者言葉を否定するような本かと思って、パラパラとめくったのですが そうではなさそうなので借りてみました。 校閲という仕事について、ベテランが紹介しています。 実は私、ドラマ『地味にスゴイ!校閲ガール』で、校閲の仕事を知りました。 ルビの振り方、旧仮名遣いでの苦悩や ネットが発達する前と今とで確認する範囲が違ってきたとかの裏話もありました。 また、タイトルから想像した「若者言葉を否定するような」ものではなくて テレビや、鉄道で放送される言葉などが挙げられていて へぇ、と思いました。 随所にマンガが挿入されているのだけれど、これが微妙というか 文章の内容を補足したり、エピソードを盛り込んでいるとも感じられず。 そして著者が描いたというのですが、… 言いにくいですが、マンガは無い方がよかったのではないかと思います。
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「重版出来!」からの派生。校閲のお仕事。書き手、校閲者の実に細かなこだわり、自然言語であるが故の判断つきかねるレアケースが、プロならではのストックでどんどん出てくるのが面白い。 仕事には敬意を表するが、東条英機の「機」が「樹」になってたから全部刷り直し、っていう時代はもう終わるべ...
「重版出来!」からの派生。校閲のお仕事。書き手、校閲者の実に細かなこだわり、自然言語であるが故の判断つきかねるレアケースが、プロならではのストックでどんどん出てくるのが面白い。 仕事には敬意を表するが、東条英機の「機」が「樹」になってたから全部刷り直し、っていう時代はもう終わるべきだろう。食品の異物混入と同じく、一定のエラーを許容できる社会になることが望ましい。
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重版出来6巻のあとがきで紹介されてたので読んでみました。 校閲って仕事についてその道のベテランが紹介する本。 ネットが発達する前は資料が少なくて校閲といえども専門的な内容にはあまり手を出せなかったとか、 校正から校閲になったのがここ30年ほどのことで、校正の頃はとにかく原稿と同...
重版出来6巻のあとがきで紹介されてたので読んでみました。 校閲って仕事についてその道のベテランが紹介する本。 ネットが発達する前は資料が少なくて校閲といえども専門的な内容にはあまり手を出せなかったとか、 校正から校閲になったのがここ30年ほどのことで、校正の頃はとにかく原稿と同じに印刷されたかチェックする仕事だったとか、 ルビの振り方や旧仮名遣いについての出版側の苦悩とか、いろいろ面白い出版裏話が聞けます。 なんと文中のマンガも著者によるもの。多才だ。 校閲は「国語学者」ではなくて「国語の素人のプロ」だそうです。 正解を判断するのではなくて、世間ではどう使われている言葉なのか、それを調べる仕事。 そうか、そうだったのか。 「舟を編む」で辞書作成について読んだけど(あっちはフィクションですが)、こっちはまた別の仕事の紹介でした。
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その日本語、ヨロシイですといえないのが何とも日本人として理不尽でしょうがない。 世の中には言葉を扱う職業は数多くあるが校閲という仕事は広く浅くゆるくきつく縦横無尽の広がりの中書かれた相手の立場にも気遣わなければならない大変な仕事だと感じる。
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校閲者から見た日本語。曰く、世の中に完全な原稿などというものは存在しない。筆者の能力とか才能とは関係なく人間である以上、完璧というものは、ありえない。何だかほっとする。著者の大きなミスも紹介されている。東条英機を東条英樹と誤り印刷済みの冊子を全て廃棄にしなければならなかったとのこ...
校閲者から見た日本語。曰く、世の中に完全な原稿などというものは存在しない。筆者の能力とか才能とは関係なく人間である以上、完璧というものは、ありえない。何だかほっとする。著者の大きなミスも紹介されている。東条英機を東条英樹と誤り印刷済みの冊子を全て廃棄にしなければならなかったとのこと。どんなに知識が豊富でも知らないことはあるし、穴もある。校閲者は言葉に対して素人であることのプロ。故に言葉の素人であると自覚し常に確認を心がけなければならない。校閲者という一般読者の先遣隊ならではの苦労と矜持。新たな日本語の地平を拡げてもらった。
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「本の雑誌」1月号恒例企画「わたしのベスト3」で、著者が恐縮しつつこの自著本を挙げていた。「『日本語誤用指摘本』と思われている誤解を解きたい」とあり、あらま、てっきりよくあるその手の本だと思っていたらそうじゃなかったの?と読む気になったのだが、いやいやこれは!予想を上回る面白さで...
「本の雑誌」1月号恒例企画「わたしのベスト3」で、著者が恐縮しつつこの自著本を挙げていた。「『日本語誤用指摘本』と思われている誤解を解きたい」とあり、あらま、てっきりよくあるその手の本だと思っていたらそうじゃなかったの?と読む気になったのだが、いやいやこれは!予想を上回る面白さであった。 著者は、「本の雑誌」2013年9月号「いま校正・校閲はどうなっておるのか!」や、2011年6月号「新潮社に行こう!」にも登場していた、新潮社校閲部長。(どちらの企画もすこぶる面白く、特に出版社訪問シリーズは近年ではピカイチではなかろうか。) 新潮社校閲部は六十人をこえる大所帯で、装幀部とともに新潮社の屋台骨とも言われているそうな。本書は校閲部一筋で長いキャリアを持つ著者が、校閲の現場から見てきた日本語について語ったものなのだった。 なによりいいのは、「言葉に対して素人であることのプロ」に徹する著者の姿勢だ。日本語の研究者のように学究的立場から「これが正しい日本語だ」と指摘するのではなく(もちろんそうした研究が大事なのは言うまでもないが)、今の時代に生きている言葉として、出版物に使われる言葉が適切かどうかを考えるのが校閲者の役割だという。その具体例が非常に面白い。 たとえばルビの振り方、送り仮名の付け方、仮名遣い、どれ一つとっても一筋縄ではいかないなあと思わされる。とりわけ、漢字。「常用漢字」なぞというものがあるために、エラクややこしいことになっているというのはよく聞く。新聞なんかのヘンテコリンな交ぜ書きや、妙な字体はコイツのせいだが、じゃあどう使えばいいのか? これが難しい。正解がない中で、日々本や雑誌はどんどん出る。そして何より、校閲者は「作者」ではなく、あくまで黒子。いやもう、ご苦労お察しします。 第7章第8章には、期待通り(?)「その日本語ヨロシイですか?」と言いたくなるさまざまな例があげられているのだが、さすが、またその言葉?というのはほとんどなくて、言われてみればなるほどなあというものが多かった。わたしがドキッとしたのは「圧倒的」という言い方。「圧倒的な映像でお送りする…」などという使い方に、特に違和感を感じず、自分でも使ったりするが、確かにこれは「圧倒的な迫力の」を略したものだ。こういう略し方って嫌いなはずなのに。うーん。 もう一つ、確かに!と膝を打ったのが、鉄道会社による「名詞化」というやつ。「踏切への『人立ち入り』により停車します」などという言い方のことだが、「人が立ち入りましたので」と言わず名詞化することで、さもよくあることのような印象を与えようとしているのではないかと言う。専門用語にはこの手の名詞化が多く、いかにもそのことに慣れっこになった「通」の会話といった雰囲気をかもし出すという指摘は、まことにうなずける。鉄道会社がこれを多用するようになった意図は、はて? 最初は微妙なニュアンスを表す表現だったものが、じきに手垢にまみれて陳腐化し、気持ち悪ささえ帯びてくるのが流行語の宿命だとして、最近でのその代表例として「癒し」「想い」があげられている。ほんと、そうだよなあ。「気付き」とかも付け加えたい。実にキモチワルイ。「これらは大切な基礎語です。しばらく休ませてリハビリさせるしかないでしょう」同感同感。 最後にちょっと言いにくいことなんだけど…。この本について著者は「もう一つのライフワークであるマンガ・イラストと文章の融合表現の実験でもあります」と書いていて、各章の始めなど、随所にマンガが挿入されている。えーと、このマンガがですねえ、んー、なんというか昭和の香りたっぷりで、昔学習漫画にこういうのあったなあと言う感じでですねえ、あのー、いらないんじゃないでしょうか。
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日常の言葉遣いが間違えてたら嫌だと思って読んだものの、校閲についての日本語でした。 校閲についてはなんとなく知っていたつもりだったけれど、全然知らなかったなと。 いちいち言葉が正しいか、使い方は間違えてないか、小さなほつれを虫眼鏡で見つけるようなそんな仕事なのかなと感じました。
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