文学のことば の商品レビュー
心地よく読み終わった。 以下、特に読みたくなった本。 飯島耕一『ゴヤのファースト・ネームは』 深沢七郎『みちのくの人形たち』『樽山節考』 バーナード・マラマッド『店員』 ・新宿区南町にある地方・小出版流通センターの存在。
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出来はまあまあ。荒川洋治の随想は、出来不出来の差が激しいんだけど、これはまあまあかな。でも、一つ一つの量が少ないので、読み応えが全くなかった。
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「現代詩作家」と自称する著者は、至る所に「文学のことば」を見出している。 それは、一体どこから来ているのかを考えてみた。 冒頭の文章はこのように始まる。「ことばで表現されたものは、現実そのものではない。似ているが異なるものだ。いま見たもの、触れたことはこういうものであってほ...
「現代詩作家」と自称する著者は、至る所に「文学のことば」を見出している。 それは、一体どこから来ているのかを考えてみた。 冒頭の文章はこのように始まる。「ことばで表現されたものは、現実そのものではない。似ているが異なるものだ。いま見たもの、触れたことはこういうものであってほしい。そんな夢と期待が、ことばとなって現れるのだ。」 言葉から夢と期待を拾い出そうとする姿勢が、小説、評論、詩、エッセイ、記事など、あらゆる媒体から「文学のことば」を発見することにつながるようだ。 高見順が戦争末期に書いた『東橋新誌』にふれて、「書くことを止められても、これまでにつくられた詩文の感興を心のなかに描いて生きること。それは文学にかかわる人が忘れてはならないことだ。現在の詩や小説の世界はそれをつづる人の、書くよろこびという、ただひとつのもので占められている。作品をめぐる舞台がとても小さくなった」と記している。「文学のことば」とは、書かれたものの中にあるのではなく、読む人の心の中に生まれるものだという指摘にはっとさせられる。 さらに、飯島耕一の詩『ゴヤのファース・トネームは』について、「<ゴヤのファースト・ネーム>を知りたいという気持ちは、そのような自己愛を成しとげるなかで、めばえるのだと思う。いま多くの人が、自分以外の世界に関心を示さないのは、自己愛が過剰なのではなく、自己愛が足りないからである。自己愛を徹底させ、発展させるべきなのだ。ほんものの自己愛にしていけば視界はひろがる。<生きる>ことが、いっそう楽しいものになるだろう」と記す。知ろうとすることが、自分を愛することになり、ひいては他者を愛することにもつながるという回路も見えてくる。 「文学のことば」とは、書かれたことばそのものにあるのではなく、読むこと、受け止めること、感じることのなかにあるのだった。
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荒川洋治さんの新刊。現代詩作家。エッセイや評論集も多い。興味深いエピソードは、ある集会で若い女性からの質問で「荒川さんの話はおもしろくない、どうして自分の詩のことを話さないのですか」と聞かれたという。 ワタクシも以前から荒川さんの詩とエッセイでは、おもむきが違うと感じていた。 荒...
荒川洋治さんの新刊。現代詩作家。エッセイや評論集も多い。興味深いエピソードは、ある集会で若い女性からの質問で「荒川さんの話はおもしろくない、どうして自分の詩のことを話さないのですか」と聞かれたという。 ワタクシも以前から荒川さんの詩とエッセイでは、おもむきが違うと感じていた。 荒川さんの文章の中でこう結んでいた。 「自分のことを話す」ことについては一度しっかり答えなくてはならないと思う。でも自分のことだからなあ、とも思う。
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