消しゴム の商品レビュー
んーミステリーとして読むと消化不良になる気がする。客観的な筆致や意味があるような無いような細かい描写は嫌いじゃない。プロットが複雑になる後半は、さすがに時系列に混乱。そういう意味でヴァラスとともに不可解な体験ができたと思う。読書体験としては悪くない。
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世の中「かっこ良ければ全てがオッケーで、後はまあ」みたいな物が沢山あって、要するにだねー、何を選ぶことにより人それぞれの生きるセンスに直結してしまったりするんですが、うちの姉だったらキンプリ(ジャニーズ)で、自分だったらこの作者が作ったヌーベルバーグ映画なんかと思うんですけども。...
世の中「かっこ良ければ全てがオッケーで、後はまあ」みたいな物が沢山あって、要するにだねー、何を選ぶことにより人それぞれの生きるセンスに直結してしまったりするんですが、うちの姉だったらキンプリ(ジャニーズ)で、自分だったらこの作者が作ったヌーベルバーグ映画なんかと思うんですけども。物事は全てが多方向に存在してるから、人はやいのやいの言う。だが、もう皆年寄りになったことだし、もう全てを肯定して生きよう。何一つ心を動かされなくとも、キンプリかっこいい。それだけ言うとけ。後は考えるな。
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ヌーヴォー・ロマンの旗手、ロブ=グリエの代表作。殺人事件発生の報せを受けて運河の街にやってきた捜査官ヴァラス。しかし肝心の遺体も犯人も見当たらず、人々の曖昧な証言に右往左往する始末。事件の結末は宿命的とも言える形で終わりを迎える。微妙に変化させた同じようなシーンを意図的に入れたり...
ヌーヴォー・ロマンの旗手、ロブ=グリエの代表作。殺人事件発生の報せを受けて運河の街にやってきた捜査官ヴァラス。しかし肝心の遺体も犯人も見当たらず、人々の曖昧な証言に右往左往する始末。事件の結末は宿命的とも言える形で終わりを迎える。微妙に変化させた同じようなシーンを意図的に入れたり、やたら細部を緻密に描いたり、回想、妄想が入り組みながら、時間経過が混乱することなく読ませてしまう力量は流石。冒頭と結末の時刻が同じというのがこの物語のポイントで、ここに描かれた物語が24時間の出来事というのが解ります。読んでいる間、モノクロの映画、或いはウォーホルの絵のようにずらりと並んだモノクロ写真を見ているようでした。
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一人の男が殺されたため、事件現場にやってきた特別捜査官のヴァラス。しかし殺人事件の有力な証言者もおらず、中央の関係機関が死体を持ち去ってしまったため、死体すら調べることができない。翻弄されるがままのヴァラスが書かれる。 冒頭には、「すべてを見張る時間が、お前の意に染まぬ解答を出し...
一人の男が殺されたため、事件現場にやってきた特別捜査官のヴァラス。しかし殺人事件の有力な証言者もおらず、中央の関係機関が死体を持ち去ってしまったため、死体すら調べることができない。翻弄されるがままのヴァラスが書かれる。 冒頭には、「すべてを見張る時間が、お前の意に染まぬ解答を出した。」とあり、この冒頭のとおりのよくできた小説だと思う。 作中のヴァラスが探し続けて、結局得ることのない製図用の消しゴムというモノの役割についても効果的に感じる。 面白いけど、ちゃんと自分が小説の技巧を理解しているか心配になる。
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諸々の言説は置いておいて、サスペンスとして面白い。冒頭が顕著だが、一読しただけでは物語の筋を追うのに不適切な構成を取っている。カフェ・テ・ザリエ、マスターの描写ではじまり、散逸された対物描写の隙間に、物語的本筋が隠されている。その壁を乗り越えると、何故彼はそうしたのか?あれはなん...
諸々の言説は置いておいて、サスペンスとして面白い。冒頭が顕著だが、一読しただけでは物語の筋を追うのに不適切な構成を取っている。カフェ・テ・ザリエ、マスターの描写ではじまり、散逸された対物描写の隙間に、物語的本筋が隠されている。その壁を乗り越えると、何故彼はそうしたのか?あれはなんであったのか?などの謎に出会う。しかし、その謎が綺麗に解き明かされることは無い
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往来堂書店「D坂文庫2015春」からの一冊。 選者の「初期のオースターが好きな方は是非」というコメントを見て迷わず手にした。そして、内容はそのコメント通り。と言うか、この作品がなければオースターのNY三部作はなかった、と言える内容。 寒い冬、自転車、跳ね橋、路面電車、運河…丁寧に...
往来堂書店「D坂文庫2015春」からの一冊。 選者の「初期のオースターが好きな方は是非」というコメントを見て迷わず手にした。そして、内容はそのコメント通り。と言うか、この作品がなければオースターのNY三部作はなかった、と言える内容。 寒い冬、自転車、跳ね橋、路面電車、運河…丁寧に綴られたこの街が何ともいい雰囲気を醸しだしている。そして、ある事件の犯人を追ってその街をひたすら歩く捜査官。ミステリーの要素ももちろんふんだんなのだが、その街の描写と、捜査官の揺れ動く心と行動の描写が、本書をミステリーの枠から飛び出させている。 冒頭の選者のコメント通り、オースターの初期作品が好きならば必ずや満足を覚える一冊。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
『柔らかく、軽く、もろい消しゴムで、こすっても変形せず、しかし、消しかすは埃のように 細かく、さらに簡単に割ることができて、その割れ目が真珠の貝殻のようになめらかに 輝くもの。友人の家で数か月前に一度見たことがあったが、友人はそれをどこで手に入れたか覚えていなかった。ヴァラスは似たものを容易に手に入れることができると思っていたが、それ以来、いくら探しても見つからない。一辺が二、三センチの黄色っぽい立方体で、各は―たぶん使用したせいで―わずかに丸くなっている。一つの面に製造会社の商標が記されていたが、消えかかって、良く読めなかった。ただ、真ん中のふたつの文字、「di」だけは判読できた。』 『「ほんとにねえ、なんてことでしょう!」 しかし、老女の声は大きすぎて、衝撃に沈んでいるというより、演劇の舞台でへたくそな感嘆の叫びをあげているように響いた。そうするとずらりと並んだ鍋は壁に書かれた書き割りのように見えてきた。もはやダニエル・デュポンの死はマネキン人形が議論しあう抽象的な出来事にすぎない。 「あの人は死んだんですよね?」がなり立てるような家政婦の声はあまりに勢いが強く、ヴァラスは椅子を数センチ後ろにずらしたほどだ。』 意味がわからず、1日かけて2回目読破。描写が長すぎて、場面の中心が誰なのか、自分が今どこにいるのか理解できない。2度読むと、まるで別の本を読んでいるかのように読みやすかったのだが、しかし、ぼんやりとしか輪郭はつかめなかった。 月曜日の19:30に殺されたはずのデュポン、しかし本当は死んでおらず、自らの安全のため?に死んだことにして行方をくらます。刑事ヴァラスは必死に迷いやすい街で犯人を追い求める。 しかし、目撃者はみな、犯人はヴァラスと見間違うくらい似ていると言う。 実際、なぞなぞ好きな酔っ払いなどは、酒場に入ってきたヴァラスを初対面にも関わらず、夕べ会ったと言い張る。 ・・・そして運命の瞬間、デュポンが殺されたはずの月曜日の19:30からきっかり24時間後、他ならぬヴァラス自身が誤ってデュポンを殺すはめになる。酔っぱらいは夕べの晩、ヴァラス(犯人)に絡んだが無視され、しつこく追いかけたと証言していたのだが、ヴァラス自身が運命の瞬間に向けてデュポン邸に向かうとき、24時間前とまるっきり同じように絡まれているところが絶妙。 ヴァラスの時計はずっと19:30で止まっているが、運命の瞬間から再び動き出す。 時系列のトリックでもなく、幻想小説でもない、ただ、それが起きただけ、ということ。 安部公房の好きだった本と聞いて、読んでみたが、すぐに「燃えつきた地図」がこの作品の影響を受けているのだとわかった。 2回読んでも完全には理解できなかったが、ヌーヴォー・ロマン、新しい小説の試みと言われ、多くの小説に影響を与えた、新ジャンル開拓、ということはわかったので、2回読んで良かったと思う。本当はどんな小説も2回くらいは読むべきなのかもしれない・・・。でもそれだと一生に読める本が半分に減ってしまうし・・・。
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『覗くひと』より数倍読みやすい。 ヌーヴォーロマンの先駆けとしても実験的な探偵小説としても素晴らしい作品。 描写された事物がたんなる記号に過ぎないという点ではとりわけ物理トリックをメインとした探偵小説的でありながら、作者=犯人、読者=探偵の関係性が保たれていない点では反探偵小説的...
『覗くひと』より数倍読みやすい。 ヌーヴォーロマンの先駆けとしても実験的な探偵小説としても素晴らしい作品。 描写された事物がたんなる記号に過ぎないという点ではとりわけ物理トリックをメインとした探偵小説的でありながら、作者=犯人、読者=探偵の関係性が保たれていない点では反探偵小説的である。
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ヴァラスはなぜそうせざるを得なかったのか? キーワードは運河。腕時計。そして「計画もなく、方針もなく、不可解で、おぞましい、初冬の一日」……
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ギリシャ時代の戯曲『オイディプス王』が悲劇を書いたものならば、その遠い反響である本作はさしずめ「書かれてしまった悲劇」とでも呼べば良いのだろうか。「この小説が語るのは、銃弾が三、四メートルの距離を通過するのに必要とした時間―すなわち〈余分の〉二四時間なのだ」という著者の言葉は、本...
ギリシャ時代の戯曲『オイディプス王』が悲劇を書いたものならば、その遠い反響である本作はさしずめ「書かれてしまった悲劇」とでも呼べば良いのだろうか。「この小説が語るのは、銃弾が三、四メートルの距離を通過するのに必要とした時間―すなわち〈余分の〉二四時間なのだ」という著者の言葉は、本作の主体とは〈物〉であり〈物化された主体〉であることを的確に示している。つまり、機械仕掛けの物語。それは人間の主体を主題とする実存主義の反動として書かれたのだと指摘する解説は60年代フランス作品が持つ小難しさを解きほぐしてくれる。
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