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ぼくは満員電車で原爆を浴びた の商品レビュー

4.6

19件のお客様レビュー

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2024/08/25

1945年8月6日の朝、米澤鐡志さん(当時11歳)は母親と二人で広島・舟入本町に住む祖父母の家へ行くため広電に乗車していました。 その車内て被爆したそうです。 「電車内被爆者」の米澤さんの語りを、由井りょう子さんが文章にした作品になります。 爆心から750メートルの場所にい...

1945年8月6日の朝、米澤鐡志さん(当時11歳)は母親と二人で広島・舟入本町に住む祖父母の家へ行くため広電に乗車していました。 その車内て被爆したそうです。 「電車内被爆者」の米澤さんの語りを、由井りょう子さんが文章にした作品になります。 爆心から750メートルの場所にいながら助かったのには、様々な奇跡が重なったようです。 ①車内は超満員でぎゅうぎゅう詰めの人の真ん中 に埋もれていた。 ②その電車は当時珍しい鋼鉄製だった。 ③被爆した瞬間、福屋百貨店という八階建ての建物の真横にいた為、さえぎられた。 他にもいくつか理由は考えられるようですが、本当に奇跡ですね。 とは言え、高熱が2週間も続き、頭髪が全部抜けるなど死の淵をさまよったそうです。 一緒に被爆した母親は9月1日に亡くなり、その母乳を飲んでいた幼い妹も亡くなりました。 米澤さんは50年以上も「語り部」を続けてきたそうです。 (2022年に他界されています) 今現在、実体験を語れる方は少ないでしょう。 先日読んだ「ある晴れた夏の朝」 (原爆投下の是非をアメリカの高校生が討論するという内容) の中で原爆肯定派の発言に 「原爆で亡くなった人々は、はたして本当に、罪もない人々だったのでしょうか?」 というものがありました。 これは当時日本には〝国家総動員法〟という法律があり、国民全員か兵士なのでは? との考えから出た発言になります。 しかし本書を読んでやはり、「罪もない人々」だなと。 みんな懸命に生きているだけですね。 二冊続けて原爆関連の本を読み、先月は広島平和記念資料館を訪れました。 私なりに考えを深めていこうと思います。 本書は、ねこがすきさんのレビューで知りました ありがとうございます^⁠_⁠^

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2024/08/23

2024/08/23 小学生に読ませたい。 はだしのゲンを思い出す。同じ場面のことを書いているので、重なるところがたくさん。 事実を淡々と書いてあることが余計にひどさを感じる。

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2024/08/17

 1945年8月6日の朝、爆心地近くで被爆した11歳の少年が見たあの日のヒロシマの話。  作者は語り部として活動を続けてこられた米澤さん。  爆心地から700メートルほどしか離れていない、満員電車の中でその時を迎えた少年が見た、この世のものとも思えない光景。  この本を選んだ...

 1945年8月6日の朝、爆心地近くで被爆した11歳の少年が見たあの日のヒロシマの話。  作者は語り部として活動を続けてこられた米澤さん。  爆心地から700メートルほどしか離れていない、満員電車の中でその時を迎えた少年が見た、この世のものとも思えない光景。  この本を選んだのは、その前に原爆の詩集を読んでいたからでした。詩ではない、体験談の文章として読んでみたいと思ったためです。  出身県が広島でも、長崎でもなく、語り部の方の話を聴く機会は今までありませんでしたが、この本の文章は易しい言葉で、目の前にいる自分に対して語りかけてくださっているようでした。現地で体験した人にしか語ることのできない言葉で、感情的になるのではなく、訴えかける話でした。  まえがき、あとがきを含めて、どんな想いが込められているのか、その片鱗を感じるだけでこみ上げるものがありました。  自分だけが見た幻覚ではないのかと思うようなあの地獄絵図を、他の語り部や文芸作品として残しておられる方のことを知って、ああ自分が見たものも同じだったと改めて感じておられるところが、とてもリアルな感情であると感じます。  絵にも文章にもできずに亡くなっていったたくさんの方々のことを、思い出すのも気が狂いそうな恐ろしい記憶を掘り起こして伝えようとしてくださる方がいることを、戦争を体感していない世代だからこそ忘れてはいけないと、強く思います。  読めてよかった、知れてよかった一冊です。  いつか、姪にも読ませたいです。

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2024/08/02

1945年8月6日。 広島県出身として、日本国民として、この日の出来事を風化させてはいけないと思う。 自分が子どもの頃は毎年夏になると聞けていた話も、だんだんと、戦争・原爆を直接体験した方から話を聞くことは難しくなりました。 だからこそ、これからを生きる子どもたちに伝えていきた...

1945年8月6日。 広島県出身として、日本国民として、この日の出来事を風化させてはいけないと思う。 自分が子どもの頃は毎年夏になると聞けていた話も、だんだんと、戦争・原爆を直接体験した方から話を聞くことは難しくなりました。 だからこそ、これからを生きる子どもたちに伝えていきたい。読んでほしい本!! つらい体験を、とても分かりやすく丁寧に書いて下さっている。 〝人類と核は共存できない〟米澤さんの言葉が切実で、とても説得力があります。

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2024/01/03

悲惨。子供に読みやすい文体で書かれているので、大人はさらっと読める。人間にとって大事なことを思い出したり、考えたりできる本。何かに息が詰まりそうなとき、読み返したい。

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2023/11/26

子どもと一緒にゆっくり読んだ。私の祖母たちからはほとんど聞くことができなかったので、こんなふうに読むことができて、本当にありがたいことだと思う。

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2023/08/22

11歳の時、爆心地付近で被爆し、奇跡的に生き残った方の語りから作られた本。原爆の恐ろしさを直に経験した方の言葉を聞ける時間はあとわずか。原爆の悲劇を繰り返してほしくない。そんな思いで作られた本だと思う。子供も読めるよう書かれています。次の世代となる子どもたちに読んでほしい。

Posted byブクログ

2023/03/13
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「ぼくの経験した八月六日は、決してぼくだけの特別な経験ではなくて、多くの無名の市民が絵に描いたり、文章に書いたりしていることがわかりました。それがまた、ぼくの見た光景と変わらないのです。共通する悲しさや苦しさがたくさんあるのです。生き残ったぼくは、あの日、広島で体験したことを語り続けなければならない、そして、本にして残しておき、これから先も多くの人に読んでもらいたいと思ったのです。(「あとがき」より)」 「広島に原爆が落とされたのは、1945年8月6日でした。11歳の米澤鐡志さんは、爆心から750メートルの電車内で母親と一緒に被爆します。母親は9月に亡くなり、母乳を飲んでいた1歳の妹は10月に亡くなります。 この本は、米澤少年の目で見た、8月6日その日のことと、その後何が起こったか、という記録です。」

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2022/08/18

電車内被曝をしたその日見た地獄絵図。爆心地に近いところに居合わせたが奇跡的にも生き残ったぼく。戦 原爆投下の瞬間に何も言えずに知らずに亡くなった人がたくさんいる。その人たちのためにも生き残ったぼくはあの体験を語り継がねばならない。辛く悲惨な出来事も知れば未来をよりよくするかもしれ...

電車内被曝をしたその日見た地獄絵図。爆心地に近いところに居合わせたが奇跡的にも生き残ったぼく。戦 原爆投下の瞬間に何も言えずに知らずに亡くなった人がたくさんいる。その人たちのためにも生き残ったぼくはあの体験を語り継がねばならない。辛く悲惨な出来事も知れば未来をよりよくするかもしれない。米澤さんの想いに頭が下がります。二度と原爆なんか使っちゃいけない。だからこそ、語り部と呼ばれる方は必要ですね。

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2021/02/06

原爆投下直後の様子を生々しく書かれていました。被曝の恐ろしさがとても伝わりました。子供たちにも読んでもらいたい本です。

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