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暦の語る日本の歴史 の商品レビュー

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2014/10/02

帯文:”「暦」を支配するものは国家を支配する” ”改暦をめぐる歴史の真実に迫る名著!” 目次:1 暦法始行とその周辺、2 唐暦行用の時代、3 日本人による暦法、4 西洋天文学の受容、5 明治の改暦とその後、あとがき、参考文献、『暦の語る日本の歴史』を読む ―湯浅吉美

Posted byブクログ

2012/12/22

昨日(2012.12.21)はマヤ暦の最後の日でしたが、マヤ地方(中央アメリカ)では、このレビューを書いている時点では、最後の日の夜を迎えていることになります。 数年前まではフォトンベルトに突入する等、過激な本も出ていましたが、最近は見かけなくなりましたね。それでも、映画や本で...

昨日(2012.12.21)はマヤ暦の最後の日でしたが、マヤ地方(中央アメリカ)では、このレビューを書いている時点では、最後の日の夜を迎えていることになります。 数年前まではフォトンベルトに突入する等、過激な本も出ていましたが、最近は見かけなくなりましたね。それでも、映画や本では「暦」を中心にした題材が見られると思っているのは私だけでしょうか。 さて、この本は日本の暦の歴史について書かれた本です。個人的に興味を持てたのは、5章の明治の改暦に関する内容で、それまで用いていた暦では明治6年に閏月が入ることになり財政的に厳しくなるので、あわてて明治5年の間に改暦を行ったエピソードは興味深かったです。 太陽暦は一度決めてしまえばだれでも暦が作れますが、改暦まで日本が使用していた暦は複雑な計算のもとに作成されるのが面白いところですね。 以下は気になったポイントです。 ・中国では、漢の太初元年(前104)から施行された大初暦から最後の王朝の清が滅びて、1912年に太陽暦が採用されるまで、50回ほどの改暦が行われた(p14) ・日本へは、宋の元嘉暦、唐の麟徳暦・大えん暦・五紀暦・宣明暦の5つがもたらされた(p15) ・陰暦(30日の大の月と29日の小の月を交互に繰り返す)の1年は、太陽暦よりも11日余り短いので、この差を3年目に、ときどきは2年目に閏月を入れて1年を13日にした(p18) ・中国で成立した28宿は、赤道を基準に不等間隔に分けた星座、宿曜経は28宿と7曜の関係によって人の運命を占って、日の吉凶を知る方法、28宿は恒星の一部で、七曜は日月と5つの惑星のこと(p49) ・シーザー(カエサル)は、紀元前46年、それまでローマで用いられていた不完全な太陰太陽暦を廃して太陽暦の採用を決定した(p65) ・紀元前44年に、今の7月にあたるクインチリス月を廃して、自分の名のユリウスを入れて、その後の皇帝であるアウグストゥスは、セクスチウス月のかわりにアウグストゥスを入れた。3月年初とすれば、7、8月は5,6番目に当っている。9月セプテンバーから、12月ディセンバーも、もとは7から10を表す数詞である(p68) ・1582年には春分の日が3月11日になっていたので、再び21日に戻すために、ユリウス暦の1582年10月4日の翌日をグリゴリオ暦の10月15日とした(p69) ・伊能忠敬は隠居時には3万両の財を残していたので、ある程度の自費を以ってして測量事業が始められた(p125) ・江戸時代の時刻制は不定自制で、明六つから暮六つまでを6つに分けて、昼の1とき、暮六つから明け六つまでを6つに分けて、夜の1ときとしていた、変わらないのは、昼の九つは正午、夜の九つは午前0時ということ(p142、144) ・明治5年11月9日に太陽暦改暦の詔書(明治5年12月3日を以って明治6年1月1日とする)が突然発布され、そのときすでに旧暦の暦が頒行されたあとで、弘暦者は大損害を受けた、暦注の載っていない太陽暦では一般のうけは悪かった(p158,160) ・官吏の俸給を一括払いから月給制を採用したのに、今度はその月給を13か月分払うのでは月給制を採用した意味がなくなるので、太陽暦への変更を急いだ(p159) ・グレゴリオ暦の成立由来をたどれば、春分を3月21日に固定して、復活祭が3月22日から4月25日までに納めるようにしたもの(p176) 2012年12月22日作成

Posted byブクログ