サードプレイス の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
5. 関係のない人どうしが関わり合う「もう一つのわが家」 17. サードプレイスの一番大切な機能は、近隣住民を団結させる機能 18. サードプレイスはいわば「ミキサー」なのだ 25. 人がサードプレイスに何度でも戻ってきたくなる基本的な動機は楽しさである 27. アメリカ人はヨーロッパ人の三倍から四倍の時間を買い物に費やすが、その違いのほとんどではないにしても多くは、ほかに選択肢がないことと関係がある 30. サードプレイスはオフィスの代わりになりうる。ある種の取引は、当事者のどちらか一方の「ホームグラウンド」ではなく、どこかの中立的ない場でおこなうほうがいい。しかもなるべくなら居心地がよくて、堅苦しくない場所だ 42. 「人はある場所で働き、別の場所で眠り、ほかのどこかで買い物をし、楽しみや仲間たちの見つかるところで見つけ、これらのどの場所にも関心を払わない」 49. アメリカでは街なかで消費される飲み物全体のうち、ビールや蒸留酒が占める割合は、1940年代の約90%から現在は約30%まで落ち込んだ 51. 世論は「ストレスの原因は社会にあるが、その治療は個人で対処するもの」 54. コーヒーブレイクは単なる休憩時間にとどまらない。身体を休めるよりも、他人とのなごやかな触れ合いに利用されるのだ。このような「小休止(タイムアウト)」の範囲が拡大される 57. サードプレイスが、家庭や職場と同じく一つの独特な場所であることが重要 60. 産業化以前、ファーストプレイスとセカンドプレイスは一つだった。産業化は、居住地から仕事場を切り離し、家庭から生産性の高い仕事を奪い去り、それを距離的にも倫理的にも精神的にも家庭生活から遠ざけた 65. サードプレイスという、ストレスや孤独や疎外感に効く「庶民の治療薬」 67. 「人は、互いに相手から身を守る何らかの手段をもっているときにしか社交的になれない」 by社会学者リチャード・セネッソ 67. ジェイン・ジェイコブズ(米作家、都市計画評論家)は、おおかたの友情につきものの矛盾と、結果として生じるそのための場を提供する必要性について力説している。彼女によれば、意義のある有益で楽しいつきあいができる相手だけれども「自分の身辺には立ち入ってほしくないし、先方も自分に対してそう思っている」ような人が、都市にはごまんといるという。もし友だちづきあいなどの気楽な交際が、自分の私生活に入ってきてもかまわない人だけに限られたら、その都市は本来の役目を果たさなくなる。私たちに豊かで多様な交流を提供するには、人の集まってくる「中立な領域」がなければならない 71. 平等化は、日常の世界での地位が高い人にとっても低い人にとっても、喜びであり安らぎである 79. 人は大きな騒音にさらされると飲酒の量も速さも増す傾向にある 82. サードプレイスへの行きやすさの重要性が浮き彫りになる。サードプレイスが生き残って役目を果たすには、それらの利用が容易でなければならず、サードプレイスを訪れるのが容易かどうかは、時間と場所の両方の問題である 83. サードプレイスは、人がよそで義務をこなす前であれ、合間であれ、後であれ、社交や気晴らしをしたいときにいつでもその要求に応える用意ができていなければならない 83. 店の立場から見ると、客の来る時刻も帰る時刻もまちまちだし、そのときどきで顔ぶれが違う。そういうわけだから、サードプレイスの活動は、たいてい無計画で、予定外で、組織のまとまりがなく、型にはまらない。しかし、ここにこそ魅力がある。中級階級の組織志向からの脱却が、サードプレイスに大きな特徴と魅力を与え、家庭や職場のルーティンから完全な離脱を可能にする 92. 家(home)という言葉の1「家族の住み処」と2「同居している家族によって形成される社会単位」にも当たらない。しかし、3「快適な環境」は、平均的な住宅よりも、平均的なサードプレイスのほうが当てはまりそうだ
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スターバックスコーヒーをはじめ、さまざまな場面で目にする「サードプレイス」という言葉だが、その原点とも言えるのが本書である。一般的にサードプレイスというと、自宅と職場に次ぐ第三の場所という程度の意味で用いられる事が多い(スタバが代表例)。 しかし本書を読むと、本書の言うサー...
スターバックスコーヒーをはじめ、さまざまな場面で目にする「サードプレイス」という言葉だが、その原点とも言えるのが本書である。一般的にサードプレイスというと、自宅と職場に次ぐ第三の場所という程度の意味で用いられる事が多い(スタバが代表例)。 しかし本書を読むと、本書の言うサードプレイスは、コミュニティの拠点となる場所のことであり、そこにはメンバーの多様性(社会階層を問わない)や定期性(その場きりではない)がある。ここが懐古主義と言われたりもする理由だと思うのだが、本書の問題意識はあくまでも失われゆくコミュニティを取り戻すことなのだ。こんにち一般に言われるサードプレイスは、著者が「見せかけのサードプレイス」と批判する「BYOD(Bring Your Own Friends : 友達を連れてきてね)のカフェ」のほうが近いだろう。 本書を読んだ感想、サードプレイス再興の道のりは遠いな……というのが第一感である。サードプレイスを謳う場所であっても、結局は内輪だけで多様性がなく閉鎖的だったり、定期性がないただのカフェになっていたり、という例の方が多いはずだ。けれども、もしかすると、本書が例示する場所がいずれもそうであるように、サードプレイスを名乗っていないどこかに、本当のサードプレイスが存在するのかもしれない。
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ここで書かれるサードプレイスは探してる場所と少し違うけど、それほど親密でない自分の趣味嗜好と違う人の集まる場所だからこそ自分にないものを提示される意外性があるっておもしろいと思いました。
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サードプレイスの概念について学ぶことができる。 事例が多く、その中から、該当しないものについても把握できる。
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郊外に一軒家を建てて休みの日は家族でショッピングモールにドライブへ、といったような生活が当たり前になっていくことへの危機感を強く感じる書。 アメリカをはじめ産業化が進んだ地域では、家庭や仕事場での役割から解放されて色々な人とたくさんの話ができる場が失われているという。ここで提示さ...
郊外に一軒家を建てて休みの日は家族でショッピングモールにドライブへ、といったような生活が当たり前になっていくことへの危機感を強く感じる書。 アメリカをはじめ産業化が進んだ地域では、家庭や仕事場での役割から解放されて色々な人とたくさんの話ができる場が失われているという。ここで提示される居酒屋やカフェでは、経済的階級を超えて雄弁に人々が語り合える素晴らしい場であるようだ。 ただ、ここで著者が想定する失われつつある場(サードプレイス)の姿は、解説にもある通り非常にノスタルジックで、ジェンダーやエスニシティ的な観点からはあまり心地の良い場とは言えない。「昔は良かったよな…」から始まる忘年会大好きな上司の話を聞いている気分になる。 しかし、形のない「場」に注目する視点は、とても重要でありながら書くのが難しい主題であるようにも思う。この点に着目した本書が現在でも書店に並んでいるのには、納得がいく。
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「サードプレイス」という言葉自体はよく聞きますが、自分の職場と家庭から離れて過ごすことができるという位置付けで捉えていました。 この本における、「サードプレイス」とは、単なる場所のことではなく、そこに集まった人たちが、互いに会話をしたり、意見を言い合ったりするコミュニケーショ...
「サードプレイス」という言葉自体はよく聞きますが、自分の職場と家庭から離れて過ごすことができるという位置付けで捉えていました。 この本における、「サードプレイス」とは、単なる場所のことではなく、そこに集まった人たちが、互いに会話をしたり、意見を言い合ったりするコミュニケーションの場であって、すなわち全てのカフェや居酒屋がサードプレイスではないということでした。 こうした「サードプレイス」はこの本が書かれている当時でも減っていると嘆かれておりましたが、コロナ禍においては、もはや壊滅状態なのかもしれません。 もちろん、場としてのサードプレイスはZoomやTeamsなどのオンラインにあるのかもしれませんが、そこは一定の閉鎖性があり、必ずしもふらっと立ち寄ることができるものではないのが現実です。 ついでに何となくではなく、話すことそれ自体が目的となってしまうオンラインの場では、もはや「サードプレイス」的な、分野も異なる知らない人同士が偶然集まるということは、不可能ではないにしても以前よりも難しくなってきているのかもしれません。 よいコミュニティ、悪いコミュニティという基準はありませんが、今いる場から別の場へ移動する手段、それも自分の好きなことばかり集まったフィルターバブルではなく、本当の意味での多様性を受け入れる場所。そうした場所が減りつつある今が、果たして正しいのかどうか。そうしたことを考えるきっかけになるいい本だと思います。
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文体が難しすぎたのでイントロと解説だけ… アメリカは郊外の国になった。 人々は都市部と田舎の両方から移住し、 快適で十分に蓄えのある家を持つこと、 不愉快な交流や市民ときての義務からの解放を 目指し、成功した。 その結果、歩くこと、話すことが排除され 歩いて行くところ、人の集...
文体が難しすぎたのでイントロと解説だけ… アメリカは郊外の国になった。 人々は都市部と田舎の両方から移住し、 快適で十分に蓄えのある家を持つこと、 不愉快な交流や市民ときての義務からの解放を 目指し、成功した。 その結果、歩くこと、話すことが排除され 歩いて行くところ、人の集まる場がない。 サードプレイス(とびきり居心地の良い場所、インフォーマルな公共の集いの場、あらゆる人を受け入れて地元密着である場所)が欠如している。 以前は、郵便局、ドラッグストアなどに人が集まり、お互いに挨拶し、いざというときに助け合えるコミュニティがあった。 この状況は日本でも一緒だよね。 解説では、日本のサードプレイスとは?という話。 喫茶店、居酒屋、銭湯などが挙げられていた。 アフロ記者さんの本でも書かれていたけれど、 近所にふらっと寄れるカフェや銭湯があり 常連さんやお店の方と ゆるやかな交流が持てることは宝だよな。
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レイ・オルデンバーグ『サードプレイス』読了。 家庭、職場に次ぐ第3の居場所としての居酒屋などの「たまり場」におけるインフォーマルな交流の重要性を説く。 初版が1989年ということを差し引いたとしても、多分に懐古主義が過ぎるのと古臭いジェンダー観が鼻につくけれど、30年前に著者が案...
レイ・オルデンバーグ『サードプレイス』読了。 家庭、職場に次ぐ第3の居場所としての居酒屋などの「たまり場」におけるインフォーマルな交流の重要性を説く。 初版が1989年ということを差し引いたとしても、多分に懐古主義が過ぎるのと古臭いジェンダー観が鼻につくけれど、30年前に著者が案じた郊外の「浄化された」住宅地で交流を絶たれた米国社会の行く末が、今日の大統領選における混乱と分断であるというのなら、その懸念と主張の妥当性が立証されたと言えるのでは。 現代日本社会もショッピングモールやチェーン店に大いに依存し、インフォーマルな社交の場を排除しているという点で決して他人事ではないが…
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分厚いので、パラパラと斜め読み サードプレイス的な場所を自分から整えたいと思い、手に取りました。 サードプレイスと呼ばれるものの魅力とはどこにあるのか?個々人にどんな働きがあるのだろう?そんな疑問を持ちながら読むととても楽しく読めました。 ただこうしたら理想のサードプレイスが...
分厚いので、パラパラと斜め読み サードプレイス的な場所を自分から整えたいと思い、手に取りました。 サードプレイスと呼ばれるものの魅力とはどこにあるのか?個々人にどんな働きがあるのだろう?そんな疑問を持ちながら読むととても楽しく読めました。 ただこうしたら理想のサードプレイスが作れます!といった記述は(私には)読み取れなかったので、自分で模索する必要があるかと思います。 ぼんやり感じていた、「どうしてサードプレイスは心地が良いのか」について深く考える、知識を得るにはぴったりの本だと思いました。
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この本でいう自宅、職場、に次ぐ第三の場所としての居酒屋や図書館、カフェなどに行くことができない日々が続いています。コロナにより在宅勤務が増え、セカンドプレイスがなくなるとサードプレイスが繰り上がるのだろうか?なんて下らないことを考えていました。コロナ禍のいまだからこそ、相対的に重...
この本でいう自宅、職場、に次ぐ第三の場所としての居酒屋や図書館、カフェなどに行くことができない日々が続いています。コロナにより在宅勤務が増え、セカンドプレイスがなくなるとサードプレイスが繰り上がるのだろうか?なんて下らないことを考えていました。コロナ禍のいまだからこそ、相対的に重要性が増しているサードプレイスの良さについて考えるいい機会なのではないでしょうか。
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