言語学の教室 の商品レビュー
面白かったー!!対話形式で読み口がマイルドだし取っつきやすい。でもやってる内容はガチのガチなので薄っぺらくなることもなく初心者にはうってつけなんじゃないのかな。認知言語学の面白さと、じゃあこれってどういうことなの?でもこうなんじゃないの?と興味を次に繋げる感じの構成で、どんどん認...
面白かったー!!対話形式で読み口がマイルドだし取っつきやすい。でもやってる内容はガチのガチなので薄っぺらくなることもなく初心者にはうってつけなんじゃないのかな。認知言語学の面白さと、じゃあこれってどういうことなの?でもこうなんじゃないの?と興味を次に繋げる感じの構成で、どんどん認知言語学について知りたくなる。 久しぶりに新書で楽しませてもらいました! (ていうか私が野矢さん好きだからこんなにハマったのかもしれませんね…)
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哲学系の新書などでは、自分で何を書いてるのかわかってるの? 自分に酔ってるだけなの?とつっこみをいれたくなるものや、他人の言説を引用しまくって受け売りしているだけのものが多かったりしますが、野矢さんの文章はクリアで、論述の対象の本質をうまくすくいとるかたちで書いていることがよくわ...
哲学系の新書などでは、自分で何を書いてるのかわかってるの? 自分に酔ってるだけなの?とつっこみをいれたくなるものや、他人の言説を引用しまくって受け売りしているだけのものが多かったりしますが、野矢さんの文章はクリアで、論述の対象の本質をうまくすくいとるかたちで書いていることがよくわかります。何冊か読んだことがありますが、すべてきっちりできている。きっと、話し方も論理的なんだろうなあと推測します。そういう話し方のできるひとを、私はとても信頼できます。 それでいて、逆説的なのですが、野矢さんが関心をもっている分野について、私はまったく関心がもてないのでした。まったくというか、ニアミスというか。言語については関心があるし、いろいろ本を読んで知りたいと思う。にもかかわらず、野矢さんがおもしろいと思ってアプローチをする論点は、私にはまったく響いてこないのでした。野矢さんの書き方がクリアなので、だからこそ、私の関心とのちがいがものすごく明確にわかるのです。 この本などはまさにそうで、読み終わったとき「なるほど、そういう観点で議論してるのね。なかなかおもしろい。でも、私にはまったく関心のないアプローチでした。この方向の議論は、今後深追いしないでおこう。終わり終わり。次行ってみよう」と自信をもって納得したのでした。(2015年4月21日読了)
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認知言語学者である西村義樹と哲学者である野矢茂樹の対談 による認知言語学入門書。言語学というものに疎い人でも 読めるようにある程度配慮はされているが、やはりある程度 言語学に素養のある人でないと楽しむのは難しいだろう。 私はその中間くらいに位置すると思うのだけれど、少なく とも生...
認知言語学者である西村義樹と哲学者である野矢茂樹の対談 による認知言語学入門書。言語学というものに疎い人でも 読めるようにある程度配慮はされているが、やはりある程度 言語学に素養のある人でないと楽しむのは難しいだろう。 私はその中間くらいに位置すると思うのだけれど、少なく とも生成文法よりは認知言語学の方が楽しそうだな、とは 思った。そして改めて思ったのは、日本語を使う身である 以上、言語学関係の本はやはり翻訳本ではなく、日本語を 使う人間が書いた本の方が楽しめるなということだった。
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めっちゃ面白く読みました。 やはり何か新しい手ごたえが生まれてくる瞬間に立ち会うというライブ感(もちろん疑似的なものにすぎないわけですけれど)は、面白さを倍増させる気がしますね。 でも、この本を「面白い」と思うための条件は割と厳しいと思います。 まずこれまでに「「野矢哲学」に...
めっちゃ面白く読みました。 やはり何か新しい手ごたえが生まれてくる瞬間に立ち会うというライブ感(もちろん疑似的なものにすぎないわけですけれど)は、面白さを倍増させる気がしますね。 でも、この本を「面白い」と思うための条件は割と厳しいと思います。 まずこれまでに「「野矢哲学」に一度でも触れたことがあること。 そして大学2年生レベルの言語学についての基礎的な理解があること。 この2点をクリアできる人って、本当に大学でその分野を専攻している人に限られるんじゃないだろうか。 だから署名は『入門』じゃなくて『教室』なんだろうなあ。高校生が読んでもちょっと太刀打ちできないだろうと思います。 チョムスキーの生成文法は何か堅苦しくて好きじゃなかったけれど、その理由が自分なりに分かった気がして、その辺りもすっきりしました。
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軽い興味で借りてみたけど、なかなか難しくて半分くらいしか分からなかった。言語学と哲学の両面からのアプローチがあって、どちらかに詳しい人には面白いと思う。
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大学で英語をかじったので読んでみたが、とにかく難しくて、字面を追うのがやっとだった。多分何度も読み返さないと理解できないと思う。読み返しても理解できるかどうかわからない。
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はじめは言語学の系譜から始まり、認知言語学とは何かを解く。では、認知言語学とは何かといえば言語を可塑的でかつ流動的なものととらえ、言語における主観や含意を認識しようとせんものである。チョムスキーの生成文法が多様性の中で普遍的な核を探求するプラトン的な、科学的な、理系的なものである...
はじめは言語学の系譜から始まり、認知言語学とは何かを解く。では、認知言語学とは何かといえば言語を可塑的でかつ流動的なものととらえ、言語における主観や含意を認識しようとせんものである。チョムスキーの生成文法が多様性の中で普遍的な核を探求するプラトン的な、科学的な、理系的なものであるのに対し、認知言語学は多様性を掬い取ろうとするアリストテレス的で文系的なもの。生成文法と比較すれば科学的ではないが、心理学との親和性も高く、人間の認知のあるかたというビッグテーマに対し示唆に富んだもの。印象的だったのはメトニミーを参照点理論で説明するものであった。人間は未知のものに遭遇したとき自分の経験から近いものを想起して、それを参照点とすることで新たなものを認知するという馴致化プロセスを言語学の分野で解説したものでとても面白かった。
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チョムスキーの生成文法との対比をしつつ,認知言語学とは何かという問題への論考。体系的に学問分野が整理されているわけではなく,西村先生と野矢先生の対談を進めて理解を深めていく感じ。へたに教科書チッックで抽象的な議論でなく,具体的な話が多く,面白く読めた。 はじめにさくっと言語学と...
チョムスキーの生成文法との対比をしつつ,認知言語学とは何かという問題への論考。体系的に学問分野が整理されているわけではなく,西村先生と野矢先生の対談を進めて理解を深めていく感じ。へたに教科書チッックで抽象的な議論でなく,具体的な話が多く,面白く読めた。 はじめにさくっと言語学とはなにかという話もされるので,言語学に全くの素人の人(私も)もイメージはつきやすかった。 専門外である野矢茂樹先生の質問がとても素人の気持ちを代弁していてとても面白い。
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人間は言語を道具として操ることで他の動物にない進化を遂げた。とか何とかいうのは近代的な認識で、20世紀初頭の言語学の勃興以降、言語によって人間の認識が影響を受けるといった言語論的転回がおこり、極論すれば人間こそが言語の道具である、というのが現代思想であった。 しかし、学問とい...
人間は言語を道具として操ることで他の動物にない進化を遂げた。とか何とかいうのは近代的な認識で、20世紀初頭の言語学の勃興以降、言語によって人間の認識が影響を受けるといった言語論的転回がおこり、極論すれば人間こそが言語の道具である、というのが現代思想であった。 しかし、学問というのは進歩するのではなく振動するものらしく、そうした言語中心主義も揺り戻しが来て、ふたたび人間の心理が言語に影響を及ぼしているという認知言語学が出てきた。本書は言語哲学の野矢茂樹が認知言語学の西村義樹に教えを請うという形の対談によって、認知言語学を解説したものである。茂樹と義樹、ふたつの樹が認知言語学に迫る。 一般には「認知」というと「ああ、俺の子だ」みたいな場合が人口に膾炙しているのかもしれないが、学問の世界では「認知」という言葉が流行りでありながら、認知といって示されることは、生物学的な臓器としての脳をベースに考えようくらいの意味のこともあり、認知をどう認知したらいいのかよくわからないことも多い。認知言語学の場合、おおざっぱに言うと心の働きと言語の関係を(再び)問題にするということのようだ。もう少し踏み込むと、従来、統辞論と意味論というようにわけて考えられてきた、意味と文法との関係を俎上に載せるということが、大事なテーマになっているようだ。 例えば、受動態。「雨に降られた」とか「太郎は花子に泣かれた」という受動態は、能動態を持たず、「間接受身」という。ここには、困ったとか嫌だという「受苦」の気持ちと、それでも仕方がないという「諦念」、さらに雨にしろ花子にしろ、自分ではどうにもできない「他者性」があることを含意していると分析される。この用法を習うと外国人は「財布に落ちられた」などという文を作って、おかしいと指摘されても腑に落ちないのだというが、財布がある程度意志を持った他者的なものである場合には、「財布に落ちられた」という表現は可能となる。かように、「間接受身」という文法には「受苦」「諦念」「他者性」という心の動きなり、意味が介入しているのだといった議論が認知言語学のお話なのである。よって「間接受身」のことを「迷惑受身」とも呼ぶ。 この比較的新しい学問を背負って立つ義樹に、「どうなの、どうなの、教えて」とばかりに茂樹が鋭い質問を投げかけていく対談は読みやすいけれど、難しい問題をあぶり出して言語の面白さを披瀝していく。 後半はメトニミーとメタファーの話で、従来のレトリック論にはない切り口が大変おもしろい。 さて、では言語が先か心理が先か。たぶん言語によって脳=心理が形成され、脳=心理によって言語が変わっていくといった相即の関係にあるというしかないのではないかと評者は思うのだが、本書は、言語は常に揺らいでいるという結論めいた話で終わる。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
認知言語学は、けっこう文学的な言葉の使い方についてあれこれ考えている人には面白いんじゃないか。レトリックだとか、同じ真理を表現していても、言葉の並べ方で意味が違ってくるんだ、って思える人は認知言語学向きです。初めて知ったものとしては、メトミニー(換喩)がありました。赤い頭巾をつけた女の子を、「赤ずきん」と呼んだり、メガネをつけた男の子を、「メガネ」と呼んだり、「村上春樹を読んでいる」という言い方で、村上春樹さんの作品を読んでいる意味になることだとか、そういう種類の、言葉の使い方については、そっか、そういうグループの言葉だったのかと初めてカテゴライズして認識しました。
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