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生きる の商品レビュー

4.4

11件のお客様レビュー

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2024/02/24

感想 本能が残る。極限状態で最後に自分に残されるもの。生存に関係する欲は鋭敏になり、その他は捨てられる。そこにあるのは剥き出しの本能。

Posted byブクログ

2023/08/11

黒澤明映画『生きる』(1952年)を観た翌日に寄り道したブックオフで映画と同じタイトルの本を見つけたシンクロニティ。 激暑が若干緩んだ瞬間に暑さを乗り切ることに飽きてしまい、夏の終わりが始まる予感を感じとる。この予感が『生きる』というタイトルメッセージに共鳴したんだと思います。 ...

黒澤明映画『生きる』(1952年)を観た翌日に寄り道したブックオフで映画と同じタイトルの本を見つけたシンクロニティ。 激暑が若干緩んだ瞬間に暑さを乗り切ることに飽きてしまい、夏の終わりが始まる予感を感じとる。この予感が『生きる』というタイトルメッセージに共鳴したんだと思います。 日本はまだ負けてないと信じ30年間幻想の戦争を戦い抜いた小野田寛郎さん。その記憶の描写は年老いてから書いたとは思えないほど鮮やかです。 リアル浦島太郎の激白を聞くような感覚です。 愚直に『生きる』ことに戸惑いをなくせるヒントが詰まった本でした。

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2023/05/16

日本が太平洋戦争に負けたことを知らないまま、30年間もフィリピンのルバング島で作戦を遂行し続けた兵士の手記です。 人間の極限状態を垣間見た気持ちです。未だに信じられないです。

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2022/09/28

著者、小野田寛郎さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。 小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年〈大正11年〉3月19日 - 2014年〈平成26年〉1月16日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は予備陸軍少尉。旧制海南中学校・久留米第一陸...

著者、小野田寛郎さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。 小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年〈大正11年〉3月19日 - 2014年〈平成26年〉1月16日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は予備陸軍少尉。旧制海南中学校・久留米第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。 情報将校として太平洋戦争に従軍し遊撃戦(ゲリラ戦)を展開、第二次世界大戦終結から29年を経て、フィリピン・ルバング島から日本へ帰還した。 91歳にて、亡くなられています。 本作は、著者が亡くなる前年に書かれたものです。 で、本作の内容は、次のとおり。(コピペです) 昭和49年(1974)、フィリピンのルバング島から帰国した当時の著者をニュースで見た人も多いだろう。あれから39年、その後も著者は人知れず戦い続けていた。 帰国直後、「ルバング島での証人なき戦い」という言葉に発奮した著者は、自分の力を証明するため、新天地ブラジルで一から牧場の開拓を決意。その数年後には、日本の子供たちの現状を憂え、「自然塾」という体験キャンプを開始する。そして今、著者は成田空港より広い牧場に1800頭の肉牛を飼育し、自然塾で教育してきた子供はのべ2万人を超える。 著者は言う「今の日本人からはたくましさが消えた。平和ボケしている一方で、自殺や引きこもりなど人生を放棄する若者たち。これらはいずれも人間が本来持っている野性を失った結果だ」と。本書は、そうした著者の熱い思いを、自らの体験をまじえながら語る。極限状態の中で生き、戦い抜いた著者ならではの説得力に満ちた「人生の教訓」。

Posted byブクログ

2021/07/04
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

生きる力を学べる本 何かを成し遂げんとする人は、 己を知り、心身を整え計画し、万全を期す。 例え予想外のことにも、立ち向かう。 力強く生きる。

Posted byブクログ

2021/06/29

「自分の身は自分で守るしかない」こういう体験をされた方が言うと、ずっしりと重く心に響く。 コロナ禍でうわべだけの会見をしている政治家が甘く見える。 彼が今のこの状況を見たら何と言うだろう? 彼の言葉を借りると「日本人は平和ボケしている」かな。

Posted byブクログ

2019/10/14

小野田寛郎さんの本。名前は知っていたけどどんな人で帰国後は何をしてたかといった話はこれを読んで初めて知った。30年間をジャングルで過ごした小野田さんだからわかることってのがいろいろ書いてあって、その生命力の強さには驚嘆する。

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2019/05/05

筆者のリアルな体験を本にしていて、状況が想像しやすかったし、読めば読むほどのめり込んで行った。 いかに今の時代が恵まれているのか、いかに贅沢を言える時代か、思い知らされた。 人間一人の力なんか弱いと筆者はおっしゃられていた。自然も含めて全体で見たらそうだと思う。でも一個人としてみ...

筆者のリアルな体験を本にしていて、状況が想像しやすかったし、読めば読むほどのめり込んで行った。 いかに今の時代が恵まれているのか、いかに贅沢を言える時代か、思い知らされた。 人間一人の力なんか弱いと筆者はおっしゃられていた。自然も含めて全体で見たらそうだと思う。でも一個人としてみたらどんなに残虐で劣悪な環境にいても30年間乗り越えた筆者のエピソードを読んだらそう簡単には死なない人間の強さも感じられた。 どんなに小さなものでも目標があれば人間は頑張れる。自分で考え自分で決めて自分を信じることで強くなる。 これからの日本を支える1人として絶対に諦めない自分を信じ抜く強さを持ったそんな人間であろうと心から思った。

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2017/04/28

小野田さんのことは、帰還された当時のニュースを覚えている。その後はブラジルに渡られたこと、自然塾を開講されたこと、数年前に逝去されたこと、ぐらいは知っていた。 この本はかなり晩年に書かれたみたい。3/4ぐらいはルバング島での毎日が、驚くべき記憶力で詳しく再現されている。とはいえ...

小野田さんのことは、帰還された当時のニュースを覚えている。その後はブラジルに渡られたこと、自然塾を開講されたこと、数年前に逝去されたこと、ぐらいは知っていた。 この本はかなり晩年に書かれたみたい。3/4ぐらいはルバング島での毎日が、驚くべき記憶力で詳しく再現されている。とはいえ、伝わってくるんは、戦争の悲惨さを強調するというようなナイーブな雰囲気は一切なく、淡々とドライに日々の様子。前述のように小野田さんのことは来歴程度しか知らなかったと言えるが、なぜ30年も潜伏生活が続いたのか、あたかも理科の実験の教科書でも読んでいるようによく理解できた。 小野田さんのような経験をされた方が、戦後30年以上経った日本になじめなかったのは無理もない。しかし、そこで怠惰や無気力にならず、ブラジルに移住されて苦労の末、事業を成功させ、また、日本の子供たちのために自然塾を開講されたという行動力は本当にすごい。目の前にある現実を常にいったん受け入れ、その上で全力で生きる。ただ生きるだけでなく、そこには目的があり、信念をもって、目的の遂行に全能力を投入する。そういう生き方が、平和ボケをした今の日本人にどこまでできるかどうかは疑問だが、その考え方はとても大事だと思う。 小野田さんにとって、ルバング島では毎日が常に戦闘状態だった。すなわち、いつでも次の瞬間、死の可能性があった。しかし、作戦行動の遂行という目的があったために、30年という年月を、普通の社会から孤絶された壮絶な環境でありながら、生き続けられたのだと。 読んでいて、今、再発がんを抱えた自分の精神状態に通じるものがあると思った。もちろん、自分の場合は、そこまで近くに死が迫っているわけではないが、結構シビアな余命データは頭の隅で常に意識している。そして、がんを乗り越えるためには、目的を持つのは大事だと思っているし、今は、もう一度、そして今度こそ田舎暮らしを実現したい、という希望がある。そのために必要な努力はしっかりとする。つい弱気になったり、不安になってしまうことがしょっちゅうあるが、迷わないことが大事だと、もっと強く希望を持たないといけないんだな、と、小野田さんの言葉にとても勇気づけられた。

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2016/09/22

小野田寛郎 著「生きる」、2013.10発行です。1922.3に生まれ、1944.12から1974.3までフィリピン・ルバング島で任務解除の命令を受領するまで戦い続けた30年を記されています。著者91歳、帰国後1976年町枝夫人と結婚ブラジルに移住し、1年の半分がブラジル、半分が...

小野田寛郎 著「生きる」、2013.10発行です。1922.3に生まれ、1944.12から1974.3までフィリピン・ルバング島で任務解除の命令を受領するまで戦い続けた30年を記されています。著者91歳、帰国後1976年町枝夫人と結婚ブラジルに移住し、1年の半分がブラジル、半分が日本の暮らしだそうです。①負けてたまるかの気持ちがなければ何事も成就しない②全力をあげない限り人を納得させることはできない③健康が宝、最大の武器 日本に帰国した時のお母様の句「陰膳も果てとなりけり梅の花」お喜びが偲ばれます!

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