大衆めし激動の戦後史 の商品レビュー
和食(日本料理)がユネスコ文化遺産に登録されて、一盛り上がりあったのが数年前の話だが、日本料理ほど日本の食文化から乖離した料理はない、というのが著者の主張。たしかにいまどき日本料理なんて温泉旅館くらいでしか食べないし、そもそもが酒肴であって、がっつり米を食べるためのおかずではない...
和食(日本料理)がユネスコ文化遺産に登録されて、一盛り上がりあったのが数年前の話だが、日本料理ほど日本の食文化から乖離した料理はない、というのが著者の主張。たしかにいまどき日本料理なんて温泉旅館くらいでしか食べないし、そもそもが酒肴であって、がっつり米を食べるためのおかずではない。 タイトルにある「大衆めし」とは、またの名を生活料理。つまり日本人が日常で毎日たべる食事のことだ。レトルト食品や冷凍食品の開発、食の国際化、外食産業の発達などによって生活料理は変化し続けるが、一時的なブームや他の人がつけた星の数に踊らされず、自分にとっての美食「自分のめし」を持つことが本当の豊かさであると説く。 中身は面白いし、リファレンスされている本も多くて役に立つのだが、もう少し内容を系統立てて本にしていただけると助かる。編集者は仕事しろ。
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「家庭料理という戦場」からたどり着きました。著者の本は「大衆食堂パラダイス!」に続いての2冊目ですが、相変わらず主語「おれ」が食について熱い思いを語りまくっています。その人称を選んでいる時点で極私的な視点なのですが、超プライベート毎日の食生活から照射する戦後史は、政治や文化で語る...
「家庭料理という戦場」からたどり着きました。著者の本は「大衆食堂パラダイス!」に続いての2冊目ですが、相変わらず主語「おれ」が食について熱い思いを語りまくっています。その人称を選んでいる時点で極私的な視点なのですが、超プライベート毎日の食生活から照射する戦後史は、政治や文化で語るモノより明確な納得感があります。ただ著者「おれ」にとっては「大衆めし」というテーマは「家庭料理」「生活料理」「おかず」「素人料理」というように言葉によって少しづつ中心点を変えていて、また内食、外食、中食と形態も多様性と拡げつつ、漠然とした広大な領域を包含しているのが現状だと思います。そういう意味では「おれ」という主語ほどキレがいい議論にはなっていないと思いました。極めてこだわっているのは「日本料理」という料亭をメインステージとする権威の体系への反発。今年2月に亡くなったラブおばさん、城戸崎愛先生の追悼番組で本書にも登場するNHK「きょうの料理」の元ディレクターの河村秋子さんは「プロのホテルのシェフとかだとまったく妥協を許さぬレシピって感じだったけど城戸崎先生はそれとはちょっと違うスタンスで身近な感じで家でつくれるように少しアレンジしていらしたのかな…それが時代とも合ってたんですかね…家で少しでもおいしいものをつくりたいという気運があって、まだそんなに外に主婦がランチに行けない時代だったから家でそういうものができるのなら飛びつく、なんか新風を吹き込んだようなフラッシュな感じがしたんですかね」と語ってました。本書の副題にある「いいモノ」の民主化が激しい勢いでなされた後、「生活料理」のこれからは、どうなるか?大衆という言葉が死後になり、家族というユニットが分解され、それでもひとりひとりに生活がある時の食のカタチはどうなるのでしょうか、まだまだ変化しそう!先ずは魚肉ソーセージとキャベツ炒めもの作ってみるかな!
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ところどころ著者の問題意識に共感できるし、ところどころよくわからない。 日本料理の二重性はよくわかったけど、それが問題なのかな?あと「敗北」とは何をもって敗北なんだろう? うどんとかいった「大衆料理」って、「日本料理」の人がさげすんでいる?そうかな?現実を全く知らないけど、それっ...
ところどころ著者の問題意識に共感できるし、ところどころよくわからない。 日本料理の二重性はよくわかったけど、それが問題なのかな?あと「敗北」とは何をもって敗北なんだろう? うどんとかいった「大衆料理」って、「日本料理」の人がさげすんでいる?そうかな?現実を全く知らないけど、それってずいぶん昔の話のような気もする。(いや、ほんとに気がするだけなのだが)。 てな感じで、なんちゅうか、愛憎入り混じる読後感。
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野菜炒めを夜に作ろうと思った。 ソーセージの所とかまったく知らなかったなあ、食と生活は時代と共に様々な要因で変化していることを気づかされる。 祖父母が若い頃にどんな料理を食べていたのか、実家の隣近所がなにを食べていたのか、確かにわからない。
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俺様的表現(本文では「おれ」と開いているが)が、ちょっと気になるのだけど、それを気にすると先に進めない。「めしの仕事に関わってきたおれ」が見る、生活料理とはなんぞや、日本料理と何が違うのだ、という話。 さて、料理というのがどのように「生活」であるかを語っているわけだけど、パンはフ...
俺様的表現(本文では「おれ」と開いているが)が、ちょっと気になるのだけど、それを気にすると先に進めない。「めしの仕事に関わってきたおれ」が見る、生活料理とはなんぞや、日本料理と何が違うのだ、という話。 さて、料理というのがどのように「生活」であるかを語っているわけだけど、パンはファンタジーだと断じるところが僕には大変気に入った。パンはお菓子だと、僕も思う。しかしパンはもう新参者ではなくて、日本のめし文化の固有になっている、と。ファッションから広がったものがやがて生活になる。めし以外でもそうなのかな。 著者は生活を取り巻く人びとの関係についてだいぶ不満があるようで、あとがきにそれが噴出している。僕も概ね似たようなことを考えているけれど、そう言われても、と我ながら思ったりする。
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世界遺産までなった日本料理。 素晴らしさを認めつつも、その日本料理と生活料理の違いを 野菜炒めを例にあげて解説。 大切なことは、普段の食事をいかに美味しく食べられるか。 (そのための知恵は必要、ただ気にしないで食べればよいという わけではありません)。 ここの部分の補足解説でと...
世界遺産までなった日本料理。 素晴らしさを認めつつも、その日本料理と生活料理の違いを 野菜炒めを例にあげて解説。 大切なことは、普段の食事をいかに美味しく食べられるか。 (そのための知恵は必要、ただ気にしないで食べればよいという わけではありません)。 ここの部分の補足解説でとりあげている「包丁人味平」(懐かしい!)の 会話もいいですよ。 ただし、このタイトルと遠藤さんなのだから、もっともっと 大衆めし(=大衆食堂)に話をふってもよかったかな。 持論の熱弁に、力を入れすぎている感じ。
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いわゆる料理屋料理としての日本料理と大衆料理を明確に区別したうえでの食文化考。視点・論点が多岐にわたりまとまりに欠ける気もするが大いに示唆に富む内容となっている。 実生活や趣味に対して凝精神的な意味を追及するのは、ある種人間の宿命と思える。料理や食事にとっても例外ではなく、精神を...
いわゆる料理屋料理としての日本料理と大衆料理を明確に区別したうえでの食文化考。視点・論点が多岐にわたりまとまりに欠ける気もするが大いに示唆に富む内容となっている。 実生活や趣味に対して凝精神的な意味を追及するのは、ある種人間の宿命と思える。料理や食事にとっても例外ではなく、精神を突き詰め権威を作り始めた料理界やグルメ界に対しだいぶ批判的な本書。ちょいとハードボイルドな筆致が過激であるが内容は概ね納得いく。結局料理は手元にあるものを可能な方法でいかにおいしく食べるかが究極であり、あまり窮屈になってもしょうがない。素人料理おおいに結構、と自己正当化が捗る内容。
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≪目次≫ まえがき 「いいモノ」食ってりゃ幸せか 第1章 激動の70年代初頭、愛しの魚肉ソーセージは 第2章 クックレスの激動 第3章 米とパン、ワインとチーズの激動 第4章 激動のなか「日本料理」はどうだったのか 第5章 さらに日本料理、食文化本とグルメと生活 第6...
≪目次≫ まえがき 「いいモノ」食ってりゃ幸せか 第1章 激動の70年代初頭、愛しの魚肉ソーセージは 第2章 クックレスの激動 第3章 米とパン、ワインとチーズの激動 第4章 激動のなか「日本料理」はどうだったのか 第5章 さらに日本料理、食文化本とグルメと生活 第6章 生活料理と「野菜炒め」考 第7章 激動する世界と生活料理の位置 あとがき 大衆食堂のめしはなぜうまいか ≪内容≫ 大衆食堂考かと思えば、われわれの食世界の変化と生活料理についての本。 日本料理と生活料理(家庭料理)の違いって、考えたこともなかったが。著者の言う通り、日本料理は日本の家庭料理とははるかに乖離し、われわれの日々の生活では日本料理はかんけいのないものになってる。一方日本料理界というかたとえば料理人のレシピ本(料理人ではなくても)は、毎日は作れそうもない料理を紹介している。だから、ちょびっとしか出ない、「懐石料理」なんて、「これだけ?」と感じながらも、妙にありがたがってみたりする。矛盾だ。著者の友人の江原氏のように「それは違うよね」っていうのがいいのかもしれない。
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第1章の魚肉ソーセージについての考察に期待していたのですが、いまいち。ククレカレーはクックレスカレーの略なんだって。
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