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家と庭と犬とねこ の商品レビュー

4.4

15件のお客様レビュー

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2018/07/21

家にいた犬デュークの話が好き。声に出して読んだ。牛乳屋さんに付いて歩く姿が目に浮かぶ。 一人でいる有り難さについての自然な語り方を好ましく感じた。 著者のように率直に話したいと思った。

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2018/03/15

文章が素敵なのはもちろんのこと,不器用だというその生き方の慎ましさ,確かさ,力強さがそこかしこに表れる.猫との犬とのはたまた親しい友人との交流の中にそのおずおずと差し出される優しさがとても素敵だ.

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2019/07/23
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※このレビューにはネタバレを含みます

多くの人には児童文学者として知られている、石井桃子氏の随筆集。 この本の出版は2013年だが、作品は、最後の数点を除けばほとんどが、戦後20年くらいの間に書かれている。 著者を検索すると、たくさんの大きな仕事をされて、児童文学界の重鎮でもあったようだ。 しかし、この本には、そういった『功績』とはまた別のところにある、筆者の真実や魂が語られている気がする。 対象が、人であれ、動物であれ、土地という名の文化だったり、ものの考え方だったりするが、自分の感性とシンクロするもの、しないものをこまごまと綴る。 ちょっとした会話のやり取りの中に潜む、お互いが思う意味の齟齬や、暮らしが離れることが長くなるに従い、古い友との間に生まれる見えない隔たりにどうすることも出来ない焦燥を感じたり。 特に、終戦から四年間を農村で過ごし、時々上京するたびに感じる東京の変化への驚きと嘆き、農村を蔑ろにすることについての憤りが印象的。 感性を研ぎ澄まして読みたい。

Posted byブクログ

2015/02/10
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

「地に足をつけた生活」 ってなんだろう? と思った。 読みやすいのは、文字が青いから? ひらがなが多く、またそれは 「ひらがなだから」 いいのだ。 例えば、 「私は、たべ物で、何が一ばんすきかと聞かれると、こまってしまいます」(「しゃけの頭」より) 漢字で書くと 「私は、食べ物で、何が一番好きかと聞かれると、困ってしまいます」 となる。 直接、石井さんの声はしらないけど、石井さんのひらがなの多い文章から石井さんの息づかいが立ちのぼってくるように感じる。 が、乱暴な言い方をすれば、後者は、アナウンサーがニュース原稿を読んでいるように感じる。 翻訳者である石井さん。言葉そのものはもちろん、漢字とひらがなから受ける息づかいまで 気をくばった人なんだろうな。と思う

Posted byブクログ

2014/09/02

なるべく本を残さないようにしている。 図書館で借りたり、買った本も読んだら手放す。 でも、この本は手元になくてはならない本だ。 落ち込んだり、心がささくれたりざわついた時にはこの本を読もう。 もちろんふくふくと落ち着き、満たされた気分の時に読むもよし。

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2014/07/15

友達と農業をやる話が、不思議で懐かしいお伽話みたいに聞こえるのが不思議だ。ものを書く話はほとんど出てこない。畑を耕す話、猫の話、読む話、旅をする話。たわいもなといえばそれまでだが、幻燈の絵巻を見ているような気分になるのはどうしてだろう。時代のせいばかりではないだろうと思う。

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2014/06/17

田舎暮らしをするお話を、いろんな雑誌に書かれたようですが、何度読んでも楽しく読めました。田舎から久しぶりに上京したときに聞いた講演(?)を一蹴するセリフが、スカっとしてよかったです。(引用)

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2014/06/06

読んでいる間ずっと、「暖かいもの」に満たされていた。 石井桃子氏は『クマのプーさん』など児童文学の翻訳を数多く手がけた人。 そして自宅に児童文庫を開設し、子供と本を結びつける仕事をした人。 この世界に「暖かいもの」を手渡す仕事をし続けた人の根底がどこにあったのかがこの本を読むと...

読んでいる間ずっと、「暖かいもの」に満たされていた。 石井桃子氏は『クマのプーさん』など児童文学の翻訳を数多く手がけた人。 そして自宅に児童文庫を開設し、子供と本を結びつける仕事をした人。 この世界に「暖かいもの」を手渡す仕事をし続けた人の根底がどこにあったのかがこの本を読むと良くわかる。 東北の山奥での女性たちだけで暮らし。 厳しい農作業の日々の、その豊かなこと。 -学校のことよりも映画の事に詳くわしい学生や、電気冷蔵庫をもっているおくさんが、農村の人たちより、えらくもなんともないことは、だれにだってはっきりわかる。(p23) -私たちも知らず知らず、いつのまにか、この「文化生活」にひたって、音楽会に数多くいき、画家の名前を多く知っている人間のほうが、えらいようにうぬぼれがちだからである。(p23) こういう石井桃子さんが翻訳したからこそ、その物語を読む私たちは作品の世界に入って安心できるのだと、心底納得できる。 このシリーズは装丁も出色。 表紙は可愛らしいピンク色のベースに、機械で描かれたのではないパターンのデザイン。 中の文字色の青さも字体も、ほっとさせてくれる。 もう一冊の『プーと私』は表紙デザインの柄がところどころミツバチになっていた。 それに気づいた時に胸に広がった暖かいもの。 こうして目の前には居ない誰かのために「暖かいもの」をたんねんに作り、届けてゆく事を、わたしたちはできる筈なのだし、続けてゆく事もできる筈。 この世の中がどんな風になっていっても、あきらめないで暖かいものを守ろう、作って手渡そう、とそう背中を押してもらった一冊。

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2014/06/06

石井桃子さんが新聞や雑誌に寄せた随筆をまとめたもの。 ほぼ1950~60年代に発表された文章。 戦争末期から戦後しばらくのあいだ宮城県で農業をしていたころの話。 (タイトルのせいもあって「フョードルおじさんといぬとねこ」http://booklog.jp/users/melan...

石井桃子さんが新聞や雑誌に寄せた随筆をまとめたもの。 ほぼ1950~60年代に発表された文章。 戦争末期から戦後しばらくのあいだ宮城県で農業をしていたころの話。 (タイトルのせいもあって「フョードルおじさんといぬとねこ」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4834007723を連想した) 亡くなった友人の家で暮らした東京の話。 (「家守綺譚」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4104299030のようだ) 外国に留学したときのことも少々。 (「子どもの本は世界の架け橋」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4772190376の時だろうか) どれも、真摯な人だなあと思う。 戦後の話は昔語りに見えたけれど、書かれた時点では敗戦から3年や8年しかたっていない。 私から見て昔だからじゃなくて、過去と認識されているから「昔の話」にみえる。 今をしっかり生きている人にとって3年や8年は「過去」なんだ。 石井桃子さんに対する「素敵」というイメージに、「格好いい!」が加わった。 物事にまっすぐ取り組んで、それでいて無理かもと思ったら軌道修正する軽やかさもある。 ひとりで旅行をするのもごはんを食べるのも好きでやっているのに、かわいそうなものとして見られるのはしゃくだなあとか、 田舎に住むのも「主人の転勤で」とか言えばみんな一発で納得するだろうに、一人身だとしつこく聞かれて面倒くさいとか 女おひとりさま(ひとりで行動する自由をもとめる意味の「おひとりさま」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4120031799)っぽさが楽しい。 けっこうずっと、「家族」じゃない人と家族のように暮らしてる。 一人が好きで、喧騒に弱くて、本を肥やしにすべき職業なのに仕事が忙しくて本を読む暇がないと嘆いたり、十数年前に買った粉白粉を使いきれなかったり、 こういう、「なんでも華麗にこなす職業婦人」のイメージとは遠い人が、こんなにすごい仕事をして、こんなに人とかかわれるんだってことに力づけられた。 農村で暮らして、体を動かして働くそこの生活が好きで、素敵な面をたくさん書いてある。 でもそこの人たちが食っていけない状況、格差にもたびたび触れる。 「農基法と民主主義」に感動した。 この法律によって生活を変えられる農民のいったい何%がこの法律を理解できるのだろうか、とはいえ国民全員が法律を完璧に理解するなんてことは不可能だから、信頼できる賢い人を選んで法律をつくってもらうのだ、と書いた後の文章が以下。 “ このような民主主義的な代議制がうまくいくためには、百人のうちの八十人が、そのことをよく知らないでも、あとの二十人が、物ごとをよくのみこめないかもしれない八十人をばかにしないで、人間あつかいにすることを身につけてからでないと、なかなかうまくゆかない。  農業基本法というものが、多くはこれまで学問するチャンスもなく働いてきた、口べたな人たちの仕事を近代化するという、実行のむずかしい法律であるだけに、単独審議できまったりするのをみると、政争の道具になっているような気がして、私は腹がたってくるのである。182” 猫がかわいいとか犬が脱走したとか庭の花を子供に盗まれたとか70過ぎて友達と足に血豆をつくりながら山桜をみたとか、 他愛ない文章も全部、心が洗われる。 この本を読めて幸せだ。

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2014/02/07

豊かな生活というのは 豊かな時間を持つこと 豊かな時間というのは 自分のすぐそばのモノたちと ちゃんと気持ちを通じ合わせられること 家も畑も猫も犬も すぐそばの木も草花も ちゃんと 自分の目と耳と心を全開にして 取り込むこと 私たち 日本人は 何を捨て去って 何を取り込んで ど...

豊かな生活というのは 豊かな時間を持つこと 豊かな時間というのは 自分のすぐそばのモノたちと ちゃんと気持ちを通じ合わせられること 家も畑も猫も犬も すぐそばの木も草花も ちゃんと 自分の目と耳と心を全開にして 取り込むこと 私たち 日本人は 何を捨て去って 何を取り込んで どこに向かって行こうとしているのだろう そんなことを 考えてしまいました

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