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誰がこの国を壊すのか の商品レビュー

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2019/06/30

すごく良かった。特に上杉隆さんの「多様性を守る」という主張にはビビッとくるものがあった。ジャーナリズムは権力批判的であるべきだし、失敗したら謝って検証すればいい。そしてその過程を示せばいい。結果的に、それがジャーナリズムの透明さと多様性を守ることにつながる。 森達也さんのオウム取...

すごく良かった。特に上杉隆さんの「多様性を守る」という主張にはビビッとくるものがあった。ジャーナリズムは権力批判的であるべきだし、失敗したら謝って検証すればいい。そしてその過程を示せばいい。結果的に、それがジャーナリズムの透明さと多様性を守ることにつながる。 森達也さんのオウム取材の話も、実際に信者の暮らしに触れることで上っ面を撫でるだけのにわかジャーナリズムと一線を画す。当事者に接しない高みからジャーナリズムを名乗ることはできない。一読して、そんなことを考えた。

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2013/11/13

タイトルに対する答えは「はい、メディアです。」だろう。即答だ。震災以降、というか、あの大規模災害ですら変化するきっかけにならぬほど大メディア様は相変わらずだ。無謬主義・責任追及体質・偏向的…挙げたらキリがない。いろいろときな臭い法案や法律が成立しそうな昨今への警鐘(っていうとベタ...

タイトルに対する答えは「はい、メディアです。」だろう。即答だ。震災以降、というか、あの大規模災害ですら変化するきっかけにならぬほど大メディア様は相変わらずだ。無謬主義・責任追及体質・偏向的…挙げたらキリがない。いろいろときな臭い法案や法律が成立しそうな昨今への警鐘(っていうとベタか)として読んだら良いのかも。 知らぬ権利っつーのも必要じゃないかと思い始めてる。

Posted byブクログ

2013/03/06

3.11当時にTwitterで有名になった上杉氏と、オウム真理教のドキュメンタリーで有名になった森達也氏の対談本 現在の日本は、メディアとジャーナリズムの境界が曖昧であるという主張とその分析を、過去のオウム真理教についての報道や原発事故、小沢一郎氏の報道などを例にとり行われてい...

3.11当時にTwitterで有名になった上杉氏と、オウム真理教のドキュメンタリーで有名になった森達也氏の対談本 現在の日本は、メディアとジャーナリズムの境界が曖昧であるという主張とその分析を、過去のオウム真理教についての報道や原発事故、小沢一郎氏の報道などを例にとり行われている。後半ではジャーナリズム論はもちろん、森氏から、上杉氏のTwitter自体が"メディア"化しているのでは?という指摘に対して、上杉氏本人の戦略的狙いの話など非常に興味深い。 あとがきで上杉氏が「なんと知的に愉快な空間だったのだろう」と評した対談であるが、そう評するのがよくわかる非常に面白く感じた一冊である。 個人的にはニュースステーションからメディアがエンターテイメント化した。ということの功罪の話や、日本と違ってアメリカのニューヨークタイムズなどでは、署名が大きくミスがあればその分析を深く深くするという事。アメリカはミスに寛容で嘘に厳しいが、日本はその逆である。という対比はとても印象に残った。 もちろん話全てを鵜呑みにすることはまた危険ではあるが、態度としてのジャーナリズムの理想についての話は、ただのメディアジャーナリズム論に留まらず、民主主義という政治や人との付き合い方など人としての根底としてのポリシーとしても参考にすべき中身だったと思う。

Posted byブクログ

2012/12/16

森達也と上杉隆が日本のジャーナリズムとメディアをテーマに、語る、語る。 そっか、ジャーナリズムとメディアは別物として論じると、問題がすっきりとわかりやすくなるんですね。(ただ、それで解決の糸口がすぐに見つかるか、というわけではないけど。) 簡単に言うと、メディアは商売=市場理...

森達也と上杉隆が日本のジャーナリズムとメディアをテーマに、語る、語る。 そっか、ジャーナリズムとメディアは別物として論じると、問題がすっきりとわかりやすくなるんですね。(ただ、それで解決の糸口がすぐに見つかるか、というわけではないけど。) 簡単に言うと、メディアは商売=市場理論で動く、 ジャーナリズムは良心・良識が根底にある・・・はず、と。 森さんはよくポピュリズムという言葉を使うのだけど、それは民意と言っていいのだろうか。古くは、第二次世界大戦前夜、二大新聞だった今の毎日と朝日が軍部に批判的な記事を書いたら部数が落ちたため、一転、好戦的な記事を書き始めたら部数が伸び、そこに読売もその勢いに乗り、競争で戦争に向けて煽った結果として三大新聞に。軍部の暴走はその後からだったという史実は、昨今の領土問題をも思わせて、とてもイヤな感じを持たせられるのだけど、国民がそれを望んでいるから、という市場原理は、うん、そうなんだろうね、と思えてしまう。 オウム以来、厳罰化を望む風潮に司法が追随している、つまり、そんな場にまで市場原理が働いている、と言われると、それもまた、そうだよね、と。 実は、毎年、戦後最低の事件発生率を更新していて、つまり、毎年、戦後最高の治安のよさを誇る日本なのに、それをほとんどの日本人が知らない。今の日本は安全ではない、と煽った方が新聞は売れるし、テレビ・ラジオの視聴率がよくなる&警察に大きな権力をもたせやすい、という意味合いが透けて見える・・。 商売は、それで食っている土台なのだから、もちろん無視しては動けるものではないけど、それにしてもあんまりじゃないですか、という例が次々に語られて悲しくなる。 言論の自由がある、と日本国民が誇る現代に、実は、「記者クラブ」という厄介な制約があり、しかもそれは独裁者によるある意味わかりやすい敵、ではないだけに、倒しにくいという…。政府の発表をそのまま垂れ流すだけでは、うん、それは、メディアではあってもジャーナリズムとは言えないでしょう。 面白かったのは、海外の新聞では、同じ新聞社の意見を異にする記者同士がそれを発表し合う場が大きく用意されている、という話。 「一丸となって」という空気が好きな日本人と、人はいろんな意見を持って当たり前、という“常識”を持つ国民との違い、ということなんでしょうか。 私は、戦前戦中の治安維持法が何よりおぞましい法律だという認識があるので、昨今の、国の側からのひたひたと押し寄せる言論に対する圧力や新しい法律を作りたがっている流れ、また、それを増長するかのようなメディア、そして何より、マスゴミ、みたいな言い方をして高みに立っているつもりになっていたり、同調圧力に自ら飛び込みたまに突出した意見を持つ者がいると、わぁ~~っとたかってみんなで叩きのめす、または、公務員とか官僚とか、わかりやすい“敵”を見つけてバッシングすることで味方を増やす某政治家とかが、イヤでイヤで、また怖くてたまらない。 自分の頭で考えたい。 結局はこれ、なんですよね。

Posted byブクログ