炎の戦士クーフリン/黄金の戦士フィン・マックール の商品レビュー

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2021/03/22
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まずは、サトクリフがーーこの本が、ふたたび注目を浴びて(そのきっかけがなんであろうと!)ひかりを見たことをうれしく思う。小学生の頃からケルトの物語は私の大好きなカテゴリに入っていたが、それはもっぱらメリングのもので、残念ながらサトクリフを読む機会にめぐまれなかったからだ。以降、井村君江さん鶴岡真弓さん、片山廣子女史などさまざまな「ケルトの物語」に触れ、カオス状態な実際の伝説にも(邦訳だが!)あたってきた。この本はその中では、なんというのだろう。神話の血は継承しながらも、登場するものたちを「ひと」に近づけた佳作のように感じられて、とてもたのしく読めた。復刻に感謝したい。 ……ひとことだけ付け加えるなら、ディアミッド・オダイナがいちばん気の毒。

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2019/11/08
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ケルト神話を小説として語り直した2作品『炎の戦士クーフリン』及び『黄金の騎士フィン・マックール』を収録した作品集。 双方ともアイルランドを舞台とした英雄譚ではあるものの、成立年代が大きく違うこともあり、それぞれ異なった味わいがある。 『炎の戦士クーフリン』は、アイルランド随一の英雄、クーフリン(クー・フーリン)を主人公とした物語。重々しくも、淡々と乾いた文体は、語り出される始めから、彼の凄惨な死を描写する結末に至るまでもがただただ美しい。 『黄金の騎士フィン・マックール』は、アイルランドを守護するフィアンナ騎士団の団長フィン・マックールを主人公とした物語。神話的な『クーフリン』に比べ、昔話的で伸びやかな印象がある。前半ではフィンの数々の武勇が語られるけれど、それらよりもむしろ後半でのディアミッド・オダイナ(ディルムッド・オディナ)の悲恋物語が印象的。高潔な心と卓抜した武を持ちながらも、人の力を超えた禁戒(ゲシュ)によって滅んでいく英雄の姿は、悲しくも心惹かれて、英雄像のひとつの原型を見ている心持ちにさせられる。

Posted byブクログ

2019/09/23

ケルト神話の2人の冒険譚を収録した1冊 クーフリン、フィン・マックール、それぞれ同じケルトの地に伝わる神話の英雄ですが、時代や文化の流れで少しずつ特色の違いがあってとても興味深いです いつの時代でも英雄たちの人生は喜怒哀楽豊かに心に訴えかけてくる

Posted byブクログ

2013/05/26

・ローズマリー・サトクリフといへば再話である。邦訳もいくつかを出てゐる。ヨーロッパの神話、伝説を読み易くなるやうに直す。これによつて複雑な物語の筋が明瞭になる。そのおもしろさがいや増す。日本神話ぐらゐしか知らない人間には実にありがたいことである。このローズマリー・サトクリフ「ケル...

・ローズマリー・サトクリフといへば再話である。邦訳もいくつかを出てゐる。ヨーロッパの神話、伝説を読み易くなるやうに直す。これによつて複雑な物語の筋が明瞭になる。そのおもしろさがいや増す。日本神話ぐらゐしか知らない人間には実にありがたいことである。このローズマリー・サトクリフ「ケルト神話ファンタジー 炎の戦士クーフリン/黄金の騎士フィン・マックール」(ちくま文庫)もそんな再話作品の一つである。旧版では2冊だつたものを文庫1冊にまとめたといふ。これもまたありがたい配慮である。 ・この2つの物語は「ケルト神話ファンタジー」と一括されてゐるが、その時代はかなり離れてゐる。しかもクーフリンは「ケルトの神話らしく、筋の運びはときに荒唐無稽なほど奔放だが、哀調を帯びており、光と闇を秘めた魅力を持っている。」(「訳者あとがき」500頁)のに対し、フィンは「神話といふよりは 民話に近い。」(同前)のだといふ。サトクリフ自身も同様の考へを述べてゐるといふから、これはまちがひないのであらう。実際、フィンの最後「アシーンの 帰還」は浦島伝説であらう。玉手箱がないから違ふとは言へるが、アシーンも浦島も異世界を尋ねて夢の如き日々を送つたといふ点での違ひはない。さうして帰 つてみれば……である。そこに昔の面影はなく、知る人は1人もゐない。英雄の息子で吟遊詩人の哀れな末路と言つては言ひすぎかもしれない。しかし、これが 「民話に近い」といふ最も分かり易い一例であり、ラストである。大団円ではない。逆にここで、それ以前の英雄たちの物語はすべて異化されてしまふ。フィン も、ディアミッドも、マックモーナも、一炊の夢の如き存在でしかなかつたといふことになる。クーフリンはかうではない。あくまで英雄譚である。物語の陰影 などといふことを考へれば、話としてはフィンの方がおもしろくできてゐるのかもしれない。しかし、これはケルトの神話である。妖精も出てくるが、それ以上 に英雄が出てこなければならないのである。クーフリンは確かに英雄である。父は神族であるから、これだけでも超能力が保証されることになり、戦ひに於いて は正に超人的な活躍をする。サトクリフの再話はそれを実に楽しく、気持ちよく読ませる。神話は本来さういふものではない。あちこちに齟齬があつたり、物語 が入り組んだりしていて、読むのに難渋するものである。サトクリフはそれをきちんと整理する。それが再話といふものであるせよ、彼女の手際は実に鮮やかで ある。クーフリン最期の場面、いかに超人的な英雄も予言を避けることはできずに死に至る。多勢に無勢でも何とかなるつてゐた。しかし、予言は防げなかつ た。これを悲劇の英雄と言ふべきか。「哀調を帯び」た物語、ならばヤマトタケルに比すべきか。英雄とはさういふものだといふ以上に、2人には相通じるもの があらう。話が手際よく進むから、そんなことまで考へてみるのである。巻末の井辻朱美の解説は「伝説の英雄から等身大の人間へ」と題されてゐる。意味するところはクーフリンからフィンへといふことであらうか。ただ、私はクーフリンもまた生身の人間の英雄として生涯を終へ、フィンもまた伝説的な超人的な英雄 として生涯を終へたと考へる。このあたりの境界は曖昧である。神話も民話もそれを明確に区別することはなかなか難しいのではないか。もしかしたら、それを 逆手にとったのがフィンであるのかもしれないと思ふ。そこにサトクリフの腕の冴えがあつたのである。それでも私はクーフリンの方がおもしろいと思ふ。あれでこそアイルランドの英雄譚である。妖精譚とは違ふのだと思ふのであつた。

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