若き日の哀しみ の商品レビュー
はかなくも美しい抒情と、遠くに霞ませておきたいのだけど確実にそこにあることを意識せずにはいられない戦争の影
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※このレビューにはネタバレを含みます
ユダヤ人を父に持つ作者の、第二次大戦中過ごした少年時代の話をベースにした短編集。後半二編をのぞいて、作中の文章は直接的な表現ではなく隠喩を用いて当時の有様が表現されているらしいのですが… 個人的にはそれが非常に読みづらく感じられ、読み進めることが非常に辛かったです。話の意図が分からず、ただ登場人物が動いているだけの内容にしか感じられなく、退屈なだけというのが正直な感想。 やさしい表現に隠された真実に気づくことのできる「注意深い読者」であれば、その意図を感じ取れ、感動しながら読むことができるのかもしれません。残念なことに、そこをがんばって読み取ろうと思いたくなるようなモチベーションをかき立てられることもなかったため、淡々と活字を視線でなぞる作業を続けていくだけでした。 しかし後半「ビロードのアルバムから」以降はなぜか突然表現が直接的でわかりやすくなります。それもあり「ビロードの〜」と「少年と犬」、特に後者は非常に心に響きました。書店のポップでも「少年と犬は泣ける」とありましたが、これは確かに涙腺を刺激されます。前半、退屈さに耐えながらもアンディ少年と愛犬ディンゴの姿を見てきた(読んできた)からこその感動(哀しみ)なのでしょうか… 前半と後半が相殺関係にあるように思えますが、後半が良かったため読後感はそう悪くないものでした。切ない気持ちになってしまい、ちょっと辛いですが…
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・ダニロ・キシュ「若き日の哀しみ」(創元ライブラリ)を 読んだ。このキシュといふ作家の名前を聞いたことはあつた。ただそれだけである。名前を知つてゐてもそれ以上は知らない。どこの国のいつの時代の作家か、 作風は、性別は……何も知らないのである。文庫版「若き日の哀しみ」の帯の中央にこ...
・ダニロ・キシュ「若き日の哀しみ」(創元ライブラリ)を 読んだ。このキシュといふ作家の名前を聞いたことはあつた。ただそれだけである。名前を知つてゐてもそれ以上は知らない。どこの国のいつの時代の作家か、 作風は、性別は……何も知らないのである。文庫版「若き日の哀しみ」の帯の中央にこんなコピーがある、「これほど悲しく美しい物語があっただろうか?」。 その横に少し小さく、「犬と悲しい別れをするアンディ少年はあなた自身でもあるのです。」ともある。私は中央のコピーにつられて買つたのだが、犬好きの人 ならば、後のコピーで本書を買ふ気になるかもしれない。そんな見事な(?)コピーの書……。 ・本書を少しばかり読んでサローヤンとブラッドベリを思ひ出した。「我が名はアラム」のサローヤンと「たんぽぽのお酒」のブラッドベリである。いづれも有 名作家の有名作、代表作、少年が主人公の、古き良き時代への郷愁にあふれた物語である。これらにも先のコピーは、たぶん、使へる。美しいといふ言葉だけをとれば、キシュはむしろ2人に劣るのではないかとさへ思ふ。サローヤンもブラッドベリも米国の子供である。それもキシュより古い。サローヤンの最初の邦訳 は真珠湾攻撃の直前であつたといふ。ブラッドベリも終戦後には作家活動を始めてゐる。2人の少年時代は第二次世界大戦とは無縁であつた。キシュは'35に セルビアに生まれた。ヒトラーの台頭と第二次世界大戦を横目に見ながら育つた。しかも父はユダヤ人であつたから、必然的に迫害から逃れる生活を強ひられ る。少年キシュは正に時代の子であつた。キシュ自身はセルビア正教徒であつたために迫害されることはなかつたが、それでもそんな時代に翻弄された子供であつた。「若き日の哀しみ」もそんな時代を描く。米国の2人とは時代が違ふのである。しかし、その叙情的な雰囲気は共通する。子供時代への郷愁の為せる業かもしれない。作家の資質でもあらう。ただ、そんな時代を背景にしてゐるだけあつて、描かれる情景には,月並みな言ひ方だが、どこかに影がある。米国の2人 にはかういふ時代の影はない。例へばこんなのがある。「それはさ、今からちょうど四年前、ブカレストだったね。その男はね、兄さん、日本の重工業大臣だっ たよ。」(「遠くからきた男」143頁)兄さんと呼ばれてゐるのが主人公のアンディ少年、つまり作者の分身で、引用は、父の行方を尋ねた答として、その「遠くからきた男」が話した言葉の最後の部分である。本書中で日本が出てくるのはここだけ、この少し前には「従兄弟たちが強制収容所に連れて行かれたままなので」(同142頁)といふ記述もあるから、少し考へれば枢軸国関連で出てくるのだらうと見当つく。これなどは見当つくだけにかなり直接的な書き方である。実際はさうでない描写の方が多い。巻頭の「秋になって、風が吹きはじめると」などは美しき叙情、少年時代への郷愁の典型であらう。それでもここには肺 血症になつて子供が死ぬなどどともある。掌編と言ふべき作品をも含むこの短篇集、「悲しく美しい物語」であることはまちがひない。それも上質のである。ただ「これほど」と言へるかどうか。最後から二番目の「少年と犬」でアンディと飼ひ犬の別れがある。ごく簡単にいへば、その犬は飼ひ主との別れ難さゆゑに、 飼ひ主の目前でぶち殺されたのである。その直前にアンディは犬に、「人生はこうしたものだ云々」と語る……一種のアイロニーである。ここに至つて、キシュ は米国の2人とその時代だけでなく資質も違ふと知れる。ユーゴスラビアの作家だからねとも思ふ。多民族でも質が違ふのである。おもしろい。
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ユーゴスラヴィアの作家が幼少期の思い出をもとに綴った散文。ユダヤ人である父の受けたひどい仕打ち、近所の少女との淡い恋、仲良しだった犬との別れ、哀しくて懐かしい個人的な記憶が詩的に綴られた美しい文章。翻訳もすばらしい。
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ユーゴスラビアの作家、ダニロ・キシュの自伝的短篇集。 静謐で繊細な文章で綴られる日常と、戦争の落とす暗い影が対照的だった。『哀しみ』という表題が相応しい。『悲しみ』ではないのだ。
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少年、家族、犬、今はもうない町並み、戦争の影…と、どうしてもかなしさがにじみ出てくる。かなしくってしょうがない。 「マロニエの通り」が好きだった。
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