東京オリンピック の商品レビュー
東京オリンピックについて、日本の作家が書いた文章を集めたもの。 「東京オリンピック」とは、おととし2021年に行われたものではなく、1964年に行われた、最初の東京オリンピックのことだ。その時に、多くの作家(表題では「文学者」となっているが)が、新聞や雑誌に観戦記やエッセイを書い...
東京オリンピックについて、日本の作家が書いた文章を集めたもの。 「東京オリンピック」とは、おととし2021年に行われたものではなく、1964年に行われた、最初の東京オリンピックのことだ。その時に、多くの作家(表題では「文学者」となっているが)が、新聞や雑誌に観戦記やエッセイを書いた。本書は、それらの文章を集めたものである。 まずは、顔ぶれがすごい。佐藤春夫、堀口大學、井上靖、石川達三、三島由紀夫、石原慎太郎、北杜夫、遠藤周作、小田実、大江健三郎、柴田錬三郎、亀井勝一郎、阿川弘之、曽野綾子、安岡章太郎、平岩弓枝、瀬戸内晴美、水上勉、松本清張、小林秀雄、大岡昇平、等々。当時の第一線の作家(この顔ぶれを見れば「文学者」という言葉の方が正解かもしれない)は、ほぼ網羅されているのではないだろうか。柴田翔、江藤淳、書いていない第一線の作家で思い浮かぶのは、その程度だ。 これらの作家たちが、多くは会場で観戦し、真剣に観戦記を書いている。57年後に開催された、おととしの東京オリンピックでは、そのような試みがなされたとは聞いたことがない。オリンピックの意味合いと、位置づけ、役割が違うのだ。1964年の東京オリンピックは、国民の大部分が深い関心を寄せる国家的行事だったのだと思う。それに比べると、2021年の東京オリンピックは、もちろん、皆の関心は高かったが、やはり、楽しむべき「スポーツ大会」だったのだ。1964年は終戦から20年弱、サンフランシスコ講和条約から10年強、「もはや戦後ではない」の1956年の経済白書から10年弱、「これから日本は国際舞台に復帰します」という宣言だと、少なくとも主催者側である日本という国、また、日本国民は思っていたのだと思う。だから、この本に収められている作家の文章も、中に肩に力の入ったものが、見受けられるのだ。それはそれで、逆に新鮮な感じがした。
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1964年のオリンピックは文豪たちが評論を書いたことで有名で、「筆のオリンピック」とも呼ばれる。当時の評論から、オリンピックの実際を探る一冊。
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1964年の東京オリンピック開催時に各媒体で書かれた文学者によるエッセイ集。 作品のイメージとは異なる表現に新鮮な感動を覚える。
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東京オリンピックが開かれたとき僕はまだ産まれていない。 それでもいかに日本国民が熱狂したか知ってはいる。 それは小学生のときに町の公民館で観た市川崑監督の映画が脳裡に焼き付いているからかもしれない。 古い映画を見てもオリンピックは出て来たし、 小説を読んでもオリンピックは顔を出し...
東京オリンピックが開かれたとき僕はまだ産まれていない。 それでもいかに日本国民が熱狂したか知ってはいる。 それは小学生のときに町の公民館で観た市川崑監督の映画が脳裡に焼き付いているからかもしれない。 古い映画を見てもオリンピックは出て来たし、 小説を読んでもオリンピックは顔を出した。 いろいろな見方があっただろうが、敗戦後の日本が20年でオリンピックを開催したという事実は、とてつもないことだったと思う。 今日僕は一冊の本を買った。 『東京オリンピック 文学者が見た世紀の祭典』だ。 中野好夫・尾崎一雄・石川達三・小田実・堀口大學・亀井勝一郎・松本清張・石原慎太郎・武田泰淳・三島由紀夫・北杜夫・水上勉・井上靖・草野心平・檀一雄・村松剛・遠藤周作・大江健三郎・小林秀雄・佐藤春夫・大岡昇平・・・といった錚々たる文人たちが東京オリンピックをどのように見、書いたか。非常に興味深いルポルタージュ集となっている。 全体は大きく4つのテーマに分かれている。 一、開会式 二、競技 三、閉会式 四、随想 詩人や小説家が、目の前で繰り広げられる祭典をどのようにとらえるか、作品世界からは決して窺い知れない側面を発見するのが、このルポ集を読む目的のひとつになるだろう。あの小林秀雄がテレビ中継に夢中になっていたり、三島由紀夫が「何ものかから癒された」と解放感を吐露し、大江健三郎はロイヤルボックスをしきりに気にしているし、小田実はメダルに縁のない国と接触する・・・。面白い、右であれ左であれ、各自の根っこはものの見方にきちんと反映されていて、誰ひとり期待を裏切らない。
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