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大人のいない国 の商品レビュー

3.9

41件のお客様レビュー

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2013/12/06

たしかに世の中”子ども”だらけですね。 僕も含めてですけど。 それでも機能する社会システムというのは確かに素晴らしい、 しかし、単一の価値観で階層化された社会というのはつまらんですよね。 と、どうせなら上の階層から言った方が説得力ありますかね。 著者のお二人は上の階層の住人です...

たしかに世の中”子ども”だらけですね。 僕も含めてですけど。 それでも機能する社会システムというのは確かに素晴らしい、 しかし、単一の価値観で階層化された社会というのはつまらんですよね。 と、どうせなら上の階層から言った方が説得力ありますかね。 著者のお二人は上の階層の住人ですからね。

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2013/11/15

大人のいない国。日本にたいしての警鐘 大人になるということはどういうことか 大人がいなくても社会的に成り立つように成熟した社会 哲学者としての2人の造詣の深さ 難解さを感じながら、少々読むのに苦労しましたが 面白かった。

Posted byブクログ

2013/10/30

内田:格差論や、ロストジェネレーション論の類を読むと、僕はちょっと悲しくなってくるんですよ。書いているのは三十代や四十代の人なんだけど、それだけ生きているということは、立派にこのシステムのインサイダーですよね。この世の中のシステムがうまく機能していないことについては、彼らにもすで...

内田:格差論や、ロストジェネレーション論の類を読むと、僕はちょっと悲しくなってくるんですよ。書いているのは三十代や四十代の人なんだけど、それだけ生きているということは、立派にこのシステムのインサイダーですよね。この世の中のシステムがうまく機能していないことについては、彼らにもすでに当事者責任があると思うんです。だから、そんなに簡単に「こんな日本に誰がした」みたいな言い方はできないと思うんですよ。でも、彼らの議論はいつも「自分は純然たる被害者である」という不可疑の前提から出発している。自分たちの社会システムが不調であることに対しては、自分にはまったく責任がないと思っている。「責任者は誰だ?」という犯人捜しの語法で社会問題を論じる人間はみんなそうですね。彼ら自信が久しくこの社会のフルメンバーであり、その不調に加担しているという意識が欠落している。でも、自分の属する社会の現状にまったく責任がないというのは「私は子どもです」と宣言していることと同じでしょう。(P.17) 内田:彼らは自分たちは生産に関与しない、もっぱら消費する人間だと思っている。今の日本における「未成年者」は、現実の年齢や社会的立場とは無関係に「労働し生産することではなく、消費を本務とする人」というふうに定義できると思うんです。労働を通じて何を作り出すかではなく、どんな服を着て、どんな家に住み、どんな車に乗って、どんなレストランで食事するか…といった消費活動を通じてしか自己表現できないと思っている。(P.19)

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2013/10/29

内田樹さんの〝追っかけ〟になってから5年くらいは経つでしょうか。書棚にずらりと並んだ内田作品の背表紙を眺めて、「はて、初めて読んだのはどれだっけ?」と考え込みました。でも、他の書き手が書かないようなことを選択的に書きながら、読み手を説得してしまう手腕に舌を巻いたのを今でも覚えてい...

内田樹さんの〝追っかけ〟になってから5年くらいは経つでしょうか。書棚にずらりと並んだ内田作品の背表紙を眺めて、「はて、初めて読んだのはどれだっけ?」と考え込みました。でも、他の書き手が書かないようなことを選択的に書きながら、読み手を説得してしまう手腕に舌を巻いたのを今でも覚えています。恐らく、これが内田さんの魅力でしょう。 でも、それだけではありません。作品全体に流れる自由さというか、風通しの良さも内田さんならでは。読み手との距離が近いと言ってもいいかもしれません。 学者さんの書いたものって、偉そうなのが多いじゃないですか。特に文系の学者さん。甚だしいのに至っては、読み手に学術的成果を伝えるというより、もっぱら自分の知的威信を高めるために書いているのが見え見えという方もいて辟易することもしばしばです。これは学者さんの性分なのかもしれません。 なぜ、内田さんはその陥穽を免れているのか。本書でも一部触れていますが、内田さんって、仲間と雀卓を囲むし、漫画もよく読みますし、お酒もよく飲むようですし、睡眠もかなり取っているようです。「偉い」学者さんはこういう、自身の価値を損ないかねないことは隠すか積極的に書かないものだと思います。 でも、内田さんは違うんですね。「お前らはバカだから俺が教導してやる」みたいな態度は決して取らないですし、むしろ「みんなでワイワイやろうよ」という開放的な態度で読者を迎えてくれます。 本書の共著者、鷲田清一さんが「文庫版あとがき」に書いてます。 「内田さんを結び目とする人の輪、もちろんそこからいっぱい内田さんぬきの輪も生まれてきました。その輪を結ぶ人がみなとにかく気持ちのいい人ばかり。逢うのが初めてなんて信じられない。この人のつながりにぼくは無限に近い信頼を置いています」 内田さんの人となりを雄弁に物語っているように感じました。 ああ、何というレビューでしょう。本書の内容にはひとつも触れずに1,000字くらい書いてしまいました。 本書は内田さんの年来のテーマのひとつ(たぶん)である「成熟」について、内田さんと鷲田さんの論考を交互に並べ、それを両者の対談で挟むという、なかなか凝った体裁。 文庫で189ページとかなり薄いですが、内田さんの魅力がギュッと詰まっていますし、鷲田さんの話も実に面白いです。 FBにも書きましたが、非常に印象に残った個所を本書からひとつだけ引用して終わりにします。子を持つ親として、胸に響きました。肝に銘じます。 「教育の目的は信じられているように、子どもを邪悪なものから守るために成熟させることにあるのではない。子どもが世界にとって邪悪なものとならないように成熟を強いることに存するのである」(内田樹「第6章 もっと矛盾と無秩序を」)

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2013/10/04

本書は単行本でも読んだのだけど、やっぱりむずかしい。 このお二人なら、すごくおもしろい対談ができると思うのですが…。 他の著作を読んでいるので、あ、あのことを言っているんだなという風に思うことはあるのですが、なかなか、ピンとくる内容ではない。 文庫版あとがきはおもしろかった。お二...

本書は単行本でも読んだのだけど、やっぱりむずかしい。 このお二人なら、すごくおもしろい対談ができると思うのですが…。 他の著作を読んでいるので、あ、あのことを言っているんだなという風に思うことはあるのですが、なかなか、ピンとくる内容ではない。 文庫版あとがきはおもしろかった。お二人のお互いに対する愛を感じた。

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2013/10/03

言葉の定義付けを明確化しないうちに持論を展開していく違和感があった。 様々な比喩・例示をするが、それは持論を強化するための道具に過ぎず、こうと決めてあった型にぎゅうぎゅう押し込めていったもののように感じた。 「非科学的な」という批判を軽蔑しながら例示に科学を持ち出し論拠の一つとす...

言葉の定義付けを明確化しないうちに持論を展開していく違和感があった。 様々な比喩・例示をするが、それは持論を強化するための道具に過ぎず、こうと決めてあった型にぎゅうぎゅう押し込めていったもののように感じた。 「非科学的な」という批判を軽蔑しながら例示に科学を持ち出し論拠の一つとする手法はズルい。 抽象化の美学を信じて疑わない人たち。

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2013/08/30

私は内田樹が大好き。文章の感じが好き。 タイトルは大人のいない国(もちろん日本のコトですね)ですが、今の日本がよくないとか、今の若者は…(これはちょっとあるか)というより、もっと本質的に「大人ってこういうことなんじゃないの?」って言いあってる感じです。 私が感じたのは一面的でなく...

私は内田樹が大好き。文章の感じが好き。 タイトルは大人のいない国(もちろん日本のコトですね)ですが、今の日本がよくないとか、今の若者は…(これはちょっとあるか)というより、もっと本質的に「大人ってこういうことなんじゃないの?」って言いあってる感じです。 私が感じたのは一面的でなくたっていいんじゃない?多面的である方が大人っぽいよってことですかね。 生まれてからずーーーっっと変身しないでいなくちゃ、と、窮屈な状態でいなくてもいいらしいし、時系列で同じ事言わなくても本質が合ってればいいってことらしい。 あと、もっと、自分のコト信じてあげていいってことかなぁと。 内臓が喋るっていいなぁと。脳の細胞だけじゃなく、体の細胞も言いたいことがあるって感じでしょうか。

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2013/08/29

あちこちで書いたエッセイや対談をまとめた本。だから、まとまりは無い感じ。 矛盾を知り、成長過程でのさまざまな年代の自分を多重人格のように内包し、不快な隣人達を受け入れるのが大人、ということなのかな?

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2013/08/28
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

内田センセイと鷲田清一さんの対談など。 幼稚化した日本ではあるが、逆に言うと幼稚化した人間でも運営できるシステムを構築した、とも言える。平和な時代には英雄は生まれないように、平和で繁栄しているが故に人は幼稚化してしまうのかも知れない。残念な事に。さてそんな環境ではあるけれども人間はどのようにして成熟していくべきなのだろうか。このふたりのような、数少ない「信頼できる大人」に学び、自らもそうなっていくことを目指す人間が少しずつ増えていくこと。江戸〜明治期の私塾に集った中から、日本を動かす人物が続々と出たように、そんな人物が生まれてくるような気がする。

Posted byブクログ

2013/08/28

むむむ。内田樹と鷲田清一という私のツボを刺激するはずの二人なのに、本書はほとんど響かない。しかも文春文庫というアタリ打率の高い版元なのに。 私の体調がすぐれないという生理的な理由もあるだろう。二人が話しているのは現状への異議申し立てで、それに賛同するためにはこちらにもある程度の(...

むむむ。内田樹と鷲田清一という私のツボを刺激するはずの二人なのに、本書はほとんど響かない。しかも文春文庫というアタリ打率の高い版元なのに。 私の体調がすぐれないという生理的な理由もあるだろう。二人が話しているのは現状への異議申し立てで、それに賛同するためにはこちらにもある程度の(うっぷんでよいので)不満というエネルギーが必要なのだ。それがない。 もう一つは、またいつもの話ですね、はい、と思えてしまったこと。 さらに、あれっと思ったのがオノマトペに関する考察。オノマトペを耳にして、初めてなのしっくりくるのは、言語に先立ってコトの本質を理解しているからだとのこと。それはないでしょう。 以下は、わずか数ページの範囲に書かれている内田樹の発言。 1)「オノマトペの語彙の多い人は、センサーがよくて、いろんな方向にアンテナを張っているということではないでしょうか。」 2)「(引用注:日本語と違って)英語とかフランス語でオノマトペってあまり聞いたことないですものね。」 3)「オノマトペというのは、人間的センサーの一つの先駆的な様態なんじゃないでしょうかね。」「たぶん『オメオメ』感というのは、先駆的には存在するんですよ。でも、まだ言語記号としては分節化されていない。 ええ〜。1)では個人だといい、2)では言語だといい、3)では人類だという。 この三つが同時に成り立つことは可能だが、その場合はもうオノマトペである必要はない。以下に例文を。 「感情を表す表現」は人類に先駆的に備わっているが、言語により語彙の多さに違いがあり、さらに個人のセンサーの感度によっても豊かさに幅がある。 ↑そりゃそのとおりだがこれでは何も言ってないのと同じだ。 しかも、人間の思考は言語に深く既定されており、本質が先に存在し言葉が後からラベルとしてくっつくようなことはない、というのは内田さんも重々ご承知の現代思想のいろは。 本書にはかなり幻滅しました。

Posted byブクログ